人災疫病のために亡くなった志村けんさんを名誉市民に認定した東村山市と、とても同じ市とは思へない噺です。
學童の間でも集團感染の事例が頻發してゐるなか、それにはまったく知らん顔で茶番大運動會の開催計画だけは押し進める、かうした官の強硬姿勢は、いまや狂氣の沙汰と云ふほかにありません。
為政者があくまでこの國難を無視して茶番大運動會を強行するのであれば、我々國民は皆で、あくまでその茶番大運動會を無視すればよいのです。
一切協力しない──これはなかなか強力な意志表示です。
そして保護者は“保護”のために、自分の子を一切参加させないのです。
もとより私は、本當に強行するつもりならば、徹底的に無視することで、大反對の立場を貫き通すものであります。
或る人は私に、「スポーツには人の心を一つにする力がある」と説きました。
私の心はこれまで、その事で一度も他人と一つになったことはありませんが、なるほど、今度は初めてさうなるかもしれません。
「特別」なる運動屋への怨嗟、と云ふ意味におゐて……。