団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

江戸からくり人形と雇用のお話

2017年01月17日 | 日本的経営の崩壊

  昨日に続いて、今日もねずさんの腑に落ちる話です。この部屋で、バブル以後に壊された日本の雇用体系をもう一度取り戻す必要があると書いてきました。

  それを、ねずさんが分り易く書いてくれています。これこそ、日本が取り戻すべき雇用体系です。マネーゲームによってボロボロにされた日本の素晴らしい雇用体系を再生しましょう。

  何時ものように、是非、リンク元で全文を読んでください。

  ねずさんと学ぶシラス国の物語よ り   2017年01月10日

  江 戸からくり人形と雇用のお話

  …略

  西洋にせよ東洋にせよ、文化遺産とか美術品などは、ことごとく王侯貴族のものです。
王侯貴族のために造られ、王侯貴族が楽しみ、王侯貴族の富を象徴するものでした。
庶民のための文化、庶民の楽しみのための文化物や工芸品となると、極端に数が減ります。

 けれども日本の場合、庶民の楽しみが、第一でした。
技術も庶民のために多くが開発されました。
そうしてより高い技術が、競い合って磨かれてきました。
そしてそれらは、どこまでも庶民が楽しみ、庶民の生活にうるおいを与えるものとして開発され、技術が磨かれてきました。
そしてそのことは、雇用にも活かされていました。

 江戸時代までの日本は、人がどこまでも大切にされた社会です。
商店も、物流も、製造業も、すべては人のためにあるものでした。
ですから、たいせつなことは、いかに儲けるか、そのためにいかに人件費を減らすかではなく、ひとりでも多くの人が食べていけるよ うにしていくことに価値が置かれていました。

 ですから価値があるのは、儲かっている企業ではなく、ひとりでも多くの人を養ない、食べていかせることができるお店、あるいは 藩、あるいは地主農家が、偉い人でした。
そういう社会観念が、世の中の中心でした。

 このことは、いまの世の中でいうならば、大企業は、儲かっていて利益が大きいから価値ある企業なのではなくて、それだけ大勢の人 を養っているから社会的な価値のある企業だったのです。
そして、人を養うということは、終身雇用すること、つまり死ぬまで面倒をみることが、雇用主にとってはあたりまえのことでした。
ですから、財力のある人は、進んで書生を養ったし、家政婦のような形で女性たちに雇用の機会を与えていました。

 平成以降、企業は利益を出すために、生産拠点を安い人件費の海外に移転するということがさかんに行われるようになりました。
そして国内ではリストラを行い、企業収益の確保を図りました。
けれども、それによって国内産業が空洞化し、逃れられない不況が根を下ろし、雇用までもが圧縮され、人が人を粗末にするようにな りました。
最近では、企業内の所得格差も、トップと末端の社員では、100倍以上の開きがあるような企業もざらにあるようになりました。

 しかし社会全体を見てみると、結局のところ、人を大切にしている企業が生き残っています。
人は石垣、人は城なのです。
洋風化した企業は、短期的に利益を極大化させ、成功したように見えても、瞬く間に衰退します。
また、どんなに古くからある企業でも、道を踏み間違えれば、存続はできなくなります。
世の常です。…以下略

  今の劣化した経営者どもに、これを読ませたいですが、きっと読んでも分からないのじゃないでしょうか。80年代に一線を退いた本田宗一郎さんや出光佐三の後を継いだ戦後教育で育った経営者達から日本経済は右肩下がりになってしまったということでしょう。
  株主重視で、従業員を金儲けの道具と考えるような経営が持て囃される時代は終わりにしましょう。   
  と、書いていて、もう一つ思い至りました。

  昭和天皇の時代が終わり平成になって、日本の中枢が狂って来たのと同じ動きですね。とうとう自分の意志を認めさせましたが、次の世代はもっと悲惨になりそうです。その次まで日本再生はなさそうです。

 



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