日本をどうしても貶めたい国が日本の教育界を牛耳っているのじゃないかと疑い卓なります。それ程までに、日本の教育界は完全に狂っている。
そんな邪な企てが大化の改新まで無かったことにしようとしているそうです。
ねずさんが取り上げてくれています。何とも恐ろしいことです。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねず さん のひとりごとよ り 2023/10/01
大化の改新不存在説を斬る
・・・略
大化の改新といえば「蒸し米(六四五年)で祝う大化の改新」などと、年号の語呂合わせで覚えておいでの方も多いのではないかと思います。
ところが近年、「大化の改新はなかった」という学説が、一部の日本人かどうか疑わしい歴史家の中で声高に言われています。
なかっという理由は、
1 日本人が漢字を用いるようになったのは670年ごろのことである。
2 したがって、それより25年も前の645年にこのような凄みのある改革が日本人にできるはずがない。
というものです。
要するに日本の文明は、中国から朝鮮半島を経由したもたらされたものであるという認識の上に我が国の歴史を語ろうとする「無理」が、結果としてこのような トンデモ説を生んでいるのですが、これがトンデモ説だということは、日本が一世紀の中頃には、すでに後漢に使いを送り、その使いのことが後漢書にはっきり と書かれていることからも明らかです。
後漢書によれば、日本からの使いは、自ら太夫と称し、金印を受け取ったとあります。
有名な「漢倭奴国王」の金印です。・・・中略
このことは世界の常識とは異なります。
なぜなら世界では、王は、神の代理人であり、地上における神として国家の全ての土地、財産、民衆を私的に支配する国家最高の神の代理人であり、最高の政治権力者であり、国のすべての所有者です。
ところが日本では、天皇は神々の代理人であるけれど、政治権力者ではありません。
天の下は神々の所有物であり、天皇はその神々と直接繋がられる国家最高権威です。
そして政治権力は、その天皇の部下が担うとされました。
このことは実に合理的な仕組みといえます。
なぜなら、政治権力の行使には、常に責任が伴うからです。
責任なき権力が、暴君しか生まないことは、世界の歴史が証明していることです。
そして同時に、神に責任を問う人はいません。
ということは、神は政治権力者にはなりえないということです。…中略
大化の改新は孝徳天皇の時代に行われたことですが、すべてを成し遂げたあと、これを推進した中大兄皇子は、孝徳天皇から数えて二代後に天智天皇となられています。
つまり天智天皇は、皇太子殿下のときに大化の改新を断行し、それが一段落してから、政治の上の機構である天皇となられたわけです。
その天智天皇の御製が、実は百人一首の一番歌になっています。
秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
わが衣手は露にぬれつつ
この御製は、天智天皇が、天皇自らが農事に精を出されているお姿を詠まれた御製です。
君民一体となって、みんなが豊かに暮らして行く。
それが日本本来の姿です。
大化の改新不存在説は、こうした日本のもつ凄みから、世間の耳目を逸らそうとする政治的な動きであって、学問ではありません。
私達は、本来の学問を取り戻すべきです。
それにしても、ここまで教育が犯されていることに驚きしかない。こんなことえお何時まで許しておくのでしょうか。
やはり、正しい国家観と歴史観を持った政治家を選ぶ必要があります。それが出来ないようでは、特亜3国など悪意ある国の思い通りに日本は消滅するでしょう。
やはり、日本人が目覚めるしかない。
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