団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★米国GHQが犯罪として処理した在日朝鮮人

2019年10月31日 | GHQ

  どこまで本当か確認できていないのですが、興味深いツイートがありました。何とGHQが、在日朝鮮人の犯罪処理数を資料として残しているのだそうです。
  おまけに、それが教科書にも載っていたのですが、今は完全に消されているようです。もしこの資料が今もあるのなら是非公開して、世界にも発信してもらいたいものです。
  
  これは、政府・外務省の仕事でしょう。たまには日本の為に仕事をしてみたらどうでしょう。


  あの杉並区の議員さんがブログで取り上げてくれています。国会議員にも働きかけて貰いたいものです。

  参考:【教科書から消された昭和史】戦後の朝鮮人犯罪が欠落!!佐々木千夏  2019-09-04

  この資料が出てくれば、日本にとっては強力な武器になりそうです。尤も、奴等には真実も関係ないのでしょうが、世界に広報して日本の名誉を挽回する助けにはなるでしょう。


★完全に崩壊している教育界

2019年10月21日 | GHQ

  アメリにも程度が低い事件に呆れて、19日、第1444回の「★朝日新聞の素晴らしい正論」で、取り上げたときにも書かなかった教員の同僚苛め問題ですが、何と、その対策として打ち出された方策が苛め以上にバカらしい話なので、一応日本の教育の劣化の証拠として書いておきます。

  何時ものナザレンコ・アンドリーさんがツイートで呆れ果てています。もしかしたら日本が嫌いになるのじゃないでしょうか。

   もしかしたら、日本の教育の再生なんて不可能なのかもしれません。少なくとも今手を付けても何十年と掛かるのでしょう。とは言え、手を付けるのは一日も早くしなければなりません。  

  しかし、こんな対策を誰が出してきたのでしょう。と言うかそれを採用したのだから組織全体の責任です。ここまで見事にアホだと笑うしかないですね。


★戦後教育の優等生が日本を消滅させる

2019年07月16日 | GHQ

  週末恒例の【討 論】は、相変わらず気が滅入るものでした。タイトルは今度の選挙についてでしたが、皆さん、そんなことより、今の防衛や経済など日本の根本に関わることを論議しない国会議員に怒り心頭でした。

  結局は、戦後のGHQによって仕組まれた記憶力だけの受験勉強を勝ち抜いた思考能力の無い優等生達が、きちんとした国家観も歴史観も持たないままに耳障りの良いリベラルが得意とするレッテルに騙されて国政に携わっていることが元凶です。
  自分達が何をやっているかが理解出来ない者達が自分は偉いんだと勘違いして国を滅ぼそうとしているのです。何とも、情けなく恐ろしいことでしょう。

  せめて、この討論をされている方達が国会議員であって欲しいものです。皆さん、今度の選挙は政党じゃなく個人で選んでくださいと叫んでいたのが印象的でした。つまり、それだけ政治に携わる値打ちのないものが沢山立候補しているということです。

  公の為に働く気概のないものが政治かを目指すな。と言われても、本人達はその意味も分からないのじゃないでしょうか。


【討 論】選挙で戦われるべき本当のこと[桜R1/7/13]


★日本人の謙虚さにつけ込んできたWGIP

2019年05月08日 | GHQ

  日本人の殆どの人より日本を愛し、日本を理解してくれているジェイソン・モーガンがゲストの中山恭子さん、【夢を紡いで】、5月2日、の「 ★ これこそ『人道への罪』では? WGIP」の続きです。
  ここでも、WGIPが如何に日本人を害してきたかを熱く語ってくれています。未だに強まる洗脳は、その通りでしょう。それを、日本人の謙虚さにつけ込んだものという考えも目から鱗です。

  日本人にはこのWGIPを敗戦国に仕込むなんて考えは思いつきもしないでしょうね。やはり、世界の腹黒さは日本人には想像もできないのじゃないでしょうか。


  その恐ろしい仕込みが、敗戦利得者との相乗効果もあって、ここまで日本人を劣化させたことに本当に怒りがおさまりませんが、これぞ日本人のズル畏さと反省もさせられます。

  いずれにしても、「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」ですね。


★これこそ「人道への罪」では? WGIP

2019年05月02日 | GHQ

  この部屋でも我那覇さんとの対談などで何度か取り上げたジェイソン・モーガンさんが、何時もの中山恭子さんの【夢を紡いで 】のゲストです。

  ジェイソンさんは並の日本人では到底敵わない日本の歴史を勉強されています。そのジェイソンさんも数年前まではGHQが仕掛けたWGIPを知らなかったそうです。と言うか、日本人でも殆どの人が知らなかったのですから当然でしょう。アメリカではもっと知られてないようです。

  それを知って、日本人以上にアメリカの罪に怒りをぶつけてくれています。日本人でも、これだけ本気になって起こってくれる人は殆ど居ないのじゃないでしょうか。
  感性は、日本人以上に日本人じゃないでしょうか。ケントさんなどに続いて日本に素晴らしい味方が現れたものです。

