従姉から珍しい写真をメールで送ってもらいました。

裸姿はわたしの親父です。
この写真は初めて見るもの。まさかこんな写真が残っていたとは!
多分昭和30年代始め。
親父の後ろに見えにくいけれど2馬力の精米機があります。
多分機械は動いていて、それの番をしているのでしょう。
この頃の精米機は巡回式。時間がかかったのです。
横に薪が山のように積んであります。
売りものです。
これは「クヌギノシャクロク」と言います。クヌギの木の一尺六寸というわけ。
他に「シャクニ」も有りました。
ご飯を炊いたり風呂に焚いたりして、よく売れたのです。
その前に縄のようなものがあります。
これは米俵とそれを縛っていた縄ですね。
精米機に投入して空いた米俵です。
さてその前に袋が積んであります。
これはお米です。
この後、配達にゆくために自転車に積んであります。
自転車は見えませんがこれは配達自転車。
普通の自転車より頑丈にできています。
この写真はネットからお借りしました。
タイヤは太いのですが後ろは特別太いもの。
スタンドもガッチリとしていて安定感があります。
やわなスタンドでは自転車がひっくり返ってしまいます。
今、神戸新聞の連載小説「むーさんの背中」というのにこんな自転車が度々登場して、懐かしく読んでいるところでした。
積まれているお米がもたれている二本の鉄棒がありますが、これは親父の特注品。
特別長く作ってあります。
少しでも多く積めるように。
高く積みますので安定感はありません。
わたしもこの自転車で配達しましたが運転は難しかったです。
一旦バランスを崩すと立て直せません。
飛びのいて逃げるだけです。
このように布袋ならいいのですが、わたしは一度、紙袋を90キロ(30キロ×3)、(あるいは120キロだったかも)を積んでいて、止めて降りるときにバランスを崩し、袋を破ったことがあります。
白いお米が道路に飛び散り、情けない思いをしました。
まだ10代の少年時代です。
わたし、17歳の時(昭和36年)にこの親父が死んで米屋を継ぎました。
多分日本で最も若い米穀店主だったと思います。
懐かしい写真でした。
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裸姿はわたしの親父です。
この写真は初めて見るもの。まさかこんな写真が残っていたとは!
多分昭和30年代始め。
親父の後ろに見えにくいけれど2馬力の精米機があります。
多分機械は動いていて、それの番をしているのでしょう。
この頃の精米機は巡回式。時間がかかったのです。
横に薪が山のように積んであります。
売りものです。
これは「クヌギノシャクロク」と言います。クヌギの木の一尺六寸というわけ。
他に「シャクニ」も有りました。
ご飯を炊いたり風呂に焚いたりして、よく売れたのです。
その前に縄のようなものがあります。
これは米俵とそれを縛っていた縄ですね。
精米機に投入して空いた米俵です。
さてその前に袋が積んであります。
これはお米です。
この後、配達にゆくために自転車に積んであります。
自転車は見えませんがこれは配達自転車。
普通の自転車より頑丈にできています。
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タイヤは太いのですが後ろは特別太いもの。
スタンドもガッチリとしていて安定感があります。
やわなスタンドでは自転車がひっくり返ってしまいます。
今、神戸新聞の連載小説「むーさんの背中」というのにこんな自転車が度々登場して、懐かしく読んでいるところでした。
積まれているお米がもたれている二本の鉄棒がありますが、これは親父の特注品。
特別長く作ってあります。
少しでも多く積めるように。
高く積みますので安定感はありません。
わたしもこの自転車で配達しましたが運転は難しかったです。
一旦バランスを崩すと立て直せません。
飛びのいて逃げるだけです。
このように布袋ならいいのですが、わたしは一度、紙袋を90キロ(30キロ×3)、(あるいは120キロだったかも)を積んでいて、止めて降りるときにバランスを崩し、袋を破ったことがあります。
白いお米が道路に飛び散り、情けない思いをしました。
まだ10代の少年時代です。
わたし、17歳の時(昭和36年)にこの親父が死んで米屋を継ぎました。
多分日本で最も若い米穀店主だったと思います。
懐かしい写真でした。