「こんにちわッ、テディちゃでス!
いよいよォ、あしたァなのでス!」
「がるる!ぐるがるるる~!」(←訳:念を送るんだ~!)
こんにちは、ネーさです。
ラグビーワールドカップ予選プールAは大混戦、
明日10月5日の日本チームの試合はどうなることか……?
期待と不安が交叉する週末を前に、
さあ、読書タイムですよ。
本日は、こちらの御本を、どうぞ~♪
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―― レオナルド・ダ・ヴィンチを旅する ――
監修は池上英洋(いけがみ・ひでひろ)さん、
2019年5月に発行されました。
『別冊太陽』の273号には
『没後500年』と副題が付されています。
「ふァ~、ぼつごォごひゃくねんッ?」
「ぐるるるがるるるる!」(←訳:そんなになるんだね!)
前回記事では、
20世紀アメリカ美術の巨匠エドワード・ホッパーさんの絵画を
テーマにしたアンソロジー作品を御紹介いたしました。
そうして今回は……
ええ、もう、説明の必要など全くありませんね、
世界史上というべきか人類史上というべきか、
巨匠中の巨匠・レオナルド・ダ・ヴィンチさんの
生涯と絵画作品を追いかけてみましょう。
レオナルドさんが生まれたのは、
1452年の4月15日、
土曜日の夜の、第3時――
現在の午後10時から11時の間、だったそうです。
「ほわわッ! こまかいィ~!」
「がるぐるるるる!」(←訳:よく分かるなあ!)
これほど詳しく分かっているのは、
公証人をしていたレオナルドさんのお祖父さんが
記録を残していたためです。
父の名はセル・ピエロ(セルは敬称に当たります)、
母の名はカテリーナさん、
しかし、レオナルドさんは婚外子で私生児、
祖父母夫妻と叔父に育てられて育つ、という
やや複雑な家庭環境ではありましたが、
結果的にはこれが、
“芸術家レオナルド”誕生の素地になりました。
父、それに祖父も曽祖父も、
公証人組合に属する公証人。
ではレオナルドさんも、と……とは行きません。
組合の規約では、
婚外子は公証人を継げないのです。
「あァ~…」
「ぐる~…」
一族代々のお仕事ともいえる公証人への道は閉ざされたものの、
セル・ピエロはレオナルド少年の才能を感じ取り、
友人の芸術家アンドレア・デル・ヴェロッキオさんに
相談をします。
すると。
「ぶらぼォ~!」
「がるるるぐるがるる!」(←訳:ようこそ我が工房へ!)
1465年頃、
つまりレオナルドさんが13歳の頃、
ヴェロッキオさんの工房に徒弟として入門し、
30歳(1482年)の時にフィレンツェを出てミラノへ、
48歳(1500年)でミラノを発って
マントヴァへ、ヴェネツィアへ、
またフィレンツェへ、ローマへ、ミラノへ……と
都市を遍歴したレオナルドさんは、
64歳の時(1516年)、
フランス王フランソワ一世によって
アンボワーズの城に招かれました。
レオナルドさんが没したのは1519年、
67歳のときのこと。
伝説によれば、
王フランソワ一世に看取られての、
穏やかな最期であったとか……。
「どうかァ、やすらかにィ!」
「ぐるるがるるるる!」(←訳:我らがマエストロ!)
レオナルドさんの絵画作品を多数収録し、
工房の日常生活をリアルに想起させる
『毎日のお買い物メモ』などの資料など、
多彩な資料で再現する
ヴィンチ村からアンボワーズ城までの
長い長い旅路。
御本の本文ラストに、
フランス革命の混乱で
レオナルドさんのお墓は破壊されてしまい、
遺体は今も発見されていない――
と綴られていて、
胸を締め付けられる思いがします。
アラブの富豪に落札され、
現在は所在不明となっている
『サルヴァトール・ムンディ』のように、
ああ、レオナルドさんは何処へ
去っていったのか。
「みつかりィまスようにィ!」
「がるるるるぐっる!」(←訳:見つけようきっと!)