  日本の政治家や官僚、特に外務省の人達にはジェイソンさんやケントさん達を見習ってほしいものです。と言うか、それが最低限の資格でしょう。
 


★GHQによる戦略的産児制限と家族解体

2019年01月24日 | GHQ

  週末恒例の中山恭子さんの【夢を紡いで 】は、15日、第 1672回の「★WGIP と『歴史戦』『日本人の道徳』を取り戻す」の続きでゲストは高橋史朗さんです。

  今回は、GHQによる戦略による産児制限など日本の家族制度の破壊の企みを教えてくれています。
  団塊の世代が、この企みによる結果だったことにも触れてくれています。つまりは、産児制限がなければ、団塊の世代なんて名前を付けられる事もなく当たり前として捉えられていたということです。
  ここでも、フェミニストの走りとも言えそうな加藤静江さんが上手く利用されたようです。
     
  今フェミニスト達が戦後利得者となり、日本の素晴らしい家族制度を破壊しようと活動しているのですから反日売国左翼・在日共は本当に許せない。
  と言うか、やはり、「いい加減に目を覚まさんかい!反日売国左翼・在日共!」です。


  それにしても、戦後利得者とそれを許して来た腰の引けた政府・自民党がここまで日本を劣化させたのは間違いないでしょう。

  それも、そんな奴らを選んできた国民なのですから、やはりどっちもどっちですね。
 
  何とか、今度のダブル選挙で少しでもまともな人を選びたいものです。


★日本を狂わせた洗脳工作

2018年09月13日 | GHQ

  ホンダの幹部で、退職後にGHQの工作を「日本人を狂わせた洗脳工作」発表してくれた関野通夫が、新しく「日本を狂わせた洗脳工作」を書いてくれたようです。一瞬同じじゃないかと思いますが、日本人と日本の違いがあります。

  この本を、何時もの我那覇さんが「おおきなわ」で取り上げてくれています。このところ、この我那覇さんの本の紹介に目が離せません。
  こうした本を若い時から読んでいれば人生も変わるでしょうね。我那覇さんの覚悟が身に染みます。

  それにしても、GHQが日本に仕掛けた、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、略称:WGIP)とは、何とも恐ろしいものです。
  我が先人が長い間掛って育んできた日本人をたった70年でここまで劣化させことを考えると、やはり教育や情報が如何に大事であるかを思い知らされます。
  そんな教育を平気で日本の子供達に教える人達が未だに跋扈していることが信じられない思いです。
  やはり、「いい加減に目を覚まさんかい!日本人!」ですね。


  参考:「教育勅語と修身」小池松次


日本の少子化はGHQの統治戦略?

2018年08月31日 | GHQ

  青山さんが、【答えて、答えて、答える!】で、少子化について熱く語ってくれています。

  これも、結局はGHQの工作を素直に受け入れて疑わない平和ボケ日本人の自己責任でしょう。

  人口減少は絶対に防がなければならない。現在の1億2千万を、何があっても守る必要があると首長されています。

  この少子化の危機を知る為にも、この動画は日本人全てに見て貰いたい。


【青 山繁 晴】日本の少子化はGHQの統治戦略? / 生活の安定のためのステップアップは拝金主義か?[桜H30/8/24]
 


★東京裁判「文官無罪」の葛藤

2018年08月20日 | GHQ

  今や東京裁判が、どんなに酷い裁判だったかを多くの人が知るようになったとまでは言え無いでしょうね。
  そういう私もネットをする前は、東京裁判自体を知らなかったのですから情けない話です。

  その裁判で、只1人日本を理科してくれたパール判事は有名ですが、何と、他にも理解してくれた判事がいたようです。
  
  産経が詳しく書いてくれています。 

  産経ニュースより      2018.8.15

  東 京裁判「文官無罪」の葛藤 オランダ・レーリンク判事の日記、詳細初めて明らかに

 【アムステルダム=三井美奈】第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)で広田弘毅元首相ら文官の無罪を主張したオ ランダ人判事、ベルト・レーリンクが日本滞在中に書いた日記や書簡の内容が明らかになった。遺族が産経新聞に示したもので、 日記の詳細が報道されるのは初めて。被告を「全員有罪」とした判決への反発や、被爆地・広島を視察した時の衝撃が記されてい た。

 「大地は真っ平らだ。石造の建物はほとんど残っていない。荒涼として悲惨な土地だ」

 1946年3月末、広島を機上から視察した時の日記には、セピア色の航空写真が添えられていた。視察機はこの後、噴火中 だった鹿児島県桜島の上空を飛行。流れ出る溶岩を見て、「大地は人間のようだ。平和はつかの間の均衡にすぎない。水面下で異 なる力が働いている」と平和への考察を記した。

 レーリンク判事は東京裁判のため、46年から約2年間、5人の子供と妻をオランダに残して日本に滞在。85年の死去後、オ ランダの自宅で、家族あての100通近い書簡と日記が見つかった。日記は、どのページも万年筆の青い文字がびっしり。きちょ うめんな人柄がにじみ出る。

