お墓参りに行く。
祖父母と伯父たちに、新年の挨拶。
驛ビルでは福袋待ちの行列。
最上階の飲食店街も行列で停滞。
無用の雑踏にいつまでも身をおく必要はない。
さっさと帰宅したはうが利口のやうだ。
全車指定の特急列車は滑り込みで切符がとれる。
『お客様には、今年も幸せな一年でありますやうに』
そんな気の利いた放送をする車掌さんの聲が、耳に心地良い。
車窓からの暖かい日差しにウトウトしながら、心のどこかで早く通常の気持ちに戻らなくては、と囁く私がゐる。
帰宅してTVをつけると、寄席中継で神田松之丞が「扇の的」を好演してゐた。
なぜ通常の氣分を欲するのか、そのわけを知る。
自分も半月後には、那須与一を舞ふからだ──
なぜ人前に立ちたいのか──?
それは、自分が主役をやりたいから。
私はその本音を、みずからの作品をもって正直に表現する。
他人(ひと)の引き立て役になるつもりなど、私には無い。
私はその本音を、みずからの作品をもって、正直に表現する。
私はさうした場を、自力本願をもって創り出す。
私はさうした場を、自力本願をもって創り出す。
今年もやりたいことが、たくさんある。
そのためにも、今はのんびりしているべきか。
さうだ、さうだ。