喫茶 輪

コーヒーカップの耳

62年前の『あまカラ』の竹中郁

2022-09-22 14:52:14 | 本・雑誌
1960年の雑誌『あまカラ』です。「食」に関するエッセイ集のような。
大分前に古書店さんで入手したもの。



目次を見ると、なかなかの書き手が書いておられます。
小島政二郎、長谷川伸、谷内六郎、安藤鶴夫、獅子文六、子母澤寛、邸永漢、など20人。
そして竹中郁さんが「店にあるじあり」と題して、明石のたこ焼き屋さんのことを書いておられる。
これがいいです。
郁さんといえば、その詩もエッセイも切れ味鋭くシャープなイメージがありますが、この文章はちょっと趣が異なるような気がします。
ゆっくりと水が流れるような、雲が流れるような、しみじみともいえる語り口で書かれています。
うまいですね~!読ませます。
興味のある人は読んでみてください。
←二段階クリック。







この『あまカラ』に連載された竹中郁さんのエッセイは『私のびっくり箱』などの書籍には収載されていないと思います。
生前の足立巻一先生が惜しんでおられたのでした。

『触媒のうた』竹中郁さんの話も収録されています。

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2022年秋の彼岸

2022-09-22 14:08:36 | 日記
朝は天気が悪かったのですが、雨が上がって行ってきました。
明日は悪天が予報されてますので。
秋の彼岸の墓参です。
森具の丘。
六甲山にはまだ重い雲がかかっていました。


東の空には青空も。


妻と二人で掃除して、花、線香を手向けて、
二人で読経して、「バイバイ」と言って帰って来ました。
雨に降られなくて良かったです。
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「挨拶」という言葉

2022-09-22 07:46:26 | 本・雑誌
今、毎朝少しずつ読んでいる本、『新・座禅のすすめ』
教えられることが多いです。
今朝、本文はみんな読み終えて、「禅宗用語解説」に目を移すと、最初の言葉の解説に「へえ?」と思いました。
「挨拶」です。
《挨は「迫る」、拶は「切りこむ」こと。師匠と弟子とのやりとりのこと。今では日常語にもなっている。》
元々仏教用語だったんですね。知らなかった。
ネット検索してみました。
「挨拶」
そうだったんですね。

『コーヒーカップの耳』人は気を許すと、こうも赤裸々に語れるものなのか。
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