三軒茶屋のキャロットタワー三階にある生活工房ギャラリーにて、「祝!世田谷線50周年 世田谷線にのって展」を見る。
かつて、渋谷~二子玉川園を約40から50分かけて結んでゐた、東急の路面電車“玉電”。
正面には窓枠上部の角を丸く取った二面窓、その両脇には縦長の窓を配し、その優美な面差しは昭和25年の登場時から評判がよかったと云ふ。
(※会場内は写真撮影可)
そして貴重なカラー映像「消えゆく玉電」に記録されたその姿に、しばし足をとめる。
ちなみに上の映像は、同時の三軒茶屋を撮らへたもの。
唯一遺ったもと80形は、江ノ電におゐて容貌にだいぶ変更は加へられたが、
もともとが美形なので、損失どころか却って魅力を増してゐる。
このやうなほかに真似手のいない美人に、私はいつも心を惹かれる。
かつて、渋谷~二子玉川園を約40から50分かけて結んでゐた、東急の路面電車“玉電”。
ちょうど五十年前の今日にあたる昭和44年5月10日に玉電は廃止となったが、三軒茶屋から分岐する支線だった下高井戸線は、全区間が道路上を走行しない専用軌道であることが幸いして存続することになり、その翌日から「世田谷線」として再生し、今日に至る。
しかし私は、300形電車が走る現在の世田谷線には、全く興味はない。
昔ながらの雰囲気を残す線路に、あのやけに新しい車両の走る光景が、いまだに違和感があって馴染めないのだ。
やはり、玉電時代の生き残りだったデハ80形の時代が、強く印象に残ってゐるからだらう。
この企画展に出かけたのも、平成13年まで健在だったデハ80形の、在りし日を見たかったからだ。
私はデハ80形が好きだった。
正面には窓枠上部の角を丸く取った二面窓、その両脇には縦長の窓を配し、その優美な面差しは昭和25年の登場時から評判がよかったと云ふ。
熱狂的な世田谷線愛好家が所蔵する廃車部品の数々もさることながら、
(※会場内は写真撮影可)
やはり私は、かつての世田谷の風景も伝へる往年の写真、
そして貴重なカラー映像「消えゆく玉電」に記録されたその姿に、しばし足をとめる。
ちなみに上の映像は、同時の三軒茶屋を撮らへたもの。
クルマが電車の際を、それもかなりの速度で走り抜けてゐる危なっかしさに、現在のドライバーはこの時代の人たちの子や孫であることを、数多の“学習能力”の惡さより見る。
21世紀の到来と入れ替はるやうにして引退したデハ80形は全て解体されたが、玉電廃止後に江ノ電へ譲渡されて“600形”として活躍したのち、平成2年に里帰りをした一両を、宮の坂駅の脇で見ることができる。
唯一遺ったもと80形は、江ノ電におゐて容貌にだいぶ変更は加へられたが、
もともとが美形なので、損失どころか却って魅力を増してゐる。
では、往年のあの美しい姿にはまう逢へないのだらうか……?
否。
逢へる!
それも半永久的に、おのれの手許で!
“模型”といふ、私の記憶を裏切らない確かな方法が、この浮世には存在するのである!
このやうなほかに真似手のいない美人に、私はいつも心を惹かれる。
何かを猿真似した綺羅など、しょせんはタダの模造品、掃ひて捨てて、それでオシマイ。
浮世では、
『美人は三日で飽きる』
とか云ふ。
しかし本當の美人は、『三日で惚れ直す』。