 裁判でレーリンク判事は多数派意見に反対し、当時の国際法から見て「平和に対する罪」(侵略の罪)で死刑は適用すべきでな いとの立場をとった。この時の葛藤を「私は望ましくない方向にある。同僚の意見や世論に沿わない」「だが、日本の歴史や国際 法の研究を進め、多数派の意見だからといって絞首刑を宣告すべきではないという考えに至った」と記した。

 多数派判決に反対する意見書を出した決断には、インドのパール判事の影響があったことも明かされている。「私はパール判事 のように、独立した意見を示そう。この考えに興奮しながら、一晩を過ごした」。パール判事は自身の意見書で、被告の全員無罪 を主張。両判事らの「少数意見」が判事団の対立を浮き彫りにし、「勝者の裁判」の正当性をめぐる論争の発端となった。

 レーリンク判事は滞日中、日本各地を精力的に旅行し、日本人をつぶさに観察した。富士山にも登り、「何百人もの日本人が平 たいクッションに寝転がり、歌っている。私もコートを枕代わりに横たわった」と好奇心たっぷりに記した。日本の禅文化を英語 で紹介した仏教学者の鈴木大拙と出会った際は、「真理に対する東西文化のアプローチの違いを話した。すばらしい論議だった」 と感激した様子だった。

 判事の自宅では日記とともに、東郷茂徳(しげのり)・元外相(禁錮20年の判決を受け、服役中に死亡)の回想録も見つかっ た。ドイツ人だったエディ夫人が、元外相の無罪を主張した判事に感謝を込めて、56年に送った。表紙の裏に「レーリンク教授 へ 永遠の感謝を込めて」という夫人の英語のメッセージが残されており、判事は生涯、手元に残していた。

 ■東京裁判 第二次大戦に勝利した連合国が日本占領下で行った、日本の指導者の戦争責任を裁いた極東国際軍事裁判の通称。 ベルト・レーリンク氏を含む11人の判事団は戦勝国から選ばれた。A級戦犯として起訴された28人のうち、裁判中に死亡する などした3人を除く25人全員に有罪が言い渡され、東条英機元首相ら7人が絞首刑となった。レーリンク氏はインドのパール判 事らと共に、この判決に反対し、個別の「意見」を提示した。裁判は日本を「侵略国家」と断罪し、日本人に「自虐史観」を植え 付けたとの批判もある。

 
  産経ニュースより    2018.8.15

 「日 本に強い愛着…情熱的な男」判事の三男、ヒューホ・レーリンクさん(73)の話

  父は「東京裁判に多くの過ちはあったが、国際司法にとっては重要な一歩だった」と話していた。当初は日本を厳しく裁こうと思っていたが、日本や日本人に触 れて強い愛着を持つようになったようだ。仕事一辺倒で家ではとっつきにくい父だった。死後、日記を読んで情熱的な男だったと 知った。

 オランダは第二次大戦中、旧植民地インドネシアが日本軍に占領されたため、元捕虜の反日感情は東京裁判後も強かった。文官 無罪を主張した父は、強い批判を受けた。1971年、昭和天皇のオランダ訪問に激しい抗議運動が起きた際、父はテレビのイン タビューで「戦争中にひどい犯罪はあったが、天皇に罪はない」と発言し、罵声を浴びせられた。ベトナム戦争時には「日本が裁 かれたように、米国も裁かれるべきだ」と私に話した。

 父が無罪を主張した東郷茂徳・元外相の著書が、自宅に郵送された時のことを鮮明に覚えている。父は包みを開けてエディ夫人 の言葉を見た途端、感激で泣きそうになった。父は78歳で肺がんで死去した。最期は呼吸困難に苦しみ、医師の同意を得て、当 時は非合法だった安楽死を選んだ。(談) 

  こんな人もおられたんですね。政府・外務省はこういう事実をもっと世界へ広報すべきでしょう。
  やはり、日本がここまで劣化したのは、GHQなどの工作もあったでしょうが、結局は、日本人自体が自分で劣化の道を選んだのじゃないでしょうか。


★日本が壊れない本当の理由とは

2018年01月25日 | GHQ

   日本の再生を願いながらも、未だに反日売国左翼・在日共の退治もできない平和ボケ日本に、本当に再生できるのだろうかと心配する毎日です。

  そんな時に、何時も元気を与えてくれるのがねずさんです。今回も、日本が壊れない理由でほっとさせてくれています。
  何時ものように、全文はリンク元で読んでください。

  大和心を語る ねずさんのひとりごとよ り    2018年01月16日

  日本が壊れない本当の理由とは

  …略

  日本は先の大戦で敗れました。
しかし日本は、いまも日本です。
なぜ、戦いに敗れても日本は壊れなかったのでしょうか。

 それどころか、日本は、いまでも世界の大国の一角です。
東京に至っては、世界の都市別のGDPランキングで、なんと世界一です。
ロシアが大国と思っている人もいるようですが、2016年でいえば、ロシアのGDPは1兆2800億ドルで、日本(4兆9386 億ドル)の4分の1でしかありません。

