今度はタジキスタンとキルギス国境で軍事衝突だそうです。どうも中央アジアは益々混沌としてきているようです。
宮崎さんが報告してくれています。もしかしたら本当に第三次世界大戦なんてことも有り得るのじゃないでしょうか。と言うか何が起きてもおかしくないのかも。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和四年(2022)9月19日(月曜日。祝日) 通巻第7468号
こんどはタジキスタンとキルギス国境で軍事衝突
中央アジアの国境紛争はケリが突いていない
アフガニスタン戦争が長期にわたったため周りの国々の紛争は等閑視されてきた。キルギスのマナス空港にはアフガニスタン戦争中、アメリカの海兵隊が駐屯していた。
タジキスタンは同じイスラム圏と言っても人種的にはチュルク系ではなく、言語もペルシア系のダリ語である。キルギスとタジキスタンにはロシア軍が数百の規模で駐屯を続けている。
2022年9月16日、キルギス政府はタジキスタンとの国境で発生した軍事衝突により24人が死亡したと発表した。
キルギス国境警備隊はタジキスタン側からキルギスへの砲撃が続き、戦車や迫撃砲を装備したタジク軍がキルギス領内に侵入し、空港など周辺地域に砲撃を行っ たと発表した。キルギスでは13万7000人以上が避難したと報じた。パキスタンの『ドーン』(9月18日)はキルギス側の死者36,タジク側が35人と した。
おりから隣国ウズベキスタンのサマルカンドでSCO首脳会議が開催中だった。
キルギスのジャパロフ大統領とタジキスタンのラフモン大統領はただちに会談し、即時停戦と軍の撤収を命じることで合意した。しかし戦闘は続いた。
キルギスとタジキスタン国境はフェルナガ盆地を囲むように入りくんでおり、どこから何処までが国境なのか、はたまた牧草地のつづきなのか、よくわからない。
平成11年8月、ジャイカの職員四名がタジクのイスラム過激派に誘拐されたのも、このフェルナガ周辺で、昔ながらの馬賊的山賊と過激派が跋扈している。
解決に2ケ月を要し、ときの小渕政権は身代金を支払ったと言われている。
東西冷戦が終わった直後に筆者はウズベキスタンのサマルカンドから、タジキスタンのペンジケントまでバスで行ったことがある。国境検問所もなく、標識が道路に立っていただけでフリーパスだった。
十年ほど前にカザフスタンからキルギスへの国境を越えた。アルマトイからビシュケクへ直通バスはなく、国境の手前で降ろされる。
2キロほどの泥だらけの道路を荷物をごろごろひきづりならが歩く、つまり軍事緩衝地帯に双方が国境検問所を設けているから、距離を置いているのである。
次に数年前、ウズベキスタンからトルクメニスタンへ入国した。
同様に2キロほどの道を歩かされるが、南側の国境は舗装されており、なんとタクシーが往復していた。
帰路はトルクメニスタン北方から、ウズベキスタンのヌクスへの国境を越えた。道は舗装されていたが、タクシーはなく、荷物をごろごろと引っ張りながら、 やはり2キロほど歩く。パスポートコントロールはコンピュータが古く、係官も外国人旅行客がよほど珍しいのか、ひとりひとりの審査に五分ほどを要した。
さて問題は中央アジアの国境策定である。ソ連から独立して31年を閲し、ソ連時代の共産党のボスが、そのまま新国家のボスに治まっている国がおおく、かろうじて民主的な選挙があるのはキルギスくらいだろう。そのキルギスとて南北対立があり、過去に何回か暴動が発生した。
何だか世界中で何が起きてもおかしくないようです。いよいよ今年で世界もおわりでしょうか。
それにしても、人間の欲とは限りが無いようです。やはり、日本人がシラス国を取り戻し、世界に広めるしか解決方は無いようです。それまで世界が持つでしょうか。
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