撮影機材を一切持たずに、パソコン一式を詰め込んだラックを持ってくるフォトグラファーも、今の時代はいるだろう。
例えば、あなたが写真道楽家で、ある時会社の上司から、新商品の撮影をして欲しい、と依頼されたとしよう。道楽が仕事になるなんて素晴らしい。会社の眼があなたに向かうというのも気持ちがいいもんだ。そこであなたは機材庫をひっくり返し、自慢のニコンD3や24-70mmのズームレンズやら、マクロレンズ等を会社に持参するだろう。そして意気揚々と、蓄えこんだ知識を振りかざしながら、得意満面にフォクグラファーと会話をしつつ、もの撮りに励むことになる。
そしてあなたが撮影したローデータを受け取ったフォトグラファーは、adobe photoshopの機能をフル稼働させて、何枚ものレイヤーの上に、あなたが撮影した画像を展開させ、そしてバラバラにされ、さらにレタッチの限りをつくして、最後に印刷用の写真原稿にしたてあげてくれるというわけだ。つまりこのフォトグラファーは、後処理の達人だったのだ。
だから撮影などは誰が撮ってもよく、最悪写真の素人お姉ちゃんがEOS Kiss digitalで危なさそうに撮影した画像だって構わないのである。後処理で技を少し駆使すれば、印刷原稿にできるという考え方なのだ。これもデジタル時代のプロ技であろう。
こうした手法をみたければ、コマーシャルフォトなどの商業写真誌を見るとよくわかる。
例えば、エンジンやインテリアなどの大半の装備を外された自動車は、背後からクレーンであたかも宙に浮いているようにセッティングされて撮影される。撮影画像は、ソフト上でバラバラにされ、調整とあらゆるレタッチが細部にわたってほどこされ、実写ではとても撮影不可能な印刷画像に仕上げてくれる。そして私達の眼前に雑誌のグラビアとなって登場してくるのである。
このように考えると、撮影というのは、前回のブログのようにプロ技を駆使した仕事の終わりであり、また始まりでなのである。
従ってシャッターを押すという行為自体は、今ではあまり重要な仕事ではなく、むしろ撮影のための筋道が組み立てられる企画力、計画的に実行できる行動力、そしてソフトウェアを使いこなせる技の方が重要になってくる。さらには、そうした行為全体をディレクションできる能力が必要なのである。そこらあたりに、プロ技が光るのであろう。
京都御所,承明門
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/f3.5-5.6ED,
シャッター:1/200,絞りf6.3,焦点距離16mm,ISO100,カラーモードF2
すると彼は、2台のベンツワゴンに数人のスタッフと大量の撮影機材を抱えて撮影現場に乗り込んでくる。
例えばインテリアの撮影だと、まず部屋の掃除を行い、撮影に不用な書類やパソコンや電話や諸々のグッズがあれば、カメラから見えない位置に置かれ、配線を変えたりとまるで電気屋のようだ。そして置かれている椅子などの家具の位置を巻き尺で測り、あたかも図面に描かれている通り寸分の違いもなく整然と並べられる。それにインテリアに合わせた花卉などの点景がセットされる。
そしてリバーサルフィルムに合わせて、室内の照明づくりが行なわれる。必要があれば、照明器具は撮影用に取り替えられたり、大型照明器具がカウンターの中にスタッフ毎入り込んだり、不用な光はカットしたりと、撮影環境の再構築が始まる。通例の撮影スタジオよりも大きな空間を撮影用に最適化するのであるから、その機材は、時には大仕掛けである。この間数人のスタッフは、あらゆるセッティングで忍者のように忍び足でひたすら走り回る。さながら静かな建築現場のようだ。
やがてポラロイドで試写が始まり、再度撮影環境のセッティングがなされる。ようやく一時静かになると、撮影が終わる。この間1カット撮影するのに1時間はかかるだろうか。だから、そこそこの撮影枚数だと、まる二日位は必要になる。
こうしてデザインの意図が適切に、そして大変美しく表現された写真ができあがるのである。もちろん雑誌のグラビアなどの掲載に使うために印刷を考慮して撮影されているのである。
後日、中道さんから4×5撮影後のポジフィルムを借りて、保存用に35mmフィルムに落としたり、デジタル化したときでも、原画の色調は全く変わらない。凄いの一言である。
こうした現場に立ち会うと、フォトグラファーのプロ技の凄さを勉強させてくれる。撮影目的に合わせて、シャッターを押す以前の被写体である環境自体を、撮影用に最適化してゆく過程にこそプロ技が光っている。それが一瞬の静寂で記録されると、後片付けが始まり、のけられた書類や配線がもとの位置に戻されて、撮影したという跡を全く残さずに立ち去ってゆく。そしてあとには大変美しいポジだけが残される。まさにプロ技である。
