迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ごゑんきゃうげん23

2017-04-10 06:05:29 | 戯作
「それはまず、“女人禁制”を改めることでした」

話しはいよいよ、核心に入ろうとしている。

僕は秘かに、生唾をのみこんだ。

下鶴昌之は、僕が話しに食い付いているのを確かめたかのように、ひとつ小さく頷くと、

「それを最初に言い出したのが、なんと宮司さん本人やったのです。われわれ一同、初めはほんまに耳を疑いました。熊橋さんは『何を言うてはります!』と、宮司さんに掴みかからん勢いやったですわ」

宿場本陣の末裔で、先祖代々の保守派なれば、当然の反応だろう。

「そこへ、女人禁制の撤廃に賛成したのが、溝淵さんでした。『旧弊にしばられていては、朝妻歌舞伎が滅んでまう』と、やけに必死になって、氏子たちを説得してはりましたな」

いかにも、“開明派”の末裔らしい。

もっとも、三番叟の権利を“横盗り”した後ろめたさから、ここはひとつ宮司の肩持っておいたほうが良い、とでも考えたのかもしれないが……。

結局、“試験的に”という条件付きで、その年の奉納歌舞伎は、女の子も参加させることなりました。

ところが、娘さんの参加を承諾してくれる家が、どこからも出ませんでした。

八幡宮の奉納歌舞伎は女人禁制が常識やったさかい、急にそれを改めたところで、やはり抵抗がありますわ。

そこで宮司さんは、発案者としての責任をとる言うて、娘婿の嵐師匠と話し合って、嵐師匠の娘―つまり、自分の孫娘を、参加させることにしたのです」

「ああ……」

「苦渋の決断で女人禁制を改めたにもかかわらず、誰も協力的でないことが、宮司さんは腹に据えかねたのでしょう、奉納歌舞伎の配役は、祭主である自分に決定権があるのを幸い、反対した保存会長の熊橋さんには相談せんと、その孫娘を主役に据えることに、決めてしもうたのです」

「で、その娘さんは何の役を演じたんですか?」

分かっていてそう訊くためか、僕は声が震えそうだった。

「狂言は『助六曲輪初若桜』、その主人公の“花川戸助六”ですわ」

下鶴昌之は、なぜか誇らしげな表情をした。

「これには誰もが唖然としました。せいぜい、端役ぐらいでの起用やとばかり、思うてましたやさかい……。

この時、もっとも難色を示したのが、意外にも溝淵さんでした。

実は溝淵さん、自分の親戚の男の子を、主役にしようと狙っておったんですな。

女人禁制に賛成したのも、やはりそこで、宮司さんに恩を売っておくためだったんですわ……」

下鶴氏は溝淵静男のことになると、皮肉を含んだ口調になるのだった。

「溝淵さんは向こうの家族に、必ず主役にすると約束していたらしいんですな。

それだけに、その子の父親が、配役に納得がいかないと、それはそれはゴネおって……。

溝淵さんの自宅へ、怒鳴り込みに行ったようですわ。『話しがまるでちゃうやんか!』とね。

ちなみにその男の子の役は、助六兄弟の敵役の、工藤祐経でした。」

その時のことを思い出しているのか、下鶴昌之は下を向いて苦笑しながら、首を横に振った。

その後もかの父親は、陰で文句ばかり言ったり、わざと息子に稽古を何日もボイコットさせたり、なにかとゴネてばかりおりましたが、その都度溝淵さんが宥めすかして、九月三十日の、奉納当日を迎えました……」

下鶴昌之は遠い目になって、話し続ける。

「私はこのとき、“ツケ打ち”の担当でした。

助六を演じたあかりちゃん……、その子の名前は金澤あかりというたんですが、彼女は稽古の時から、すでに光っていました。

女の子ながら、いかにも助六らしく格好ようて。

才能に男女の別はないんやなぁ、と惚れ惚れしたもんですわ……」

下鶴昌之の目には、もはや八年前の光景しか、映っていないようだった。


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