Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

サブウェイ

2007年06月15日 00時49分10秒 | 洋画1981~1990年

 △サブウェイ(1984年 フランス 102分)

 原題/Subway

 監督/リュック・ベッソン 音楽/エリック・セラ

 出演/イザベル・アジャーニ クリストファー・ランバート ジャン・レノ エリック・セラ

 

 △ベッソン的世界の発芽

 いかにもベッソン的な筋立てと空間と人物設定なんだけど、こういう風変わりな発想と演出を初々しいと受け取るのか、それとも素人くさいと受け取るのかはさておき、ベッソンの世界観っていうか、ベッソン臭さを好きになれるかどうかで、ほとんど決まってしまう。

 好きな人にはたまらないんだろうけど、ぼくには、予算がふんだんにある自主製作映画みたいな印象がある。

 もちろん、自主製作映画にイザベル・アジャーニは出てくれないけどさ。

 でもまあ、歌を歌えなくなった素性不明の若造が、やり場のない感情を抱えて人妻と恋に落ち、奇妙な仲間と金を強奪して地下コンサートを開くっていう筋立ては理解できるけど、なんだか緩慢な展開とメリハリの無い演出におもえちゃうんだよな~。

 さっきも書いたみたいに、こういう世界の好きな人間はすうっと入り込めちゃって嫌いじゃないけど溺れることはないだろうな~とかっていう冷めた意見をいうと、わかんないやつはこれだから困るってなことをいわれたりする。そういわれても困るんだけどね。

 それにしても、イザベル・アジャーニは綺麗だ。

 なんでこんなに整ってるんだろうってくらい、綺麗だ。

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恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ

2007年06月14日 20時46分46秒 | 洋画1981~1990年

 △恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ(1989年 アメリカ 109分)

 監督・脚本/スティーブ・クローブス 音楽/デイヴ・グルーシン

 出演/ジェフ・ブリッジス ミシェル・ファイファー ボー・ブリッジス

 

 △80年代、シアトル

 予定調和な展開は仕方ないもので、たぶん演奏と歌を心地好く聴くことができればそれでいいんだろうけど、それ以上のものはやはり期待したらあかんのよね。

 パセリは料理にあってもなくてもどっちでもいいものだとミシェル・ファイフアーがいい、喧嘩したことで兄のジェフ・ブリッジズから「パセリはおまえだ』といわれるんだけど、恋愛がこじれてグループから抜ける抜けないの厄介な展開を見、やけに落ち着いた風情のジェフがもののわかりすぎた態度を最後まで取り続けるのがいいのかどうか。

 まあ、たしかに兄弟喧嘩のとき地に這いつくばってでもお愛想笑いをしても生きていこうとする兄に対して「プライドはないのか、三流め」というが「おまえはいつもだんまりを決め込む。意気地なしの卑怯者の負け犬だ。そんなものはプライドとはいわないんだ」というように罵倒される。

 それはたしかにそのとおりで、結局、ちっぽけなプライドを棄て切れずに三人は別れることになるんだけれども、それにしてもミシェル・ファイフアーの『フィーリングズ』は歌いたくないていう設定からそうなるものの、やはり、下手な歌は嫌だな。

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ランダム・ハーツ

2007年06月13日 10時27分56秒 | 洋画1999年

 ◇ランダム・ハーツ(1999年 アメリカ 132分)

 原題/Random Hearts

 監督/シドニー・ポラック 音楽/デーヴ・グルーシン

 出演/ハリソン・フォード クリスティン・スコット・トーマス チャールズ・ダットン

 

 ◇ウォーレン・アドラー『ランダム・ハーツ』より

 都合が良すぎる出会い?

 そりゃあ、男と女のことだから、いろんな出会いがあってかまわないんだけど、自分の妻の不倫相手の妻と恋愛関係になるとかって、いくらなんでもまさかそんな安易な展開になるとは、おもってもみなんだ。

 シドニー・ポラックが製作までやってるわけだし、マイアミに出かけた理由と刑事の追っている事件とが、下院議員の選挙の秘密めいたものに繋がっていくのかと期待したんだけど、なんだかそうじゃなくて、単なる恋愛映画だったとは、いや、まじに肩透かしを食らった気分になったのは、ぼくだけなんだろうか?