 日本が見事に復活した理由、それもまた日本が「民こそをおほみたから」とするシラス国だからです。
国土が焦土となったとき、政治向きには◯◯闘争と呼ばれた対立や紛争が次々と起こりましたが、多くの民衆は、そんな「政治遊び」 などに付き合っているヒマはないと、仕事の席では政治の話は御法度にして、みんなで力を合わせて瓦礫を撤去し、町を復興させて いったのです。
日本がおかしくなりはじめたのは、そうした皇民教育を受けない戦後世代が、社会の中核を担うようになってからのことです。

 ひとつ申し上げたいことがあります。
戦後、GHQは日本を壊そうとしました。
これは事実です。
しかし、結局のところ、傷は負わせましたが、壊すことはできませんでした。
なぜでしょう。

 その答えは、日本人(日本に住んで日本語を話し日本人のような顔をした日本人でない人は除きます)の誰もが常に生涯を通じて「愛 と喜びと幸せと美しさ」を求める民だからです。
そのことが日本人には、魂に刻み込まれています。
DNAであると言っても良い。

 そして人が「愛と喜びと幸せと美しさ」を求めて生きることは、どこの国のどの民族にとっても普遍の大事です。
だからGHQは、日本の制度を壊しても、日本人の心を壊すことはできなかったのです。
これこそが日本が不滅の理由です。…以下略

  とは言いながらも、本当に日本人の心は壊れてないのだろうかと疑心暗鬼になります。それ程に、今の日本人は劣化しているように思えて仕方ありません。
  それでも、世界と比べればまだまだましなようには思えます。やはり、ねずさん曰くの(日本に住んで日本語を話し日本人のような顔をした日本人でない人は除きます)の人達を一掃する必要があるでしょう。
  それさえ出来れば、反日売国左翼・在日も大半は一掃され、日本の再生はあっという間に終わったりして。きっとそうです。


★GHQに改悪された皇室典範

2017年01月15日 | GHQ

  お恥ずかしいですが、皇室典範なるものがあるのを知ったのは、ネットをやっていたからです。それまでは、そんなものがあることを全く知りませんでした。
  日本国民として余りにも恥ずかしいことですが、教えてもらったことも聞いたことも無かったのですから、仕方ないのじゃないでしょうか。と言うか、嫌われものの我々団塊の世代で知っていた者が何人いるでしょう。やはり、教育というのは大事ですね。

  さて、その皇室典範もあの憲法を押し付けたGHQによって改悪され、昭和天皇が改正を望まれていたのだそうです。

  江崎さんがフェイスブックで書いてくれています。これも全く知りませんでした。

  江崎 道朗

  1月7日 23:42 ·

 〇天皇のご意思に基づいて皇室典範改正ができることを願われていた昭和天皇
 ――天皇をロボット扱いする一部の議論に対する違和感

「昭和天皇実録」の発行を受けて、以下のような原稿を書いたことがあるので、紹介します。
 ポイントは、昭和天皇は、天皇の意思に基づいて皇室典範を改正できるようにしておきたかったが、占領軍の反対でそれがだめになった、ということです。現在の皇室制度改革論議との関連で敢えて載せておきます。

 日本敗戦後、アメリカを中心とするGHQは、憲法と皇室典範を全面的に改悪しましたが、その経緯について読売新聞は『昭和天皇実録』を踏まえ、こう解説しています。

《(昭和)21年2月13日、GHQは国民主権を柱とする憲法改正草案(GHQ草案)を日本政府に交付する。天皇の地位は、「統治権の総攬者」から「象徴」に改められていた。
 司令部作成の草案は、同22日に幣原喜重郎首相から天皇に提出されたが、実録に天皇の反応の記載はない。ただ、当時、内閣書記官長だった楢橋渡は、伝聞として「陛下は、やむをえないだろうと言われたということを聞いた」と、昭和30年代に内閣に設置された憲法調査会で語っている。
 3月5日夕、政府とGHQの間でまとめた憲法改正草案要綱が出来上がる。その直後、幣原は参内した。新憲法は国民が決める形式になったが、明治憲法の改正規定に沿って、天皇の意思による改正案のため、勅語を仰いだ。天皇は、形式や発表については内閣に一任した。
 ただ、皇室の家族法とも言われる皇室典範が国会の議決を要することになったことから、典範改正の発議権の留保や、堂上華族(もともと公家だった華族)を残す可能性について下問した。しかし、その夜の閣議で、岩田宙造司法相から、天皇の意向による提案が出ること自体が問題になるとの発言があり、修正は断念される。
 天皇は、5月31日のマッカーサーとの第2回会見で、新憲法作成への助力に謝意を述べた。
 一方、天皇の弟たちは新憲法に違和感を抱いていた様子が、実録に記されている。高松宮は46年5月30日、天皇らとの夕食後の歓談時に<新憲法草案は主権在民がはっきりしすぎており賛成しかねる>と述べた。三笠宮さまは、帝国憲法改正案の帝国議会への提出を可決した6月8日の枢密院会議で、皇室財政や典範改正への皇族の参与について再考を願い、採決を棄権して退席している。》(読売新聞2015年9月9日朝刊)

