平成もあと二ヶ月といふ現今、奇妙(おかし)なニュースばかりが伝へらると感じてゐるのは、私だけだらうか。
報道屋はさういふものばかりを選って流してゐるのではないか──と、疑ひたくなるほどに、目を背け、耳を塞ぎたくなる悪報ばかり。
それらにまともに取りあってゐたら、それこそ頭がおかしくなりさうだ。
そんな折り、懐かしい音楽を手に入れた。
私が幼かった頃に黄金期を迎へてゐた、“ザ・ドリフターズ”──
神業的コント集団のやうになった後年の印象がだうしても強いが、もともとはビートルズ初来日コンサートで前座をつとめたほどの、ミュージシャンたちだ。
さういふ気持ちで改めて耳を傾けると、彼らのハイレベルな音楽センスに圧倒されて、やがては身も心も躍り出す。
そして彼らのコントに心から大笑ひをしてゐた、あの明るい思ひ出が、次々に蘇る。
かくして私は、ザ・ドリフターズのコミックソングに、やうやく“心の置き処”を見つける。
人間が歌ひ、
人間が演奏する──
人間の手作りは、何物にも勝る藥なのである。
報道屋はさういふものばかりを選って流してゐるのではないか──と、疑ひたくなるほどに、目を背け、耳を塞ぎたくなる悪報ばかり。
それらにまともに取りあってゐたら、それこそ頭がおかしくなりさうだ。
そんな折り、懐かしい音楽を手に入れた。
私が幼かった頃に黄金期を迎へてゐた、“ザ・ドリフターズ”──
神業的コント集団のやうになった後年の印象がだうしても強いが、もともとはビートルズ初来日コンサートで前座をつとめたほどの、ミュージシャンたちだ。
さういふ気持ちで改めて耳を傾けると、彼らのハイレベルな音楽センスに圧倒されて、やがては身も心も躍り出す。
そして彼らのコントに心から大笑ひをしてゐた、あの明るい思ひ出が、次々に蘇る。
かくして私は、ザ・ドリフターズのコミックソングに、やうやく“心の置き処”を見つける。
人間が歌ひ、
人間が演奏する──
人間の手作りは、何物にも勝る藥なのである。