団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★貧農史観と百姓一揆史観のウソ

2018年03月23日 | 誇れる日本

  ねずさんにはシラスを始めとして頼朝の権威と権力の分離、秀吉の朝鮮征伐の本当の意味など、多くの目から鱗を落としてもらいました。
  日本が嫌いだった私を日本に産まれて良かったと心の底から思わせてくれました。本当に、どれだけ感謝してもし足りません。

  そんなねずさんの、この江戸時代の士農工商の話も又、目から鱗です。誰が何の目的で日本を貶める教育をしてきたのかと心の底から怒りが湧き上がります。

 何時ものように、全文を是非リンク元で読んでください。

  大和心を語る ねずさんのひとりごとよ り     2018年03月11日

   貧 農史観と百姓一揆史観のウソ
  
  江戸時代の農民は、
「四公六民」とか
「五公五民」とかという
過酷な年貢の取り立てを受けていて、相次ぐ自然災害と凶作、飢饉で貧困にあえいでいたというのが、いわゆる「貧農史観」と呼ばれ るものです。

教科書によっては、
「そのために農民は、
 むしろ旗を押し立てて、
 百姓一揆や、打ちこわしをしていた」
などと書いています。

このため現代日本人はなんとなく
「江戸時代の農民=いつでも死にそうなほど貧困にあえいでいた人々」
といった漠然とした印象を持っています。

しかし、もしそうであるならば、どうして村祭ができたのでしょうか。
あるいは里神楽とか、農村歌舞伎のような、祭りの際の芸能が発達できたのでしょうか。…中略

 昨今では「百姓」という語も、差別用語にされていると聞きます。
誰が「差別だ」と言い出したのか知りませんが、無教養にもほどがあります。
日本語で「百」というのは、文武百官という言葉があるように、「かぞえきれないくらいたくさんの」という意味があります。

 そしてその「かぞえきれないくらいたくさん」の「姓(名字)」をもらったのは、7世紀の大化の改新の公地公民にまでさかのぼりま す。
そしてこのとき、天智天皇によって、
「すべての土地は、漢字二文字で書き表すように」
「すべての戸籍は、漢字二文字で書き表すように」
とお達しがあったのです。
だから日本人の姓や日本の地名は、ことごとく漢字二文字でできています。

 そしてこのときに、それこそ「かぞえきれないくらいたくさん」の姓が生まれました。
そしてその姓は、「天皇にいただいた由緒ある、そして誇りある姓」なのです。
その「かぞえきれないくらいたくさん」の、つまり「百」の「姓」を持つ者たちが、
「木っ端役人何するものぞ!」
と言って、みんなでこころをひとつに(一揆)したのが、「百姓一揆」なのです。

 これを差別用語だという人たちは、日本語の言葉の使い方を、まったくわかっていない。
つまり、そういうことを言い出している人たちというのは、日本に国籍を持って日本語を話していて、日本人のような顔をしているけ れど、実は日本人ではない人たちである、ということです。
その日本人でない人たちが、自分たちのもといた祖国で白汀(奴隷)として差別されていたから、きっと日本人も同じだったに違いな いと、勝手に思い込んで、政治運動をして、差別だと騒いでいるだけです。

 ちなみにその差別されていると騒ぎ立てている日本人のような顔をして実は日本人ではない人たちの多くが済州島出身だといわれてい ます。
朝鮮戦争が始まる前、済州島で北朝鮮の意向を受けた共産主義パルチザンが、島内で大暴れしました。
殺人、略奪、強姦、火付け盗賊などありとあらゆる蛮行が行われました。

 韓国の初代大統領である李承晩は、これを鎮圧するために済州島に軍隊を派遣し、島内の人たちを手当たり次第、殺戮したといわれて います。
このとき、正規軍がやってくるという情報を聞いて、いち早く済州島から日本へ逃げてきたのが、まさに大暴れしていた共産主義パル チザンたちでした。

 当然のことですが、彼らは本国には帰れません。
帰れば逮捕されるからです。
ですから戦後の混乱期にあった日本にやってきて、名を変え、日本人になりすましたり、日本で共産主義による破壊活動を繰り広げま した。

 当時の日本はGHQの支配下にあり、初期のGHQは、日本国内にいるKoreanに治外法権を認めていましたから、まさにパルチ ザンにとって、日本は天国であったわけです。
そして日本国内で、ありとあらゆる非合法手段を使って彼らは財を築きました。
そして日本の行政、司法、立法、教育、メディアなどあらゆる分野に介入したわけです。

 多くの日本の官僚さんや政治家さん、教育者の人たちが、そんなパルチザンによる日本破壊工作の手先として洗脳され、利用されてき ました。
そして悲しいことに、洗脳された日本人が、何の自覚もなく、日本の文化や歴史の破壊工作の片棒を担がされているのが戦後日本で す。
貧農史観や、百姓が差別用語だという主張をする人たちの背景には、そのような歴史があったりするわけです。

 そうそう。
ちょっと前まで日本には、このような人たち向けた良い言葉がありました。
「おととい来やがれ!」
「幼稚園から勉強し直して来い!」
です。

 お粗末さまでした。

  ここでも、「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」が登場です。どうあっても、あの国とは国交断絶しかないでしょう。
  日本から奴等を一掃すれば、それだけで日本は素晴らしい国を取り戻すことは間違いありません。兎に角、急ぎましょう。



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