 そりゃまあ、主役のふたりがやけに上品だし、演技もうまいものだから、最後までなんのつっかえもなく観ちゃうから、これはこれで、恋愛映画のひとつのかたちとおもうしかないか~。

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イグジステンズ

2007年06月12日 01時32分59秒 | 洋画1999年

 ◇イグジステンズ(1999年 アメリカ 97分)

 原題/Existenz

 監督・脚本/デビッド・クローネンバーグ 音楽/ハワード・ショア

 出演/ジェニファー・ジェイソン・リー ジュード・ロウ ウィレム・デフォー イアン・ホルム

 

 ◇ビデオドローム・ゲーム版

 クローネンバーグを初めて体験したのは『ビデオ・ドローム』だった。

 大学時代だったか、無機物が有機物と化してしまうどころか、それが女性化するところになんともいえないエログロ趣味が見られ、こんな変態映画を撮る人間って何者なんだろうとおもったものだ。

 でも、もはや、時代はビデオからゲームに移った。昔から映画の中に入ったり、夢の中に入ったりと、ぼくたちの生きているこの世界からパラレルワールドに誘い込まれる物語はあった。クローネンバーグの場合は、その世界がエログロに満ち溢れていて、なんとも刺激的だった。

 で、この映画は『ビデオ・ドローム』のゲーム版であり、しかも簡易版だという。ほうとおもって観てみれば、そうかな?って気がした。

「ビデオ・ドロームの方がよくわかる気がするんだけどな~」

 それと、これって近未来ってことになってるけど、思想的にはちょっぴり過去に戻ってる気がしない?

 反イグジステンズ主義者が地下に潜るような世界観を見ると、なんとなく戦後から70年代あたりまでの雰囲気が漂ってて、不気味なのは意匠や道具だけで、近未来そのものは穏やかな感じに見えてくるのはぼくだけなんだろうか?

 それと、仮想ゲームそのものに若干の物足りなさを感じるのは、物語の構成が多重構造になってて、ゲーム世界よりもそういう構造を愉しんでねっていうメッセージなんだろうか?

 そんなことを考えながら観てたんだけど、どうしても絵作りが明るすぎて、粘着質に満ちた暗さがもう少し欲しかったかなと。

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チェーン・リアクション

2007年06月11日 00時30分04秒 | 洋画1996年

 ◇チェーン・リアクション(1996年 アメリカ 107分)

 原題/Chain Reaction

 監督/アンドリュー・デイヴィス 音楽/ジェリー・ゴールドスミス

 出演/キアヌ・リーブス モーガン・フリーマン レイチェル・ワイズ フレッド・ウォード

 

 ◇CQ493は車のナンバー

 ばっかんばっかんと爆破シーンが連続するのに、石油の代替エネルギーの開発計画、すなわち、エネルギー発生装置“ソノ・ルミネセンス”の奪い合いっていう構図の、よくわからないB級大作だった。

 まあ、キアヌ・リーブスをスターダムにのしあげないといけないし、つぎつぎにアクションの案が出され、環境問題も絡めないとあかんで、てなことから、どうにも頭でっかちな筋立てになっちゃったって観はいなめない。

 逃亡という確立されたジャンルとはいえ、心理描写のない空虚さは如何ともしがたい。

 恋愛も憎悪も正義も濃厚さが足りないというか、アクションも含めて押しが足りなくなってるのは、詰め込み過ぎによるものとしかおもえない。

 それにしても、モーガンの葉巻は吸い過ぎだろってくらいで、たぶん、禁煙協会の人が見てたら、ひくひくしたんじゃないだろうか。

 そんなこんなの作品ながら、見どころがひとつある。レイチェル・ワイズのどこか田舎くさい初々しさで、なんと、この作品がハリウッド・デビューだそうな。なるほど、貴重な作品だね~。

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メッセージ・イン・ア・ボトル

2007年06月10日 15時36分32秒 | 洋画1999年

 ◇メッセージ・イン・ア・ボトル(1999年 アメリカ 131分)

 原題/Message in a Bottle

 監督/ルイス・マンドーキ 音楽/ガブリエル・ヤレド

 出演/ケビン・コスナー ロビン・ライト ポール・ニューマン ジョン・サヴェージ

 

 ◇ニコラス・スパークス『メッセージ・イン・ア・ボトル』より

 昔から、手紙を瓶につめて海に流すというのは、ロマンチックな行為の典型ってされてきたけど、それがそのまんま物語になってるのって、どれくらいあるんだろう?

