日本一短い國道(兵庫縣神戸市の國道174號線)、同じく縣道(長野縣上田市の縣道162號線)と訪ねたので、お次は“日本で二番目に短い國道”──國道130號線を訪ねばやと、存じ候。
東京都港區海岸二丁目の日の出桟橋付近より、同芝四丁目の國道十五號線(第一京濱國道)の交差點までを結ぶ482mの道にて、
(※-が國道130號線)
私の足で普通に歩いて、5分23秒の所要時間。
起點は海岸二丁目、“ゆりかもめ”の高架線下あたりで、
やや海岸通り寄りには、國道130號線の起點を示す標識も打ち込まれてゐる。
現在“ゆりかもめ”の高架線が通ってゐる場所は、かつて國鐵貨物線の踏切があり、その海側が芝浦貨物驛云々、その芝浦貨物驛と國道十五號線とを結ぶために定められた國道が件の130號線であったため、貨物線が廢止となった後も、起點はそのまま現在に殘った云々。
さて起點を出發し、
首都高速道路に覆はれた海岸通りを橫斷して芝浦運河に架かる南濱橋を渡り、
自動車販賣店の前を過ぎれば芝浦一丁目の交差點、
ここを渡って東京モノレール線とJR線の下を潜り抜ければすぐ終點に着いてしまふので、交差點を左折して、かつて芝浦に花柳界があった時代を傳へる、「港區立傳統文化交流館」に立ち寄らばやと、存じ候。
マンションと高層ビルと産業道路ばかりのツマラナイ街並みの谷間に、ポツンと建つ純和風建築のそれは、戰前までこのあたりで繁榮した遊興街の名殘りで、昭和十一年(1936年)に建てられた旧見番なり。
見番(けんばん)とは、藝者とその仕事場であるお座敷、またそこで提供される料理諸々を統括する組合事務所のことで、現代人に馴染みがないのは、さうした世界が時代の要請に合はなくなったからに他ならない。
この旧見番も花柳界が衰退した戰後には港湾勞動者たちの宿泊施設に転用され、やがて老朽化により閉鎖、取り壊しの運命にあったが、地元でそれを惜しむ聲が上がり、行政による保存整備工事が行はれて令和二年に現在の公共施設として復活云々。
二階の見事な大廣間には、かつて藝事の修練に重きをなしたと云ふ舞薹も復元されて、
なんとなく往年の色香の漂ふ佇まひに、私もかういふ板の上に立ってみたいものと思ひつつ、そろそろお時間と階下へ下りて國道130號線に戻り、
終點に行き着けり。
人が集まり、行き交ふことでそこに“文化”が生まれ、やがては時代(じかん)の要求にそぐはなければ共に流れ去る──
藝能を樂しみとする一人として、その運命の真理を垣間見た、濃い深いひととき。