◇愛という名の疑惑(1992年 アメリカ 124分)
原題/Final Analysis
監督/フィル・ジョアノー 音楽/ジョージ・フェントン
出演/リチャード・ギア キム・ベイシンガー ユマ・サーマン エリック・ロバーツ
◇めまい?
ヒッチコックという監督ほど、多くの後輩たちからオマージュを捧げられる人はいなかったんじゃないか?
そんなふうに考えちゃうのは、ヒッチコックのショットが鮮烈なせいだろう。もちろん、ヒッチコックに限らず、いろんな先達が多くの後輩から慕われているんだろうけど、映画のワンショットそのものを尊敬されている監督はめずらしい。
ここでいう献辞というのは、ヒッチコックの撮ったショットと寸分たがわぬようなショットを撮ることだ。たとえば『めまい』の有名な「めまいショット」はスピルバーグが『E.T』で捧げた。この映画でも同じように捧げられてる、とおもうんだよね。『めまい』はそのあらすじもデ・パルマの『愛のメモリー』でオマージュされたけど、どうやら、リチャード・ギアもヒッチコックのフアンだったみたいだ。
ま、そんなことからいうと、この映画は、おもわぬ拾い物をしたような気分にさせられた。
キム・ベイシンガーはあいかわらず魅惑的で見るからに素敵だ。高校の後輩で、それも女性で、彼女の大フアンがいた。てことは、彼女は女性からも憧れられる雰囲気を持ってるんだろうか。それはともかく、こんな美女が誘いかけてくれば、そりゃあ、リチャード・ギアならずとも誘われちゃうだろ、ふつう。このあたり、つまり、前半の展開はとてもいい。
ただ、終盤はいささか予定調和っていうか、2時間ドラマ的な展開じゃない?それは、ラストのワンカット、ユマ・サーマンがここぞとばかり演技をするんだけど、これなんか、いかにも、という印象が拭えないんだわ。