JR川崎驛の東口廣場を通るたびに氣になってゐた「石敢當」と彫られた石碑、昭和四十一年九月の薹風で甚大な被害を受けた宮古島を超党派で復興支援した當時の川崎市へ、返禮として宮古島が贈った沖縄傳統の魔除け石云々。
この時代の沖縄は米夷の占領下にあり、しかもニッポン本土から精神的に切り離さうと、「守礼の光」誌に象徴されるプロパガンダ活動が盛んな頃でもあった。
戰後に重工業地帯として再興した川崎には、沖縄から多くの人々が勞働者として移住し、現在の神奈川縣における沖縄文化の發祥ともなってゐる。
さうした同じ日本人としての“絆”を想ふと、あとから入り込んで来た米夷などに、しょせん日本人の心情(こころ)の深さなど、わかるはずもないのだ。
ちなみに石敢當(せきがんとう)とは、古代唐國における強力無双の力士の名前云々、さう聞いただけで、私はなにか神秘的なチカラを感じてしまふ。