例年より寒い節分とかで、こんなに寒くなくてもいいぢゃないか、と確かに思へるほど寒冷に感じた一日。
それは日中に晴れ間がなかったことも手傅ったわけだが、初めて訪れた都内の公園の池の畔から見上げた薄ぼんやりとした空に、長い生活のうちにさうあることではない“何か”を見た氣になる。
かつて住んでいた町の小さな池には辨財天が祀られてゐて、節分には氏子などの有志により、そこでささやかな豆まきが行はれてゐた。
私も一度だけ参加して、駄菓子がたくさん詰まった紙袋を貰って帰った。
現在、その辨財天あたりの景色はかなり変はり、私が駄菓子を持って帰った先の住まいも取り壊されて、違ふ住居になってゐる。
記憶は現在につながってゐるが、生活は現在につながってゐるのか、もしさうだとしたらあまり認めたくない、もふ遠すぎる一昔前の節分の記憶。