時実新子さんのお弟子さんの茉莉亜まりさんからお贈りいただいたコピーを冊子に製本しました。
49回の連載の中の一部ですが。
『現代川柳」誌に2012年9月より連載しておられた(7月号で最終回)「月の子の風景」という新子論。
さすがに新子さんが認められた人。鋭い文章で読みごたえがある。
わたしが知らなかった新子さんの内面も、鋭い刃物で切って見せるように。
そんな中、《愛しいと書いて「かなしい」とルビを振ることを好んだ新子。》という文章があった。
そうか、そうだったのか。だからわたしは新子さんに魅かれたのか。
そして新子さんもお付き合いくださったのか。
拙著、詩集『コーヒーカップの耳』の扉にわたしは書いている。
《こんなにも愛しく愛しい人間模様を語って下さるカウンター席のお客様に、深く感謝します。》と。
「愛しく愛しい」には「いとしくかなしい」とルビを振って。
そういえば、新子さんが命をかけるように発行しておられた『川柳大学』100号記念号(2004年4月号)に書かせていただいた拙文にもわたしはこの言葉を使ったことを思い出した。文章の最後を《新子さんもまた愛しい人ではある。》と締めたのだった。
「愛」に「かな」とルビを振って。
49回の連載の中の一部ですが。
『現代川柳」誌に2012年9月より連載しておられた(7月号で最終回)「月の子の風景」という新子論。
さすがに新子さんが認められた人。鋭い文章で読みごたえがある。
わたしが知らなかった新子さんの内面も、鋭い刃物で切って見せるように。
そんな中、《愛しいと書いて「かなしい」とルビを振ることを好んだ新子。》という文章があった。
そうか、そうだったのか。だからわたしは新子さんに魅かれたのか。
そして新子さんもお付き合いくださったのか。
拙著、詩集『コーヒーカップの耳』の扉にわたしは書いている。
《こんなにも愛しく愛しい人間模様を語って下さるカウンター席のお客様に、深く感謝します。》と。
「愛しく愛しい」には「いとしくかなしい」とルビを振って。
そういえば、新子さんが命をかけるように発行しておられた『川柳大学』100号記念号(2004年4月号)に書かせていただいた拙文にもわたしはこの言葉を使ったことを思い出した。文章の最後を《新子さんもまた愛しい人ではある。》と締めたのだった。
「愛」に「かな」とルビを振って。