京都御所,紫宸殿前庭
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/f3.5-5.6ED,
シャッター:1/162,絞りf6.3,焦点距離42mm,ISO100,カラーモードF2
街中で催事などを撮影していると思うのだが、スチール写真の撮影機材というのは、撮影を職業としている腕章を付けた人達と、撮影を道楽としている人達とが、同じ機材を使用しているというのが不思議な現象だ。
私の大学の研究室を覗くと、工学系の研究室が半分位あるから、当然建築構造や環境設備の実験装置や計測用の機材をみれば、特注制作あるいは専門業者からの調達といってよく、市販されていないものばかりだ。価格をみてもデジタル撮影機材の比ではない。中には、特定国への禁輸プロダクトだってある。
だから私達の世界では、専門家ユースと道楽ユースとの機材とでは基本からしてスペックが異なっているのが通例だ。
それが街中の催事の現場では、皆市場で販売されている同じ撮影機材を使用しているのである。同じ機材を使用していれば、撮影結果に大差がないだろう。となるとあの撮影を仕事とする人達と道楽の人達との違いは、腕に巻き付けた腕章ぐらいか。
私も研究上の必要があれば、催事などの主催者から腕章をもらうことができる。そんなことは大学院生だって論文を書くのに必要だという理由をつければ、貰える程度のものだ。要は正当なる理由があり、催事の趣旨に合致しておれば誰でも貰えるものだ。実際に私の場合は、面倒だからそんな手続きはしないが。となると腕章もどこか自己満足的な道具でしかない。
こうなると、撮影を業とする人達と道楽系との違いはなんだろうと考えていたら、凄いとうならせる人達がいた。商業写真分野のフォクグラファー達だ。この話は次回に続けよう。
京都御所,御常御殿,障壁画.
GF-1,TELE-ELMARIT f2.8/90mm,
シャッター:1/60,絞りf4.0,ISO400,撮影モード:スムーズ.
容易に持ち歩ける軽い道具があると、それまで諦めていた風景に眼がゆくようになる。掲載したカットは、いつものGF-1に180mm相当の単焦点レンズを用いて、御所の庭から室内の障壁画を撮影してみた。あら!なかなか美しいではないですかという新たな発見があった。
もちろん室内は大変暗いので、撮影したカットは、フォトショップで相当な修正を加えた。歪曲収差の少ないレンズだから、比較的自然に見られるようだ。
その時は、前のブログで使用しているズームレンズを付けたFuji FinepixS5、GF-1に望遠レンズという二台を持ち歩くスタイルだったので、重さが苦にならず大変軽くて便利で楽ちんなシステムであった。
昔、ニコンF4にF3をサブに持ち、広角、標準、望遠とf2.8の3本のズームレンズのフルセットを入れた撮影システムをカメラバックに詰め込んだ。 そしてハスキーの三脚を加え、さらに私は研究者だから、文献や資料やパソコンが加わる。これで装備は完璧であるから、さあ、なんでもこい!、という気分だ。そこで意気揚々とこれらすべてを担いで出かけようとした。
だが肩にくいくむ複数のバックや三脚は、とても1日を軽快に歩き回れる重さではなかった。結局このフルシステムでは、私の場合は研究も撮影もできないということがわかり、フィールド調査に持ち出したことは一度もなかったという経験がある。
あるとき私の教え子で新聞社に就職し、写真記者をしているF君が、フラリと私の研究室にやってきた。あれ!いつもの重たい機材バックはどうしたの?、といいたくなる軽装であった。「最近これがとても良いのですよ」、といって出してくれたのが、ニコンの18~70mmのズームレンズを付けたD70が1台だけであった。それがもの凄く知的で精悍に見えたことを覚えている。
F君は、この極めて軽い機材で、新聞に多くの建築関連の記事を書いていた。最近のプロは、写真だけを撮っていては仕事にならないので、取材のために軽装でアクティブに活動できることが、報道の仕事の前提にあるのだろう。だから写真記者なのであろう。
そういえば、大艦巨砲主義という言葉だが、昔の日本海軍の戦艦大和がその象徴であり、最後は時代に合わなくなり航空機の雷撃によってあえなく沈没するのであるが、どうも今のメーカーのブログを見ていると、いまだにその古色蒼然とした主義を貫く重量級機材が目につくのには驚きを覚える。それに価格も重量級だ。あの巨大なプロダクトは、一体誰が使うんだろうか。私の教え子である写真記者F君のように、毎日仕事をしているプロは意外に軽装ではないか、というのが個人的認識なのだが・・・。
京都御所,御常御殿,
GF-1,TELE-ELMARIT f2.8/90mm,
シャッター:1/60,絞りf4.0,ISO400,撮影モード:スムーズ.
