鹿児島の地方ニュースで「アメリカでの手術が必要な心臓病の4歳女児ための募金が目標額1億1000万円に到達した」というものがありました。
心温まる人々の善意に関するニュースで、ときどきこの類は見聞きします。
しかし正直なところ、このニュースを聞いて私は素直に喜べませんでした。
「この1億1000万円があればどれだけ世界の子供が救われるのだろうか?」
「なぜこの子はこれだけの善意を受けられ、その一方で、貧しい国々や紛争国ではわずかな薬、食料などがあれば助かる命が無数に失われていくのか?」
「人々はこの事実をどう考えるのか?国が違うから仕方がないのか?」等々。
もとより生まれた国によって全くことなる環境で生きねばならない不平等、それが当然のごとくやりすごされる不条理をとやかく言っても仕方がないのかも。
私自身、このようなことを言いながら何をするでもなく、時折現地の人々からは想像もつかない金額を使ってアジア国々での物見遊山の旅行を楽しむような人間です。
さすがに全く何もしないのも心苦しく、ユニセフに毎月雀の涙ほどの寄付を定期的に行い、年数回送ってくる寄付依頼にたまに免罪符的に応じることもある、そんなことしかしていません。
逆に言えば、私のような基本的に他人の不幸に冷淡な人間でもある程度の情報が与えられれば、上記ぐらいの寄付程度はする。
まして、普通の善意を持った人なら、困窮する海外の実情などの情報に接すればもっと大きな結果を期待できるのでは。
そんな気もします。
重要なことは、海外の困窮する子供達・人々の情報をより身近な情報として普段から提供して人々の善意の具体化を実現するマスコミ・教育、資金の現地での使われ方に道筋をつける政治、そういったマスコミ・教育・政治の姿勢ではないでしょうか。
海外における困難を直視してわずかでもそれらと繋がりを持つことで、世界における日本の立場に関する意識、日本国内の現状に関する認識を深めていくことができるのではないでしょうか。
そして、そのような意識で世界とつながることが、究極的には日本に対する世界の信頼と公正を獲得することにつながり、日本の安全にも寄与するのではないでしょうか。
善意のニュースを天邪鬼的に聞きながら、そんなことを感じました。
(写真は慈善活動支援サイト“イーココロ”から拝借しました。本文との関わりは一切ありません。また、どれだけのお金があればどのくらいの命が助かるのかはユニセフのサイトなどをご覧ください。)
http://www.unicef.or.jp/cooperate/coop_support.html