 そういうことからいうと、使い古されて、ときにはパロディにしかならない世界を、ほんと、まるきりストレートに描いてるだけでも、もしかしたら希少価値のある映画かもしれない。

 ただまあ、父親に「新しい愛に生きろ」と後押しされたこともあって、亡き妻への新たな手紙をポケットに入れて船出したものの、嵐の中で救助を待つ女性を助けるのとひきかえに自分の命を落としてしまうという、なんの伏線もない唐突なとってつけたような幕引きは、如何にも泣かせの意図が見え見えで、ある意味ひきょうかもしれないけど、こういう運命のいたずらのような悲恋に涙しちゃう女の人は少なくないんだろな~。

 ま、晩年のポール・ニューマンが妙に縮んだ印象はあるものの、渋い演技で良だったんで、さしひき0にしましょ。

 でも、新聞記者のロビン・ライトが「赤ワインで良かった?」といっては、いかんね。

 赤ワインでも良いかしら?、でしょ。

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ポストマン

2007年06月09日 01時00分53秒 | 洋画1997年

 ◇ポストマン(1997年 アメリカ 176分)

 原題/The Postman

 監督/ケビン・コスナー 音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード

 出演/ケビン・コスナー ウィル・パットン ラレンツ・テイル オリヴィア・ウィリアムズ

 

 ◇2013年、世界崩壊

 あらま、もう、その時代になっちゃってるね。

 世界がぶっつぶれた後、ゴールドラッシュの時代に遡ったようなアメリカが舞台なんだけど、なんか、主役の設定に違和感があるんだよね。

 神格化された流れ者が、やがて奮起して、国家再興の英雄になっていく過程を描くには、舞台役者という設定があんまり好いとはいえないし、嘘から出た誠にはちょっと成りにくいんじゃなかって気がした。シェイクスピアって呼ばれてるところからして、そうなの~?っていう反発が聞こえてきそうだし。

 やっぱり、根っからの郵便配達夫っていう物語にした方が好かったような気がするんだけどな。

 それと、目をつけた男の顔を忘れる独裁者もまぬけだし、性交の理由づけも共感しがたかったりするし、要するに、ケビン・コスナーをいかにして英雄に仕立て上げるかってのが前提なもんだから、ちょっとしたところにほころびができてちゃったって感じなのかもしれないね。

 それにしても、全尺176分。ケビン・コスナーが監督すると、どうしていつも長尺物になるんだろ?

 迫力はそれなりにあったけどね。

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雨のなかの女

2007年06月08日 01時03分35秒 | 洋画1961~1970年

 ◇雨のなかの女(1969年 アメリカ 101分)

 原題/The Rain People

 監督・脚本/フランシス・フォード・コッポラ

 音楽/ロナルド・スタイン カーマイン・コッポラ

 出演/シャーリー・ナイト ジェームズ・カーン ロバート・デュヴァル マーヤ・ジメット

 

 ◇1969年、ロングアイランド

 The Rain Peopleだからって、雨ばかりの映画じゃない。かれらは、雨の中にいるんじゃなくて、雨で出来た人々って意味だ。

 で、この雨族ってのが誰なのかっていえば、フットボールの花形選手だったのに試合で負傷して脳障害になり、スポーツや勉強はおろかセックスまで不能になってしまい、雀の涙の金で学校を追い出され、悲しみにひたっている青年と、結婚して1年経ったんだけど、毎日がどうしようもなく不安で、身の置き所がなくなったところへ妊娠したということがわかり、ますます強迫観念が増し、突発的に家出をしてしまう新妻のことだ。

 その偶然でくわした2人が当時の流行でもあるオールロケのロード・ムービーの主役になるんだけど、都合18州でロケしたってのは、たいしたものだ。

 若き日のコッポラとルーカスの映画に対する真摯な態度がよく見えてくる。

 この旅立ちの頃、脳障害の青年ジェームズ・カーンは、フロントガラスに降る雨を見ながら新妻シャーリー・ナイトにこういうんだ。

「雨でできた人間は、涙を出すと流れてしまうんだ」

 う~ん、なんともセンチメンタル・ジャーニーの出だしにふさわしいじゃないか。

 しみじみしてて、ええ。

 後は、物語の基本に忠実なんだけど、この「涙を出す」のは、学校を放校になったときでも、訪ねて行った恋人にすげなくされたときでもない。

 ましてや、シャーリー・ナイトがジェームズ・カーンを誘って、セックスしようとするんだけど、インポテンツになっているのをまざまざとおもおしらされる誘った側と誘われた双方の惨めさでもない。 