個人的には、三脚が嫌いである。まず重たいし、撮影のフットワークが悪くなる。それに京都の多くの寺院では、三脚が禁止されている。
といって三脚を使用して撮影した方が、果然しっかり撮影ができることは、自分でも理解している。足元には、かってプロフォトグラファーが選んでくれたハスキーの4段三脚が転がっている。嫌いだとは言っても随分使用したので、雲台のコルク部分がはげている。
そんなずぼらな態度でいたら、最近では手ぶれ補正が登場し、ISO感度がすこぶる上昇したので、いずれ三脚は不用になるかもしれない。
ライツがはじめた35mmカメラというコンセプト自体が、手持ち撮影を原則とする機動力にあるのだから、三脚をつけていては、意味がなかろうと自分勝手な理由を付けている。実際ライツ・ポケットブックには、膨大なアイテムのアクセサリーが掲載されている中で、屋外用三脚は僅かである。
GF-1は、反三脚的機材だと思われる。TELE-ELMARITをつけると180mmのレンズとなるが、このブログでも紹介してきたように、ボディとレンズをガッシと掴めば、以外にぶれないカットが撮影できる。つまり掴みやすい、保持しやすい大きさのボディとレンズなのである。ただしGF-1の高感度は、ノイズが多くISO800位までが撮影限度である。
時折ザックの中に、小さなミニ三脚を入れてある。このほうがGF-1によく似合うと思い込んでいる。といいながら今日は、愛用のFujiで撮影したカットを掲載した。
京都御所,若宮・姫宮御殿
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/f3.5-5.6ED,
シャッター:1/60,絞りf8,焦点距離38mm,ISO320,カラーモードF2
まずこの威風堂々とした建築、だが居室をみると天井高は、通例の住宅の二階分の高さがあり、居室の気積(居室空間の体積)が大変大きいのである。当時冬の暖房と言えば、囲炉裏や火鉢程度だとすれば、この大きな気積で用いる道具としては不十分だ。 しとみ戸を降ろし屋内の建具を閉めきり、僅かに天窓からの光をたよりに、着込んで暮らす他なさそうだ。 御所の冬は、部屋の中であっても極めて寒かったと私は推測している。
そう考えていると、桂離宮や修学院離宮を思い出す。こちらの離宮は御所程の気積ではなく、むしろ通例の武家住宅などの気積に近い上に屋敷全体がこぢんまりしており、住まいとして成立しやすい。従って冬の寒さを避けるために設えたのが離宮だったのではないかと推測する。宮廷人達は、寒いときは御所に棲むのに耐え難く、離宮に避難されたと、私は想像した。
御所を歩きながら、往事の住まいとしての建築に、そんな思索をめぐらしていた。
京都御所,御常御殿
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/f3.5-5.6ED,
シャッター:1/142,絞りf6.3,焦点距離25mm,ISO100,
今日は、いつも私が使用しているFuji FinepixS5proにニコンのズームレンズを付けて撮影した画像をアップさせた。これと、古ライツMレンズとの大きな違いは、歪曲収差である。
このカットでは、それはあまり解らないが、建築物を撮するとすかさず違いがわかってくる。S5で使用しているズームレンズは、当然歪曲収差が盛大に現れる。私のように建築写真を職業柄記録する場合、歪曲収差は大変気になる存在だ。ただ、Fujiはどんな被写体に対しても、過不足無く撮してくれるので、私の信頼性は高い。その辺が重宝している所以だろう。
だからGF-1において古ライツMレンズが使いにくくても、時には使用せざるを得ないのである。単焦点レンズ故歪曲収差は大変少ないのである。GF-1にライツレンズを付け、撮影していて気がつくことは、歪曲収差が少ないのに加え、ボディの軍幹部がフラットで水平であるので、傾いたカットが少ないことに気がついた。そこがライツカメラと共通する性能だと思われる。カメラの軍幹部は水平であるべきだ、というのは、今でもライカMシリーズが維持しているデザインだが、意外に大切なことではないかと思われる。
昔、良い写真を撮る秘訣を著名なグラフィックデザイナーに尋ねたことがある。彼曰く、先ず水平にカメラを構えること、そして一歩前に出て撮影すること、だけであった。これは確信をついた秘訣である。それぐらい水平垂直というのは、大切な要素だし、逆に言えば、それがかなえられていれば、多くの写真は大変良く見えるのである。
最近のズームレンズが主流の時代では、水平垂直というのが相当に甘くなっている。なにしろ小さなファインダーで覗いているのだから、それは、わからないといったほうが良いだろう。
