東京都品川區北品川──旧東海道品川宿跡から、かつての海側へ下った一画に、古い家屋を改装した一群を見かけて、足を止める。
第二次大戰の空襲を奇跡的を生き延びた戰前の民家のうち五棟を、“SHINAGAWA1930”として補修再生し、店舗として營業云々。
關東大震災による壊滅状態から復興した戰前昭和の東京は、第二次大戰の空襲によって徹底的に焼き拂はれ、當時の庶民の住まひや暮らしについては、いまや博物館内などで再現されたそれでしか、知ることが出来ない。
かつて米國軍は、かうした東京の町並みを映画のセットのやうに再現し、爆撃實験を行なった上で空襲に臨んだ念の入れやう、そのやうな惡質な計画犯にかかっては、“大和魂”などと云った根性論のバケツリレーに恃むしかなかった大日本帝國など、とうてい太刀打ち出来るはずもない。
そのやうな結論はただ一つの絶望的な情勢下で、この一画が生き延びたことは確かにかなりの奇跡であったと、かつての路地であった敷石に立ち、實感する。
古い家屋を店舗として再生再利用するやり方は、存續させる手立てのひとつとして理解はするが、私はお店に興味はない。
むしろ敷石を軌跡に見立て、いまは失なはれた東京庶民の生活文化に、耳を馳せるものである。