 運の尽きたような警官ロバート・デュヴァルにトレーラーハウスに連れ込まれ、シャーリー・ナイトが犯されそうになって、ジェームズ・カーンが怒り狂った矢先のことなんだよね。

 丁寧な小品だった。

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テルミン

2007年06月07日 02時04分30秒 | 洋画1993年

 ☆テルミン(1993年 アメリカ 83分)

 原題/Theremin an Electronic Odyssey

 製作・脚本・監督/スティーヴン・M・マーティン

 音楽/デイヴィッド・グリーンウォルド

 出演/レフ・セルゲイヴィッチ・テルミン クララ・ロックモア ロバート・モーグ

 

 ☆1920年、電子楽器テルミン登場

 小学生の頃、東宝の怪獣映画やSF映画、テレビの特撮ドラマや怪談を観たりしたとき、かならずといっていいほど、特徴的な音楽が流れてた。ぼくは勝手に、大きな鋸をふにゃふにゃさせて、それを弦で弾いて奏でてるとおもいこんでた。けど、どうやら、すこしばかりちがったらしい。

 ていうのも、その音楽の多くは電子楽器テルミンで演奏されたものだったみたいだから。

 で、この映画は、そのテルミンを発明したソ連の物理学者のドキュメンタリだ。とはいえ、かたくるしいものではなくて、博士の見事な愛情、とでもいえるような作品に仕上がってる。

 この天才科学者の名前は、レオン・テルミン。ソ連名は、レフ・セルゲーヴィッチ・テルミンね。

 戦前、いったんは渡米したんだけど、第二次世界大戦の前夜にほとんど拉致同然でソ連に引き戻され、収容所に投獄されて、強制労働も経験したらしい。戦後は、秘密研究所に入れられて、西側諸国は死んだものとおもってたとか。まあ、そんなこんな、いろいろある人生なんだけど、チェロ奏者である事もテルミン博士の発明と愛情に一役買っているのかしら?

 この作品が感動的なのは実際に生きた博士を撮影できた事もさることながら、編集の妙がとってもある。ドキュメンタリの場合、編集が如何に重要なものか教えてくれるよね。

 電子楽器「テルミン」がどれだけ不思議な楽器かってことは、コンデンサ(蓄電装置)とアンテナ(2本あって、右上と左横にある)のことを、どれだけ説明しても文章だとよくわからないし、演奏の仕方も、左右の手を踊るように動かしていくんだけど、これもまた文章だとよくわからない。

 映画は、便利だ。

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スパイキッズ2 失われた夢の島

2007年06月06日 00時42分12秒 | 洋画2002年

 ◇スパイキッズ2 失われた夢の島(2002年 アメリカ 100分)

 原題/Spykids 2 : The Island of Lost Dreams

 監督・脚本・撮影・美術・編集/ロバート・ロドリゲス

 音楽/ロバート・ロドリゲス ジョン・デブニー

 出演/アントニオ・バンデラス アレクサ・ヴェガ ダリル・サバラ カーラ・グギノ

 

 ◇ロバート・ロドリゲスって…。

 なんとも多彩な監督だってことくらいしかわからないんだけど、よくもまあ、これだけすべて自分ひとりで処理しちゃうな~ってのが正直な感想だ。

 バンデラスとツーカーになってしまったのか、好き放題に撮りながら、それでいて、ハリウッドのお約束を守ったエンターテイメントに仕上げている事には、いや、ほんとに脱帽するわ。

 前作に比べれば、予算も充分に取れたみたいだし、なんていうか、羨ましい。

 その昔、たしか『巨大生物の島』って映画があって、何度か観た気がするんだけど、どうして島っていうのは、巨大生物が棲んでるっていう発想になるんだろう?

 ぼくたちは島という閉ざされた空間に、いや、外界と遮断されて独自の世界を作り出してる空間に憧れ、そこには未知なるものが存在しているんじゃないかっていう夢想を抱いてきた。

 それはたぶん東宝のゴジラシリーズのおかげかもしれないんだけど、もしも、ロバート・ロドリゲスもぼくたちと同じような少年期を送っていたとしたら、こういう発想が芽生えてくるのは、必然ってことになるんだろうか?

