迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

音樂は瑞々しく熟成する。

2019-04-10 22:27:43 | 浮世見聞記



日中にTVをつけると、トーク番組に海援隊が出演してゐた。

もちろん、フォークソンググループの、である。


大阪に住んでゐた時代、私には逢ひたい人がいて、よく博多まで旅行してゐた。


そのなかで、あるイベントに特別出演した海援隊のライヴに、偶然出逢ったのである。


初めて生で聴ひた「贈る言葉」に、私の心は震へた。


人生の年輪を重ねた武田鉄矢さんの唄聲には、人生の年輪を重ねた人でなければ表現できない、“深さ”があった。

それまで、卒業シーズンの定番ソングくらゐの認識しかなかったこの曲を、はじめて名曲であることに気が付かされた瞬間でもあった。


以来、博多出身の海援隊は、私のなかでも博多に密接なフォークグループとして、深く刻み込まれた。



それから私も年齢(とし)だけは取り、あの時代(とき)の逢ひたい人のことも、それにまつわる出来事も、現在では心から一掃されてゐる。


しかし、海援隊だけは現在も、私のなかに在る。

「贈る言葉」、そして「思えば遠くへ来たもんだ」を生で聴ひたあのときの感動は、現在も鮮明に記憶してゐる。


人生の区切りには、いつも音楽の存在があった。


かつて、私にそれまでいた世界から飛び出す勇気を与へてくれたのも、音楽だった。


海援隊の曲は、その“はしり”かもしれない。


私もさらに年齢を重ねたら、これらの名曲はもっと深い音楽に、熟成されてゐるだらう。





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