迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

横濱異空間。

2021-07-28 19:03:00 | 浮世見聞記
横濱の「港の見える丘公園」にある大佛次郎記念館で、「これぞ! 大佛歌舞伎」展を観る。



主に十一代目市川團十郎に當てて戯曲を書き下ろした作家なので、資料も成田屋関係ものを中心に期間を分けて展示されてゐる。

そんな大佛次郎の成田屋への戯曲提供は昭和三十六年の「大仏炎上」を以て断絶、その理由は大佛が口にしたとされる役者につひての“不遜な發言”に成田屋が不快感を示し、一方的に上演を中止したため云々。

自分のなかだけの価値觀、世界觀でしかものを見られない性質だったらしい十一代目團十郎ならではの噺だが、そのあたりは未だ十三代目になり損ないの孫がよく似てゐる。

似てゐる、と云ふか、“似たがってゐる”だけ、とも映るが……。


別室から誰かの話し聲がボソボソと聞こえてくるので、なんだらうと覗ひてみると、誰もゐない空間で中村芝翫の八代目が、大佛歌舞伎につひてやけにクサイ口調で語ってゐる動画が放映されてゐた


(※案内チラシより)

「大佛センセイの歌舞伎はとても大切なんです。だから私たちはそれを受け継ひで守ってゐかなくては……」云々。


言ふだけなら易し。



大佛次郎の書ひた十九作の歌舞伎作品のうち、「たぬき」「江戸の夕映」、そして有名な「若き日の信長」は、いづれも學生時代に歌舞伎座で観てゐる。

そして、もともと昭和二十六年に新派のために書き下ろした「楊貴妃」を、國立劇場の歌舞伎公演で再演にあたっては、私の師匠が楊貴妃の姉の役で大阪から呼ばれた。

この時はじめて、私は素顔の師匠に逢った。

いや、逢ったと云ふより、“見かけた”と云ったはうが當ってゐる。

その時はまわりが呆れるほど感激したものだが、その三十年ほど前、同じ國立劇場で大佛次郎晩年の作品「三姉妹」が上演されるにあたり、やはり大阪から呼ばれた若き日の師匠は“權力者”の露骨な横槍によって、大役から小役に降ろされる事件のあったことを、この時の私はもちろん知る由もない……。




港の見える丘公園を下り、山下公園から日本大通りに出ると、その突き當たりにある横濱公園が、敷地内にある球場が茶番大運動會の會場となってゐる関係で封鎖されてゐた。


公園に沿って旧横濱市役所側に回ると、ここでは路上に厳めしげな関門が設けられ、



一般人は迂回を強制される仕組みが出来上がってゐた。



辺りにめぐらされた塀といい、



まるで俄かに監獄でも出来たかのやうだ。



この一帯だけが、「横濱」ではなくなってゐた。








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