必要があって読んでいる。
『ひょうごの野の書』(村上翔雲著・神戸新聞出版センター刊・昭和58年)。
名著です。しかしネットの古書価格は非情に安い。わたしはこの本が不当に扱われている気がしてしまう。
「書」に興味のある人、必携の書です。
其の中に梵字に関するページが。
わたし梵字のことは全く分かりません。
この写真の梵字、「上が阿弥陀仏、左が至誠、右が観音を表しており、いわゆる阿弥陀三尊と呼ばれるものである」と。
そうだったのか!
で、うちの隣の地蔵さんの境内の無縁碑。
ここの梵字は?と見に行ってみると、
正に「阿弥陀三尊」でした。
毎日毎日、知らずに手を合わせていたのでした。
高校一ヶ月中退という学歴の自分の浅学はよくわかっております。しかし、それを恥じるということはありません。
でも、残念に思うことはあります。今まで知らなかったのが、です。
そこで思い出したのが、拙著『触媒のうた』について、ある人がネットに上げた文章があります。
《90歳を超える神戸の文学者宮崎修二朗は著書も多いが、喫茶店主で詩人の著者が話を聞いて連載したもの。足立巻一、柳田国男、谷崎潤一郎、富田砕花などの話が出てくる。「ですねえ」といった文体が気になるのと、宮崎、富田などが名誉欲がないというのが激しすぎて気になる。あと驚いたのが宮崎が「断簡零墨」と言ったのを、著者が難しい言葉だと辞書で調べたというところ。》
この文章には少々悔しい思いをしました。「断簡零墨」と言う言葉を知らなかったことは恥ずかしいとは思いませんが、それを「そんなことも知らないのか?この著者は」と馬鹿にされた気がして悔しかったのでした。