 この記事で注目すべき点は二点あります。

 第一に、現行憲法の制定に対して、昭和天皇は「やむをえない」とおっしゃられ、昭和天皇の弟君である高松宮殿下が現行憲法に反対であったことです。
 敗戦後も、自らを「神の裔」であるとの考えを変えなかった昭和天皇が、厳格な政教分離を明記した現行憲法に違和感をお持ちになったことはある意味、当然のことかと思います。
 
 第二に、皇位継承などを定める皇室典範改悪に際して昭和天皇が「皇族による皇室典範改正の発議権を認める」ことを求めましたが、政府に反対され、断念したことです。
 皇室典範は皇室の家法であるにもかかわらず、その改正について皇室は何ら関与できません。そのため小泉内閣のとき、皇室の伝統と異なる女系天皇を認める皇室典範改正案を政府が提案しましたが、皇室は何ら発言することができませんでした。

 今回の『昭和天皇実録』によって昭和天皇が皇室典範改正の発議権を皇室がもつことを願われた事実が明らかになった以上、まず皇室典範改正に皇室が関与できる仕組みを整えることが政治の大きな課題であると思われます。

  昭和天皇がこんな悔しい思いをされていたにも関わらず、憲法と同じく改正しようとしなかった政治の怠慢にがっかりさせられます。政治家が庶民と同じ程度の知識しかなく、日本を良くする心構えも無いようでは、やはり日本は劣化するばかりでしょう。

  江崎さんが同じフェイスブックでこんなことも書いてくれています。
     
  4時間前

 戦前の日本についてのある文献を読んでいたら、皇室軽視の帝国大学を憂い、事なかれの文部省に対抗して学風改革運動を進めたある民間研究所に出光佐三さんが資金援助をしていたことが記されていた。

 国家社会主義にかぶれ、皇室の伝統を軽視するアカデミズム

 その問題をわかりながら、何も手を打たない、事なかれの文部省

 皇室を思う民間有志による言論活動とそれを支援する一部篤志家

 なんだ、いまの日本と少しも変わっていないではないか。

  戦前もかなり劣化していたんですね。と言うか、戦前から蔓延っていた反日売国左翼が戦後の敗戦利得者として生き残ったことが、その劣化を広めたということでしょう。

 それにしても、出光佐三さん、戦前から活躍されていたんですね。やはり、筋金入りの愛国者だったようです。

 


★GHQ焚書図書とは何だったのか?

2016年10月31日 | GHQ

   西尾幹二さんが取り組んでくれている、2013 年9月 5日 (木)、第 115回の「GHQ 焚書」や、2015年5月20日 (水)、第 5708回の「GHQ 焚書図書開封」などで取り上げたGHQによる焚書問題は、桜チャンネルで西尾さんが毎週語ってくれていま す。
  
  今回の週末の【討論】は、その西尾さんをメインに宮崎さんなどがGHQによる焚書図書についてです。

  GHQの企みには、本当に腹が立ちますが、それに協力した戦後利得者にはもっと腹立たしいものがあります。
  とは言いながら、それを未だに問題にもしない洗脳された日本人が一番情け無いですね。

  第三部で語られている、焚書になった日本の兵隊さんの素晴らしさを書いた本の話題を聞くと、本当に、戦後の日本人の 劣化に、 流石に再生は無理なのかと不安になります。
  とは言いながらも、今の日本人も目を覚ませば、きっと先人に追いつき追い越すことも可能だと信じたいですね。


★★東京裁判は、政治ショーだった

2016年05月05日 | GHQ

  2015年8月12日 (水)、第 419回の「間 違いに気付いていたマッカーサー」などで取り上げてきたように、マッカーサーはアメリカの過ちに気がついて いま した。
  そして、1 日(日)、第 682回の「我々が本気で話す日本の裏舞台」や 2 日(月) 第 6056回の「戦争犯罪国はアメリカだった!」でも取り上げたように、ネットのお陰もあって、多くの人達 が、ア メリカが日本に対して行ってきたことの酷さに気がつき始めています。

  特に、東京裁判の欺瞞は今やネットでは知らない人がいないのじゃないでしょうか。そんな東京裁判を産経がシリーズ記 事【国 会議 員に読ませたい敗戦秘話】で、詳しく取り上げてくれています。

  これは、今まで知らなかった裏話のようなことが沢山取り上げられていて、改めて、その酷さを認識させられました。   

   産経ニュースより   2016.4.29

  【国 会議員に読ませたい敗戦秘話】東京裁判は、マッカーサーが自らを「極東の統治者」だと演出づけるための政治ショー だった

 ~敗戦から70年。なぜ我が国は繁栄しているのか?~

 雨が降っていた。正確な日時は覚えていない。旧制湘南中学校の学生だった石原慎太郎(元東京都知事)は、隣に住む大学 生に 連れられて東京裁判の傍聴に行った。父、潔がどこからか傍聴券を手に入れてくれたからだった。

 法廷があったのは、大戦中は大本営陸軍部が置かれた東京都新宿区の陸軍士官学校(現市ケ谷記念館)。2階の傍聴席につ なが る大理石の階段を上がると踊り場で進駐軍の憲兵(MP)に肩をつかまれた。

