今日の話も戦前の教科書には載っていたそうです。こんな素晴らしい話を取り上げない今の教育の恐ろしさにはイライラじます。
それ程までに日本人の素晴らしさを子供達に教えることが嫌なのでしょうか。これは、国費を盗んで来た反日売国左翼・在日に教育界が完全に押さえられているということでしょう。
冗談抜きで「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」達に汚染されている証拠です。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2023/01/19
筑後川・五庄屋物語
・・・略
今日のお話しにもあったように、水路や堤防の工事、あるいは土砂災害や地震、噴火、火災からの復旧工事など、民のための土木や建築などに、藩政が赤字であっても、必要な工事を藩の事業として推進していたのです。
なぜなら、それが天皇のおおみたからを預かる武士の役割だと認識されていたからです。
藩民は、天皇のおおみたからです。
そして藩主は、そのおおみたからたちが幸せに安心して暮らせるようにすることが仕事と認識されていたのです。
そういう自覚があったからこそ、彼らは明治時代にはいって、版籍奉還に応じているのです。
江戸の大火や、地震、あるいは富士山の噴火などによる被害、あるいは干ばつによる農産物の凶作など、日本は、各種自然災害などが民の生活を脅かすことが多々ある国です。
そしてその都度、幕府は、備蓄していたお蔵米を民のために炊き出ししたり、無償でお米を配ったりしていましたし、町並みの復興のために、莫大なお金を使っています。
だから赤字にもなる。
赤字になれば、大商人から借金する。
武士たちの贅沢のためではありません。
全部、藩民の生活を安定させるためです。
だから武士たちは、民から尊敬されたのです。
私達は、日本を取り戻そうとしています。
日本は、縄文以來、あるいはもっと古い昔から、民の安全で安心できる生活の保持を、政治の使命としてきた国です。
それが崩れたのは、むしろ、現代の戦後日本です。
いまの日本は、解体的出直しが必要といわれます。
左の方も右の方もそのようにおっしゃいます。
スクラップアンドビルドです。
けれど左系の人たちの間違いは、世の中を新しくしたいと言いながら、ただ理想だけを描くところにあります。
新しい理想だけが独り歩きするのです。
すると何が起こるかというと、理想を独り占めにした人が、個人的な利得を得ることになります。
そしてその利得の奪い合いから、大量虐殺が起こります。
我々人類は、20世紀にまさのその経験をしてきたのです。
けれど過去を忘れ、ただ新しいもの、理想だけが語られる。
多くの場合、そうした理想は実は誰かの利権のために、表面上の綺麗事が並べられているだけであることが多い。
共産主義革命がそうでした。
共産主義はユートピアを理想とし、美辞麗句を並べましたが、やったことは大量虐殺でした。
ところがそんな共産主義がなぜそこまで普及したのかには理由があります。
それは、マルクスの資本論が、歴史を基に描かれた、という点です。
マルクスは、西洋の歴史を階級闘争という視点で、ギリシャ・ローマ時代からあらためて描き直すということを行ったのです。
そのうえで、原子共産主義者会への回帰を促したのが『資本論』という分厚い本でした。
すべての歴史を階級闘争という視点で捉えるということは、明らかに間違っています。
間違っているから、共産主義革命は虐殺革命になったのです。
けれど、そんな誰が見ても危ない共産主義が、多くのインテリ層の注目を集め、いまだにその信奉者が世界中にいることには、理由があるのです。
それが、「古い歴史」と「現代の理念」を融合させた、という点です。
古いものを起点にして、新しいものを築こうとしたのです。
実は、大きな改革を実現する力というのは、この
「古いものを起点にして、新しいものを築く」
というとこからしか、生まれないものです。
日本を取り戻すといいます。
そうであるなら、取り戻すべき日本には、過去と現在にギャップがなければなりません。
そのギャップをまずは理解する。
そのためには、歴史の再構成が必要なのです。
この日本を理解する教育を敵に押さえられているが一番の問題でしょう。それを改正することに意欲を持たない政治家には本当にあきれます。
如何に、日本を良くすることに興味がないのでしょう。何とってもそんなことをして敵に攻撃されて職を失うのが怖いのでしょう。
そんな奴等に政治に携わって貰いたくない。そうなると、候補者がいなくなりますね。
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