 だから、子供騙しの映画だよな~とかおもわずに、こういう作品を観た子供たちが、何十年後かに、また、巨大生物が棲息しているかもしれない島の映画を作るようになったら、それはそれで素敵なことなんじゃないかっておもうんだよね。

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蝶の舌

2007年06月05日 01時13分34秒 | 洋画1999年

 ☆蝶の舌(1999年 スペイン 99分)

 スペイン題/La lengua de las mariposas

 ガリシア題/A lingua das bolboretas

 監督/ホセ・ルイス・クエルダ 音楽/アレハンドロ・アメナーバル

 出演/マヌエル・ロサノ フェルナンド・フェルナン・ゴメス ウシア・ブランコ

 

 ☆マヌエル・リバス『?Que me queres, amor?』

 1936年、スペイン・ガリシア地方

 ティロノリンコっていうのは、オーストリア原産の鳥のことだ。

 こういう珍しい鳥の話をしてくれたり、蝶の舌について優しく教えてくれたりするだけじゃなく、実際に子供たちと山へ入って蝶を採ってくれる先生っていただろうか?

 子供たちが大好きになって、勉強することの愉しさを教えてくれた先生は、ぼくの小学校時代にいったい何人いたんだろう?

 数人の先生の顔は浮かんでくるんだけど、なかなかいない。

 もともと、ぼくは先生に殴られこそすれ、頭を撫でてもらったことは一度もないし、褒められたっていう記憶もほとんどない。70年安保の尻尾をひきずったガキンチョだったぼくにとって、思想だの主義だのとかいったことはなんにもわからないくせに、学校とか教師とかいうのは、はなから敵視するき存在だった。

 まったく困ったもので、この映画に出てくるような和気藹々とした生徒と教師のような思い出はない。

 いや、ほんと、まとまりの好い挿話だった。

 戦争と子供というのは、常に変わらぬ静かな感動を与え、同時に明確な主張を託す。そういうことからいうと、大好きだった『抵抗の詩』を彷彿とさせた。

 フランコに反対する共和派の老教師を、どちらかといえば無思想に近い自然派の存在としている所が、好い。ここで、いたずらに共和政治をめざしている闘士のようなところを見せると、それだけで「あ~」と、おもわずひいちゃうかもしれないもん。

「ティロノリンコ、蝶の舌」

 と、マヌエル・ロサノがフェルナンド・フェルナン・ゴメスに叫ぶところは、たぶん、映画史の中でも名場面のひとつに数えられるんじゃないかとおもうんだけど、あんまり語られないんだよな~。

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愛を殺さないで

2007年06月04日 02時43分11秒 | 洋画1991年

 △愛を殺さないで(1991年 アメリカ 103分)

 原題/Mortal Thoughts

 監督/アラン・ルドルフ 音楽/マーク・アイシャム

 出演/デミ・ムーア ブルース・ウィリス ジョン・パンコウ ハーヴェイ・カイテル

 

 △ダンキンドーナツが協力?

 レンタルビデオ店が徐々に大きくなっていこうとしていた時代、店内に幅をきかせてたデビッド・リンチのテレビドラマがある。

『ツイン・ピークス』なんだけど、その中で、カイル・マクラクランはしきりにダンキン・ドーナツを食べてた。当時、京王線調布駅のロータリーにもダンキンがあって、ぼくはしょっちゅう食べに行ってた。駅前で夜明けを迎えちゃったりしたときも、そこでドーナツと珈琲の時間を過ごしたりしてたこともある。いまはもうダンキンはないけど、当時は『ツイン・ピークス』と宣伝タイアップしたりして、かなり頑張ってた。

 で、その懐かしのドーナツが、この映画には2回も登場してくる。

 資本協力でもしたのかな~と余分な事まで想ってしまうくらい、話は淡々と展開していく。

 なんでこうも単調な取調室と事件の切り返しに終始するんだろうと、アラン・ルドルフの演出が気になったりしてたんだけど、デミ・ムーアが製作も兼ねてるんだ~とおもったとき、なるほどとおもった。つまりは、デミ・ムーアの演技を中心に据えてるわけね?

 まあ、自身が製作だからブルース・ウィルスまで引っ張り出したんだろうけど、どうも、このふたり、作品に恵まれてない気がするのは、ぼくだけかしら?