 「キッド(小僧)!」

 大声で怒鳴られたが、何を言っているのか分からない。大学生が「『うるさいから下駄(げた)を脱げ』と言ってるぞ」と 耳打 ちした。仕方なしに下駄を脱ぐと、MPは下駄をけり払った。石原ははいつくばって下駄を拾い、胸に抱いてはだしでぬれた階段 を上った。

 傍聴席から下を見下ろすと、被告席にA級戦犯として起訴された被告がずらりと並んでいた。元首相の東條英機の顔も見え た。

 英語なので何の審理をしているのか、さっぱり分からなかったが、戦勝国が「支配者」として一方的に敗戦国を裁こうとし てい ることだけは伝わった。

 あの屈辱感は今も忘れない。

 東京裁判の法廷は、ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判の法廷を模してつくられた。

 かつて天皇の玉座だった講堂の正面部分は無残に破壊されて通訳席となり、判事席と被告席が対面するよう配置された。

 1946年5月3日から48年11月12日まで続いた東京裁判は、連合国軍最高司令官、ダグラス・マッカーサーが、自 らを 「極東の統治者」として演出するための政治ショーでもあった。被告席は傍聴席から見やすいよう配置され、被告の顔が記録フィ ルムにくっきり写るよう照明は増設された。

 45年8月30日、愛機バターン号で厚木飛行場に到着したマッカーサーは、その日のうちに米陸軍対敵諜報部隊長(准 将)、 エリオット・ソープにこう命じた。

 「戦争犯罪人の逮捕者リストを作れ。そしてまずトージョーを逮捕しろ」

 指令を受けたソープは当惑した。リストを作成しようにも戦争遂行に関与した人物どころか、日本政府の指導体制や大戦の 経緯 など基礎知識がほとんどなかったからだ。もちろん東條の自宅さえ知らなかった。

 作業が遅々として進まぬことにいらだったマッカーサーは9月8日にソープを呼び出し、怒鳴りつけた。

 「私の命令が10日間も実行されないのは前代未聞だ。48時間以内にリストを提出しろ!」

 追い詰められたソープはふと思いついた。

 「そうだ。マッカーサーはトージョーと言っているのだから、とりあえず真珠湾攻撃を仕掛けたトージョー内閣の閣僚を中 心に リストを作ればよいのだ…」

 こうしてソープは翌9日に40人近いリストを作成した。日本軍に協力した元フィリピン大統領やビルマ独立義勇軍のアウ ン・ サン(少将)まで含まれるずさん極まりないリストだったが、これを基に戦犯容疑者の一斉拘束が始まった。

 「居所が分からない」とされた東條は東京・世田谷の自宅にいた。AP通信記者からこの情報を聞いた連合国軍総司令部 (GHQ)は、9月11日にMPを拘束に向かわせたが、東條は直前に短銃自殺を図った。何とか一命を取り留めたが、その 後も GHQの失態は続き、キーマンとなる人物が相次いで自殺した。

 近衛文麿はその象徴だといえる。37年7月の日中戦争開戦時の首相で、41年の日米開戦直前まで首相を務めた近衛は、 日本 の戦争責任を追及する上で最重要人物だったが、どうやらGHQは気づいていなかった。

 その証拠に、近衛は終戦後の東久邇宮内閣に国務大臣として入閣し、45年10月4日にはマッカーサーが直接会って憲法 改正 を指示している。この時点では、GHQは従順な近衛に占領政策の一翼を担わせる考えだったのではないか。

 近衛は戦犯リスト入りをひそかにおびえていたが、GHQが相次いで発表する追加リストにその名はなかった。11月9日 には 米戦略爆撃調査団から日中戦争の経緯などを3時間も追及されたが、19日発表のリストにも名前がなかった。

 そこで近衛はようやく安堵したようだが、12月6日に突如としてリストに名を連ねた。近衛は出頭期限の16日、東京・ 荻窪 の自宅で「戦争犯罪人として米国の法廷で裁判を受けることは耐え難い」と書き残して青酸カリで服毒自殺した。

 近衛のリスト掲載が遅れたのは、中国が南京の軍事法廷への引き渡しを要求したこともあるが、GHQが大戦の経緯を理解 して いなかったことが大きい。

 近衛の自殺により、「軍人だけでなく文官も戦争犯罪人として処罰する」というマッカーサーの構想はもろくも崩れ、戦争 への 関与が極めて薄い元首相、広田弘毅が代わりに処刑されることになった。

×     ×     ×

 東京裁判のずさんさは数え上げれば切りがない。検事団も判事団も戦勝国のみ。A級戦犯の「平和に対する罪」は終戦近く に なって編み出された概念にすぎない。戦勝国に不都合な被告側の証言は通訳を停止し、記録に残さなかった。

 しかも被告の選定には、戦勝国の利害が露骨にからんだ。

 1946年4月10日、GHQはA級戦犯26人を確定した。ところが、遅れて来日したソ連検事団が、日ソ間の協定で解 決済 みの張鼓峰事件(38年)とノモンハン事件(39年)を蒸し返し、元駐ソ大使の重光葵と元関東軍司令官の梅津美治郎の追加を ねじ込んだ。