アート好きな方々、
歴史好きな活字マニアさんも、
どうか、ぜひ一読を。
いよいよォ、あしたァなのでス!」
「がるる!ぐるがるるる~!」(←訳:念を送るんだ~!)
こんにちは、ネーさです。
ラグビーワールドカップ予選プールAは大混戦、
明日10月5日の日本チームの試合はどうなることか……?
期待と不安が交叉する週末を前に、
さあ、読書タイムですよ。
本日は、こちらの御本を、どうぞ~♪

―― レオナルド・ダ・ヴィンチを旅する ――
監修は池上英洋(いけがみ・ひでひろ)さん、
2019年5月に発行されました。
『別冊太陽』の273号には
『没後500年』と副題が付されています。
「ふァ~、ぼつごォごひゃくねんッ?」
「ぐるるるがるるるる!」(←訳:そんなになるんだね!)
前回記事では、
20世紀アメリカ美術の巨匠エドワード・ホッパーさんの絵画を
テーマにしたアンソロジー作品を御紹介いたしました。
そうして今回は……
ええ、もう、説明の必要など全くありませんね、
世界史上というべきか人類史上というべきか、
巨匠中の巨匠・レオナルド・ダ・ヴィンチさんの
生涯と絵画作品を追いかけてみましょう。
レオナルドさんが生まれたのは、
1452年の4月15日、
土曜日の夜の、第3時――
現在の午後10時から11時の間、だったそうです。
「ほわわッ! こまかいィ~!」
「がるぐるるるる!」(←訳:よく分かるなあ!)
これほど詳しく分かっているのは、
公証人をしていたレオナルドさんのお祖父さんが
記録を残していたためです。
父の名はセル・ピエロ(セルは敬称に当たります)、
母の名はカテリーナさん、
しかし、レオナルドさんは婚外子で私生児、
祖父母夫妻と叔父に育てられて育つ、という
やや複雑な家庭環境ではありましたが、
結果的にはこれが、
“芸術家レオナルド”誕生の素地になりました。
父、それに祖父も曽祖父も、
公証人組合に属する公証人。
ではレオナルドさんも、と……とは行きません。
組合の規約では、
婚外子は公証人を継げないのです。
「あァ~…」
「ぐる~…」
一族代々のお仕事ともいえる公証人への道は閉ざされたものの、
セル・ピエロはレオナルド少年の才能を感じ取り、
友人の芸術家アンドレア・デル・ヴェロッキオさんに
相談をします。
すると。
「ぶらぼォ~!」
「がるるるぐるがるる!」(←訳:ようこそ我が工房へ!)
1465年頃、
つまりレオナルドさんが13歳の頃、
ヴェロッキオさんの工房に徒弟として入門し、
30歳(1482年)の時にフィレンツェを出てミラノへ、
48歳(1500年)でミラノを発って
マントヴァへ、ヴェネツィアへ、
またフィレンツェへ、ローマへ、ミラノへ……と
都市を遍歴したレオナルドさんは、
64歳の時(1516年)、
フランス王フランソワ一世によって
アンボワーズの城に招かれました。
レオナルドさんが没したのは1519年、
67歳のときのこと。
伝説によれば、
王フランソワ一世に看取られての、
穏やかな最期であったとか……。
「どうかァ、やすらかにィ!」
「ぐるるがるるるる!」(←訳:我らがマエストロ!)
レオナルドさんの絵画作品を多数収録し、
工房の日常生活をリアルに想起させる
『毎日のお買い物メモ』などの資料など、
多彩な資料で再現する
ヴィンチ村からアンボワーズ城までの
長い長い旅路。
御本の本文ラストに、
フランス革命の混乱で
レオナルドさんのお墓は破壊されてしまい、
遺体は今も発見されていない――
と綴られていて、
胸を締め付けられる思いがします。
アラブの富豪に落札され、
現在は所在不明となっている
『サルヴァトール・ムンディ』のように、
ああ、レオナルドさんは何処へ
去っていったのか。
「みつかりィまスようにィ!」
「がるるるるぐっる!」(←訳:見つけようきっと!)
アート好きな方々、
歴史好きな活字マニアさんも、
どうか、ぜひ一読を。