又しても、日本を愛する貴重な方が亡くなったようです。勉強不足の私は、存じ上げ無かったのですが、こうした愛国の貴重な方がどんどん減っていくのに比べて、反日売国左翼・在日共が、何時までの生き残っているような気がするのは私だけでしょうか。
もしかしたら、皇室の崩壊といい、八百万の神は日本を見放したのでしょうか。何とも、嫌な雰囲気です。
そんな貴重な方について、何時もの阿比留さんが哀悼の意を込めて詳しく書いてくれています。
産経ニュースより 2017.11.17
【阿比留瑠比の極言御免】「東京裁判」史観克服の遺言 日米同盟の深化が必要だからこそ占領の影響を克服せよ
東京都世田谷区の国士舘大で今月2日、占領下で連合国が行った極東国際軍事裁判(東京裁判)が日本人の精神に及ぼした影響を考える「第2回『東京裁判』シンポジウム」が開催された。筆者も参加したこのシンポで、司会者と報告者を兼務していた篠原敏雄国士舘大教授が、わずか1週間後の9日にがんで亡くなっていたと知った。
命削る覚悟で訴え
「学界では1960年代までは東京裁判肯定論、すなわち戦前の日本は侵略と残虐行為を重ねたという見方が主流だった」
「いまだに戦前の日本は、残虐な国家だと言い募るメディアもある」
シンポでこう訴えた篠原氏の顔色は朝から尋常なものではなく、何らかの病を得たのは明らかだった。昼の休憩を挟んで7時間にもわたったシンポの最後には顔色はさらに悪化していたが、口元には笑みをたたえていたのが印象的だった。
夜の立食懇親会の場でも、言葉少なく好きなビールもほとんど飲んでいなかった。ただ、端から様子をうかがうと、どこか晴れ晴れとした表情にも見えた。
周囲がいぶかり、体調を気遣っても、篠原氏はただ「大丈夫、大丈夫」とだけ答えて病状を明かさなかったという。今にして思えば、命を削る覚悟でシンポに臨んでいたのだろう。
筆者はつい10月5日にも、篠原氏から同日付の拙記事「前原さん、ありがとう」に関する感想メールをもらっていた。そこには、記事と篠原氏の著書『市民法学の輪郭』とは「同一の分析視角と観じました」と書かれており、その1カ月余り後に不帰の客となるとは想像もできなかった。
自責と隷属化狙う
振り返るとシンポでの篠原氏の言葉は、東京裁判史観にいまだにとらわれて自由になれない日本人への「遺言」的な意味合いもあったのではないか。
篠原氏の報告は学者らしく資料の引用元を明示していた。例えば政治学者の日暮吉延氏の著書を引いて、次のように紹介していた。
「東京裁判はアメリカにとって広義の『安全保障』政策だったというのが私(日暮)の見方である」
「アメリカ政府は『指導者=被告個人の有罪』を媒介にして、日本人全体に『自責の念』を抱かせようとしたのです」
あるいは、歴史学者の山本武利氏のこんな言葉も引用していた。
「アメリカ側は日本占領を戦争の延長と認識していたことを日本人は気付かなかった。日本人には平和な時代を迎えたと誘導しながら、実は冷戦下での日本の隷属化を画策していた」
占領の意味考えて
現在、米国は日本にとって大切な同盟国であり、日米同盟は、周辺国に恵まれないわが国の存立に欠かせない。今後もその強化・深化を目指すべきだろう。
ただ、だからといって日本が米国製の歴史観、日本弱体化を狙った憲法をそのまま受け入れ続け、精神的に支配されていなければならないいわれはない。
占領期とは、直接的な武力行使はなくともあくまで戦争の継続期間であり、連合国軍総司令部は明瞭な目的と意図を持って日本人や日本のメディアを操り、洗脳していたのである。
そのことの意味と現在に続く影響を、われわれはもっと意識し、克服しなければならないのではないか。占領政策や東京裁判が、現在のメディアのあり方にどうつながっているかを-。
シンポ会場では、篠原氏の話を聞きながら、改めてそんなことを考えていた。篠原氏が残した言葉を胸に刻みたい。(論説委員兼政治部編集委員)
まだ、多くの日本人が東京裁判史観から目覚めていないにも関わらず、こうして命を懸けて戦って下さっていた方を失うのは、本当に残念です。
一体、日本人は何時になったら目を覚ますのでしょうか。それとも、目覚めることなく滅びの道を選ぶのでしょうか。まさかとは思いますが、やはり、心配です。
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