 重光が禁錮7年の刑となったことには首席検事のジョセフ・キーナンにも自責の念があったようだ。後に重光の弁護人に 「重光 が無罪になることを期待する十分な理由があり、有罪となって非常に困惑した」と手紙で吐露している。

 そんな戦勝国の一方的な裁判に正面から異を唱えたのが東條だった。

 キーナンによる東條への尋問は47年12月31日から48年1月6日まで続いた。

 キーナン「米国は日本に軍事的脅威を与えたのか?」

 東條「私はそう感じた。日本もそう感じた」

 東條はこう語り、米国にハル・ノートを突きつけられ日米開戦が避けられない状況だったことを縷々説明し、キーナンの 「対米 侵略戦争論」をはね返した。

 東條は尋問直前に提出した口述書でも「この戦争は自衛戦であり、国際法には違反せぬ。(略)勝者より訴追せられ、敗戦 国が 国際法の違反者として糾弾されるとは考えたこととてない」と主張。その上で「敗戦の責任は総理大臣たる私の責任である。この 責任は衷心より進んで受諾する」と結んだ。

 自らも認めた通り、東條が大戦時の指導者として多くの兵や国民を死なせた責任は大きい。陸相時代の41年1月に、「生 きて 虜囚の辱を受けず」の一節を含む戦陣訓を示したことも非難されても仕方がない。逮捕時に自殺を図ったことも不評を買った。

 東條の指導力や先見性にも疑問符がつくが、GHQが貼った「日本のヒトラー」というレッテルはあまりに酷だろう。少な くと も東條が昭和天皇を守る盾になる一心で東京裁判に臨んだことは論をまたない。

 「日本=侵略国、米国=正義」というGHQの世論操作もあり、東條の遺族に対する戦後日本社会の風当たりはすさまじ かっ た。

 東條の長男、英隆は父親と反りが合わず軍人ではなかったが、戦後は就職できず、長く妻の内職で生計を立てた。その長男 (東 條の孫)の英勝は、小学校では誰も担任を引き受けたがらず、友達もいない。よく登り棒の上から教室をのぞいて過ごした。自殺 を図ったこともあったという。就職にも苦労したが、「一切語るなかれ」という家訓を死ぬまで守り続けた。

 1972年生まれの東條のひ孫、英利も幼い頃から大人の冷たい視線を感じて育った。小学校の担任教諭は何かにつけて 「東條 英機のひ孫の…」と接頭語をつけた。

 小学4年の時、母親に連れられてドキュメンタリー映画「東京裁判」を見に行った。被告席で東條が国家主義者の大川周明 に頭 をポカリと殴られたシーンを見ていると、母から「あれがひいおじいちゃまよ」と耳打ちされた。

 57年に東條英機の妻、かつ子が91歳で死去。玄関に飾られた曽祖父の軍服姿の写真を見て、何となく自分の家族の置か れた 状況が分かるようになった。高校では、社会科で世界史を選択した。授業中に教諭に東條英機の話を振られるのが嫌だったから だ。

 「私も多少不快な思いをしたけれど父の代に比べればかわいいものです。父に『これだけは誇りを持て』と言われたのが、 GHQがいろいろと探したのに不法な金品財宝が一切なかったこと。おかげで貧乏暮らしでしたが、今は曽祖父に感謝してい ます」

 こう語る英利は、自分の息子の名にも「英」をつけた。重い歴史を背負う東條家の意地だといえる。

  こんなエピソードは殆ど知りませんでした。それにしても、アメリカも酷かったが、それの踊らされた日本人も結構情け ない ものがありますね。特に、東条家に対する仕打ちなど、日本人もそれ程素晴らしいとは言えませんね。

  それにしても、GHQが日本の関係者の情報を何も知らなかったというのも驚きですし、そうした関係者自体も、こんな とん でもない裁判で裁かれるなんて夢にも思ってなかったようです。何とも、ふざけた裁判です。
  そして、GHQの洗脳によるとはいえ、長い間、それを信じてきた日本人の人の良さにも呆れるしかないですね。その洗 脳か ら目覚めてない国会議員以下の平和ボケの日本人がまだまだ沢山いることも情けないですね。

もう、目覚めましょう!

★「陰 謀論」報じる体質は“WGIPの呪縛”

2016年04月15日 | GHQ

  偶然でしょうか、昨日のGHQによる工作 WGIP について、ケントさんが書いてくれています。私なども、WGIPを知ったのは、ネットからでしたから、こんな洗脳が行われて いたことなんて全く知りませんでした。
  ネットをやらない人は、未だに、この根本的な問題を知らないでしょうから、洗脳が解ける訳もないのでしょう。何と も、恐 ろしいことをやられたものです。
  とは言いながら、GHQが居なくなってからも、それを、自分の利益の為に利用してきた敗戦利得者の跋扈を許してきた こと が、今の、日本人の劣化になっていることは間違い無いでしょう。