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大いなる旅路

2007年06月03日 00時05分56秒 | 邦画1951~1960年

 ☆大いなる旅路(1960年 日本 95分)

 監督/関川秀雄 音楽/斎藤一郎

 出演/三國連太郎 風見章子 高倉健 中村嘉葎雄 梅宮辰夫 東野英治郎 加藤嘉

 

 ☆昭和19年3月12日7時56分、C58283号、転落

 この事故の概要をもう少し詳しくいうと、こんな感じになってる。

 3月11日19時、宮古経由釜石行の貨物列車が盛岡を発車した。宮古機関区の機関車C58283が牽引する13輌の下り貨物列車だった。釜石製鉄所からの軍事物資の鉄を満載して盛岡まで到着していたのが、この夜、岩手県内の山田線を利用して、宮古へ空車回送するために出発したものだった。

 乗員は、福島県出身の加藤岩蔵機関士(28歳)と前田悌二機関助士(19歳)だった。しかし、2メートルを超す積雪と強風の猛吹雪のため立ち往生し、途中の平津戸駅への到着は2時間以上も遅れ、午前0時が過ぎていた。さらに、先行する列車が川内駅で立ち往生していると連絡を受けたため、駅で列車を止めて、釜の火を調節しながら一夜を明かした。

 翌朝、先行する列車が動いたという報せが入り、7時56分、加藤機関士は前田機関助士と宮古へ向けて出発した。橋梁やトンネルは雪がなく加速をつけられたが、そうでない鉄路では雪の壁を押しのけながら進まなければならなかった。

 加藤機関士は、必死になって火を焚かせた。第三大峠トンネルを出、第一小滝トンネルをめざした。その間の鉄橋は、3つ。事故が起きたのは、2つ目の第二下平鉄橋である。

 橋桁が雪崩に押し流され、線路が宙づりの状態になっていたため、8時7分、いきなり脱線し、30メートル下の閉伊川に転落した。連結器がちぎれて貨車7輛は線路に残ったが、あとは転落した。

 機関車は転覆し、運転席の加藤機関士は右胸に重症を負った。前田助士は軽傷だったが、右手に裂傷を負い、骨が露出していた。加藤機関士は、前田助士に懐中時計を渡した。ガラスが割れて止まっていた。

「これが事故の起きた時間だ。後続列車の二重事故を防げ」

 前田助士は平津戸駅へ戻ろうと出発したが、腰までの積雪のため断念し、加藤機関士のもとへ戻って怪我の手当を行った。 

 その頃、平津戸駅では、予定時間を大幅に過ぎているのに、貨物列車が川内駅に到着していないという知らせを受け、地元青年団が除雪する中、保線員が徒歩で川内駅へ向かった。

 二時間後、保線員が脱線を発見、加藤機関士と前田助士は救助された。

 しかし、医師看護班を乗せて宮古を発した列車が川内に着いたのは23時を回っていて、それまでに加藤機関士の容態は悪化、前田助士の手を握ったまま息をひきとった。

 戦時だったためか、脱線事故は新聞記事にも取り上げられず、横転したC58283が引き揚げられたのは、戦後数年を経てからだった。

 前田機関助士は、事故のあった年の9月に召集され、横須賀海兵団に入団していたが、戦後まもなく復員し、宮古機関区に復職した。引き揚げられたC58283は、郡山工場で修復復元され、山田線がディーゼル化される昭和45年まで、前田機関士により稼働した。

 事故の前後はそんな感じなんだけど、昭和30年代の前半、盛岡鉄道管理局機関部労働組合盛岡支部で『殉職者頌徳帳』が刊行された。これに、山田線・平津戸ー川内間での脱線事故の詳細について、前田機関助士の手記が掲載された。

 この手記を目にとめたのが脚本を担当した新藤兼人で、東映に持ち込んだとされてるんだけど、ちょっと腑に落ちない。というのも、原作者は加藤秀雄とされているからだ。この加藤秀雄という人はいったい誰なんだろう?殉職した加藤岩蔵の長男かなにかなんだろうか?わからない。

 たぶん、東映の社員でも、当時の映画化のいきさつを知っている者はいないんじゃないかしら。まあ、それはいつかわかるときが来るとおもっておいとくけど、それにしても、仲沢半次郎、よく撮った!本物の機関車を脱線させて雪の谷底へ落とし、撮影したのは驚きだ。国鉄の全面協力とはいえ、職員立ち会いのもととはいえ、凄すぎる。

