神戸新聞、今日の夕刊「随想」欄に大澤壽人のことを、河合珠江さんという人が書いておられる。
記事では「大沢寿人」となっている。
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大澤は拙著『触媒のうた』にも上げているが、神戸出身の作曲家。
戦後の一時期、宮崎修二朗翁と親しかった人だ。
香櫨園の浜での酒盛りの写真を『触媒のうた』にも上げているが、大澤は実にラフな姿で写っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/14/f7566c9d1f9d961dedaa293cf5cb6c28.jpg)
こんな写真、ご親族と私以外、もうだれも持っていないでしょうねえ。
あ、そうだ。河合さんの文章の中に、報徳学園の校歌の作曲者が大沢だと書いてある。
しかし作詞者の名前は書いておられない。もちろん作詞者は富田砕花である。
富田砕花さんのことは、拙ブログ、前ページに書いたところだった。
これも小さな偶然か。
記事では「大沢寿人」となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3f/27/0c2f33e575809e3e965b31500ec343ca_s.jpg)
大澤は拙著『触媒のうた』にも上げているが、神戸出身の作曲家。
戦後の一時期、宮崎修二朗翁と親しかった人だ。
香櫨園の浜での酒盛りの写真を『触媒のうた』にも上げているが、大澤は実にラフな姿で写っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/14/f7566c9d1f9d961dedaa293cf5cb6c28.jpg)
こんな写真、ご親族と私以外、もうだれも持っていないでしょうねえ。
あ、そうだ。河合さんの文章の中に、報徳学園の校歌の作曲者が大沢だと書いてある。
しかし作詞者の名前は書いておられない。もちろん作詞者は富田砕花である。
富田砕花さんのことは、拙ブログ、前ページに書いたところだった。
これも小さな偶然か。