  やはり、一番悪いのは、反日売国左翼とそれを許してきた自民党を筆頭とする日本人であることは間違い無いでしょう。 そ の、情けなさを、外国人であるケントさんに指摘されることこそが、日本人が如何に洗脳されてきたかということでしょう。

   ZAKZAKより    2016.04.09

  【ニッ ポンの新常識】「陰謀論」報じる体質は“WGIPの呪縛” 「私たちは怒っています!」という抗議は感情論

  法科大学院で、事実と証拠に基づいた論理的思考をたたき込まれた私は、陰謀論や感情論を目にするとウンザリする。

  最近でいえば、私たち「放送法遵守を求める視聴者の会」の活動を、政府の言論弾圧だと考えるのが陰謀論である。著名 な ジャーナリスト7人による「私たちは怒っています!」という抗議は、見事な感情論だった。

  日本のメディアは陰謀論や感情論を平気で報じるが、その原因はGHQ(連合国軍総司令部)が命じたプレスコード(報 道規 制)と、規制の遵守状況監視のために行われた検閲、そして、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム (WGIP)」にある。

  WGIPは大東亜戦争に対する贖罪(しょくざい)意識を日本人に植え付け、二度と米国に刃向わない国民へと洗脳する 目的 で行われた。

  これは秘匿された政策なので正真正銘の「陰謀」である。日本国憲法第9条「戦争の放棄」は、その中核と言える。

  「お前こそが陰謀論者だ!」と叫びたい人がいるだろう。しかし、私は機密解除された米公文書を読みながら内容を説明 して いるだけである。リアリストの私には、妄想を膨らませて「陰謀論」を創作・捏造(ねつぞう)する天賦の才能が備わっていな い。

  手元にある「第一次WGIPの実施」と題された「元機密文書」の内容をいくつか紹介する。

  《CIE(民 間情報教育局)はフィリピン・マニラで日本軍が残虐行為を行ったという報道資料約1000部を配布し、使用 を強 力に推奨した》

  《CIEが英語で書いた戦争史の和訳が高山書院から「太 平洋戦争史」という題で出版され、10万部が売れた》

  《NHKのラジオ番組「真 相はこうだ」「真相箱」「質問箱」は、CIEが脚本を書いた》

  いわゆる「南京大虐殺」の証言は、復員兵の告白などではなくCIE職員の創作である。インターネットで国立国会図書 館の 近代デジタルライブラリー内を検索すれば、書籍名『真 相 はかうだ 第1輯』が読める。「南京での蛮行」は30ページ(コマ番号21/55)から掲載されている が、信じ がたい内容である。

  映画界では理研映画の『国民を戦争に駆り立てたのは誰だ』をはじめ、日本映画社、大映、松竹、東宝の作品がCIEの 支援 やアドバイスで制作されたと、「元機密文書」に書いてある。

  占領下、すべての国内メディアがGHQの命令に従い、虚偽や偏向した事実を報じたが、まだ軌道修正できていない。

  「真相はこうだ」を放送したNHKがWGIPの検証番組を制作すれば、国内メディアの戦後が終わるのかもしれない。

  ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。自 著・ 共著に『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人』(PHP研究所)、『危険な沖縄 親日米国人のホンネ警告』(産経新 聞出版)など。

  この「真相はこうだ」から現在まで日本貶めに励んでいるNHKの問題を、昨日取り上げた『やらまい か―真相はこうだ!』が取り上げてくれています。


  NHKがWGIPの検証番組の一つとして、この動画を放送すべきですね。そうすれば、ネットをやらない人達も一気に 目覚 めるでしょう。
  その位、罪の意識を持って、罪を償ってもらいたいものです。

何とか、放送させたい!

★アメリカにおける東京裁判史観見直し

2016年02月21日 | GHQ

  戦前から中国に騙され続けているアメリカ人 は、何でそれ程にバカなのかと不思議でしたが、どうやら、アメリカにも分かっている人は沢山いるようです。
  それが、表面に出てこないのは、アメリカも日本と同じように左翼マスコミが蔓延っているからのようです。アメリカに も、それを苦々しく思っている保守勢力があり、日本人は何で何時までもバカ何だと、同じように思っているようです。

  江崎道朗さんが、日米の保守が一緒になって東京裁判の見直しをする機運が出来てきていると詳しく教えてくれていま す。かなり長い動画ですが、長い動画は苦手な私でも、これは余りにも素晴らしい話で、最後まで飽きずに見てしまいまし た。
  これは、日本人全てに見てもらいたいですね。これを見れば、多くの日本人が目覚めることが出来るでしょう。それにし ても、日米ともに、左翼マスコミを崩壊させる必要があります。

  江崎さんの関連動画を挙げておきますが、まずは最初のを見て、興味が湧けば、後のも参考にしてください。



【岡 山】平成27年終戦の日 記念講演『アメリカにおける東京裁判史観見直し』


ヴェ ノナ文章:日米開戦と日本解体に向けた左翼の陰謀


江 崎道朗氏講演会「中国共産党による対日工作」【前半】チャンネル AJER主催 2015.10.25


江 崎道朗氏講演会「中国共産党による対日工作」【後半】チャンネル AJER主催 2015.10.25