テディちゃとネーさの読書雑記

ぬいぐるみの「テディちゃ」と養い親?「ネーさ」がナビする、新旧の様々な読書雑想と身辺記録です。

ヴィンチ村発、アンボワーズ着。

2019-10-04 22:38:32 | ブックス
「こんにちわッ、テディちゃでス!
 いよいよォ、あしたァなのでス!」
「がるる!ぐるがるるる~!」(←訳:念を送るんだ~!)

 こんにちは、ネーさです。
 ラグビーワールドカップ予選プールAは大混戦、
 明日10月5日の日本チームの試合はどうなることか……?
 期待と不安が交叉する週末を前に、
 さあ、読書タイムですよ。
 本日は、こちらの御本を、どうぞ~♪

  



   ―― レオナルド・ダ・ヴィンチを旅する ――



 監修は池上英洋(いけがみ・ひでひろ)さん、
 2019年5月に発行されました。
 『別冊太陽』の273号には
 『没後500年』と副題が付されています。

「ふァ~、ぼつごォごひゃくねんッ?」
「ぐるるるがるるるる!」(←訳:そんなになるんだね!)

 前回記事では、
 20世紀アメリカ美術の巨匠エドワード・ホッパーさんの絵画を
 テーマにしたアンソロジー作品を御紹介いたしました。
 そうして今回は……
 ええ、もう、説明の必要など全くありませんね、
 世界史上というべきか人類史上というべきか、
 巨匠中の巨匠・レオナルド・ダ・ヴィンチさんの
 生涯と絵画作品を追いかけてみましょう。

 レオナルドさんが生まれたのは、
 1452年の4月15日、
 土曜日の夜の、第3時――
 現在の午後10時から11時の間、だったそうです。

「ほわわッ! こまかいィ~!」
「がるぐるるるる!」(←訳:よく分かるなあ!)

 これほど詳しく分かっているのは、
 公証人をしていたレオナルドさんのお祖父さんが
 記録を残していたためです。

 父の名はセル・ピエロ(セルは敬称に当たります)、
 母の名はカテリーナさん、
 しかし、レオナルドさんは婚外子で私生児、
 祖父母夫妻と叔父に育てられて育つ、という
 やや複雑な家庭環境ではありましたが、
 結果的にはこれが、
 “芸術家レオナルド”誕生の素地になりました。

 父、それに祖父も曽祖父も、
 公証人組合に属する公証人。
 
 ではレオナルドさんも、と……とは行きません。

 組合の規約では、
 婚外子は公証人を継げないのです。

「あァ~…」
「ぐる~…」

 一族代々のお仕事ともいえる公証人への道は閉ざされたものの、
 セル・ピエロはレオナルド少年の才能を感じ取り、
 友人の芸術家アンドレア・デル・ヴェロッキオさんに
 相談をします。
 すると。

「ぶらぼォ~!」
「がるるるぐるがるる!」(←訳:ようこそ我が工房へ!)

 1465年頃、
 つまりレオナルドさんが13歳の頃、
 ヴェロッキオさんの工房に徒弟として入門し、
 30歳(1482年)の時にフィレンツェを出てミラノへ、
 48歳(1500年)でミラノを発って
 マントヴァへ、ヴェネツィアへ、
 またフィレンツェへ、ローマへ、ミラノへ……と
 都市を遍歴したレオナルドさんは、
 64歳の時(1516年)、
 フランス王フランソワ一世によって
 アンボワーズの城に招かれました。

 レオナルドさんが没したのは1519年、
 67歳のときのこと。

 伝説によれば、
 王フランソワ一世に看取られての、
 穏やかな最期であったとか……。

「どうかァ、やすらかにィ!」
「ぐるるがるるるる!」(←訳:我らがマエストロ!)

 レオナルドさんの絵画作品を多数収録し、
 工房の日常生活をリアルに想起させる
 『毎日のお買い物メモ』などの資料など、
 多彩な資料で再現する
 ヴィンチ村からアンボワーズ城までの
 長い長い旅路。

 御本の本文ラストに、

 フランス革命の混乱で
 レオナルドさんのお墓は破壊されてしまい、
 遺体は今も発見されていない――
 
 と綴られていて、
 胸を締め付けられる思いがします。

 アラブの富豪に落札され、
 現在は所在不明となっている
 『サルヴァトール・ムンディ』のように、
 ああ、レオナルドさんは何処へ
 去っていったのか。

「みつかりィまスようにィ!」
「がるるるるぐっる!」(←訳:見つけようきっと!)

 アート好きな方々、
 歴史好きな活字マニアさんも、
 どうか、ぜひ一読を。
 
 
 
 
 
コメント
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