◇天国の門(1980年 アメリカ 219分)
監督・脚本/マイケル・チミノ 音楽/デヴィッド・マンスフィールド
出演/クリス・クリストファーソン クリストファー・ウォーケン ジョン・ハート
◇1892年4月、ジョンソン郡戦争
大学時代、この作品は憧れだった。
なんせ、製作費が4倍以上に膨れ上がり、ユナイテッド・アーチストを倒産させても尚、撮り続けて完成させたにもかかわらず、製作費4400万ドルの10分の1も稼ぐことができなかったといういわくつきの作品だ。傾斜した性格の大学生が憧れないはずがない。
当時のつたない記憶によれば、たしかこの映画はテアトル東京で封切られたんじゃなかったかっておもうんだけどね。ぼくがシネラマを体験した最後の作品だったんじゃないのかな。
で、あらためて観たんだけど、いやもう疲れた。必死になって撮りあげたことはたしかに評価に値するとはおもうけど、さすがに長い。だれるしつらい。
とはいえ、イザベル・ルペール、かわいいな。長い芸歴だね。たいしたもんだ。
ダグラス・シグモンドのカメラは惚れ惚れするけど、このつまらなさはやっぱり監督のこだわりのせいかもしれないね。
でも、非情になって、移民とそれを駆逐しようとする全米牧畜協会との闘争に絞って、クリス・クリストファーソンとクリストファー・ウォーケンの三角関係だけを絡めて徹底的に編集すれば、おもしろい映画になるっておもうんだけどな。もったいないな。
いや、それよりなにより、なんかこの脚本、おかしくないか?
戦闘中にいきなり『去年の今日はパリにいた』だの『人は皆、草だ』だの『悲しいことだ』だのと嘯きながら撃たれるジョン・ハートのことではなく、殲滅されそうになってる移民たちが出鼻を挫こうとするのはわかるけど、インディアンの襲撃みたいでなんとも合理性を欠いてて、こんな戦いして撃たれてもな~って気になる。
かれらの戦いはもちろん自分たちを守るためなんだけど、構図としては、自分たちを殺しに来たはずの殺し屋クリストファー・ウォーケンが協会に反旗を翻して孤独な戦いを開始し、なぶり殺しになっているのをイザベル・ユーペルに知らされ、それを助けに行くことで戦闘が始まるとしなくちゃね。
で、この前座の後で、丸太戦車の攻防にならないとあかんのに、それがどうもちぐはぐなんだ。
つまり、どうも入り込めない。
封切り時に観たときもたぶんこういう印象だったんだろう。これはさ、要するに脚本がパンクしたんだね。共同執筆者が必要だったね。