 明朗健全東映現代劇を代表する作品のひとつだと、ぼくはおもってるんだよね。

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クラム

2007年06月02日 00時37分12秒 | 洋画1994年

 ◇クラム(1994年 アメリカ 120分)

 原題/CRUMB

 監督/テリー・ツワイゴフ 音楽/デヴィッド・ボーディンゴース

 出演/ロバート・クラム アリン・コミンスキー チャールズ・クラム

 

 ◇フリッツ・ザ・キャットは葬られた

 この、1943年8月30日にペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれた、60年代カウンター・カルチャー運動の寵児にして、アンダーグラウンド漫画家ロバート・クラムの名前は知らなくても、かれの生み出した猫の名前を知ってる人はたぶんいるだろう。

 フリッツ・ザ・キャットだ。

 セックスと麻薬と暴力のはびこる60年代のアメリカで、皮肉なジョークと大胆なセックスでもって世相を語る猫の話だ。

「ああ、あれね~」

 という人は、たぶん、団塊の世代だろう。

 で、その世代の代表的な監督がデビッド・リンチなんだけど、どうやら、この16ミリ映画の試写のとき、リンチがやってきて激賞したらしい。だけど、とてもヒットしないだろうとおもったのか、自分の名前を製作陣に加えてくれれば、ちょっとは宣伝効果もあるんじゃないかってな申し出をしたもんで、クレジットされてるらしいんだけど、もともと、リンチはクラムが好きだったんだろうか?

 映画そのものは可もなく不可もなくって感じだったけど、まあ、アンダーグラウンド・カルチャーの世界は、いかにもリンチの好きそうな世界ではあるんだけどね。

 にしても、相手の女性達がセックスの内容や性癖まで語るのは凄い。

「バックが好きなのよ」

 とかね。

 でも、もともとクラムが、前衛的かつ急進的な芸術家であることは誰もが認めるところで、クラムの寂寞としたピアノの爪弾きは、かなり印象的だった。クラムの人間像もそうなんだけど、家族もまた奇妙だ。芸術と狂気が身近にあると、人生も性格も奇妙になっちゃうんだろか?

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愛人関係

2007年06月01日 01時05分53秒 | 洋画1971~1980年

 ◇愛人関係(1974年 フランス 106分)

 原題/Les Seins De Glace

 監督・脚本/ジョルジュ・ロートネル 音楽/フィリップ・サルド

 出演/アラン・ドロン ミレーユ・ダルク クロード・ブラッスール ニコレッタ・マキャヴェッリ

 

 ◇リチャード・マシスン『Les Seins De Glace』より

 南仏ニース、冬。

 原題の意味は、空虚な心。誰の心かっていうと、アラン・ドロンとミレーユ・ダルクだ。どれだけ愛したところで、彼女の心は空虚なままだ。結局、自分もまたその空虚さに打ちのめされるのだ。てな感じの意味なんだろう。

 いや~いかにもフランス的っていうか、アラン・ドロンのほかには、こんな気障な男は演じられないんだろう、たぶん。

 とはいえ、ドロン映画は基本的に好きなんだけど、この脚本がちょっと心得違いっていうか、入り込みにくい。

 過去になにがあったのか明確には知らされないまま、愛してしまいそうになると同時に、相手に対してどうしようもない殺意が芽生えて実行してしまうという、とんでもなく薄幸な、ある種の精神障害に掛かってしまった女を、これまたどうしようもなく憐れみ、愛してしまっている弁護士がいて、そういう複雑な関係が見えないまま、恋をしてしまい、危険に陥っていく脚本家の話なんだけど、脚本家と弁護士の役回りを一緒にすれば、サスペンス色も増すし、感情移入も容易だったんじゃないかっておもうだけどな~。

 そのあたり、配給会社も頭を抱えたんだろう。だから、ドロンはミレーヌと関係をもったばかりの作品ってことで、内容とはまるでちがう邦題をつけるしかなかったんだろうけど。

 ちなみに。

 佳境、ついに脚本家が窮地に追い込まれ、展望台にミレーユを連れていって海を見たあと、ドロンの銃口から放たれた銃声が1発だったか2発だったか、ずっと論争されてるところだけど、ミレーユだけを殺したんなら、その罪を背負って生きていくってことになるし、心中したんなら、彼女への愛を抱えて永遠の眠りにつくってことになる。

 まあ、これは、観た人それぞれの想いによって違うってことで。

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