地獄寒波により東京の朝の氣温がマイナスと云ふ極寒の一日、國立劇場の初春芝居「通し狂言 遠山桜天保日記」を觀る。
國立劇場で歌舞伎見物と云ふと、近年は前進座の摩訶不思議なそればかりゆゑ、このあたりで一度ちゃんと本業屋のものを觀ておきたいナァ、と思ってゐたところへ、年齢を重ねるごとに化粧(かお)が雑になっていく尾上菊五郎(おとはや)の、珍しく男前にキメた遠山金四郎役の宣傳冩真を目にして、
ヨシこれを目當てに行かうと決めた次第。
水野忠邦の天保の改革によって庶民の娯樂が厳しく制限されやうとしてゐる時世を背景に、よんどころない事情で盗賊となった三人の男の噺を主筋として、そこへ遠山金四郎がオイシイ所だけ絡む構成となってゐるのは、尾上菊五郎の年齢ゆゑに仕方がない。
容姿も調子(こゑ)もかつてのままに若々しいが、やはり足許は後期高齢者、しかしそれでも登場すれば、例の櫻吹雪を見せるより先に舞臺にパッと華が咲き、さすが「音羽屋ァ!」
よって、遠山金四郎が登場する以外の世話芝居はまるで退屈なれど、それでも寺の金をちょろまかして吉原へ遊びに行かうとする途中で短筒強盗に仕立てられ、房州佐倉で牢抜けして盗っ人に転落した坊主崩れを坂東彦三郎が手堅く好演してゐたのは瞠目もの、これは意外なお年玉。
噺の〆は遠山金四郎がお白洲でお馴染みの芝居、劇中で誰一人として死者を出さない名裁きを下して初春らしい華を添へる。
今回書き加へられた大詰の“河原崎座初芝居の場”は、主だった出演者が一転して綺麗な扮装(こしらへ)に改まって長唄地の所作事を見せる景事仕立て、そのなかの「俄獅子」は、私がかつて大阪へ移住した翌月に東京へ一ヶ月滞在した際、この劇場の歌舞伎公演で上演されてゐた曲で、奇しくもあの時と同じ一派による三味線の音色に、「そんなこともあったわい……」と、つひ“初代國立劇場の思ひ出”に浸る。