昔ニッコール単焦点レンズ28mmの撮影テストをしたことがある。単焦点レンズでも歪曲収差が見られるのである。だからズームレンズならば、盛大に歪曲収差が発生するのが当たり前である。そんなことを気にしだすと今の私達は、歪んだ画像を腐るほど見せられて麻痺しているのである。
そう考えたら、歪曲収差の少ないレンズを使うべきである。私の場合、撮影した写真から建築図面を起こしたりすることもあるので、古ライツMレンズを、写りが悪くても、使い勝手が悪くても、使わざるを得ないのは、そんな理由からなのである。
歪曲収差が少なく、水平垂直がとれるというのが写真の基本であり、良いレンズの条件であるということを念頭に置いといてもらいたいと思う。だから私はカールツァイスの単焦点レンズを2本を最初に購入したのである。その後に、FujiのS5のボディを購入した。そして最後に利便性を考慮してズームレンズを購入したのである。
このブログを読んでいただいている皆さんは、GF-1にどのズームレンズをつけようかといった、ステレオタイプ化した思考にはまっていませんか? 私から言えば比較的優れものの20mmのパンケーキレンズ1本があれば、先ずはそれで十分だと思います。GF-1 は、その程度の気軽さと、いつでも持ち歩ける携帯性の良さと、そしていざというときに、優れもののレンズが使える汎用性を兼ね備えた機材だと思います。
京都御所,皇后宮常御殿
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/f3.5-5.6ED,
シャッター:1/570,絞りf3.5,,ISO100,
昨日は、我が町内のお火焚き祭(おひたきさい)であった。昼前に市比売神社から神主さんにきていただき、大祓詞(おほはらえのことば)をあげてもらいながら、護摩木に火をともし、お祓いをしていただいた。
大祓詞というのは、第一段が高天原の理想の国の姿をこの日本の国土に建設するために神々が御皇孫ににぎの命にご命令なさる。第二段は国土の状況を、そして第三段は天降られた命が御殿をつくられ建設に第一歩を踏み出された事を書いている。そして第四段では人々が知らず知らずに犯した心のけがれをとむらう儀式が述べられ、第五段ではその儀式をすると、天神国神はそれをお聞きになり、第六段ではその罪状がむくわれてゆく様子を述べている。
国づくりを主眼としているのは、デザインという私の立場からみれば心強い限り。さて護摩木が燃え上がる頃、護摩木を焚いた鍋に蜜柑がくべられ、焼き蜜柑が各家庭に配られる。そこまでが、本来のお火焚祭の行事である。京都市内の多くの町で今でも行われている、冬の始まりをつげる行事である。
さてそのわが町の神様の神棚に備えられた御神酒や鯛や野菜や昆布やスルメや干しアワビなどがもったたいないというので、今年はお火焚祭の残り火を使い町内会主催のバーベキュー大会となった。
でっ、昼から町内の路地で宴会である。祭壇のお供え物を下げて、焼き、みんなでたいらげてしまったわけだ。それでも足りないと買い出しに走り、各家庭からもちより、すべてバーベキューである。そんなことをしながら、食べて飲んでと宴会をしていたら、夕方になってしまった。結局半日お火焚祭であった。
いささか、食べ過ぎ飲み過ぎなので、一昨年に撮影した画像をアップさせた。
2008年11月15日、お火焚祭
RICHO R8,1/143,f5.2,35.4mm,ISO200
GF-1を購入するときに、オプションにあったデジタル液晶ファインダーを追加した。もちろん光学ファインダーと同じような撮影スタイルを維持したいからである。
液晶ファィンダーはデジタルだから、光学ファィダーのようにリアルタイムで画像をみられない。デジタルでは、情報を再生してから見ているので、僅かに遅れた画像をみている。極端なことを言えば、被写体が上げている手を左から右に変えても、液晶ファインダーでは、まだ左手を上げている姿が見えていたといった具合だ。もちろん現在のデジタル機材では、そうしたタイムラグは、わからないぐらいに大変少なくなっているが、それでもリアルタイムで見ていないということは事実である。
本来ファインダーは、見ている範囲を示す見当器だとおもっているので、私はタイムラグをあまり気にしていない。それよりも、マニュアルレンズを使用した際に、ピントが合わせられる機能の方が大変重宝する。GF-1では、デジタルファインダーの拡大表示機能があるので、マニュアルレンズでも、比較的正確にピントが合わせられる。だから、古ライカMレンズシステムが使えるわけである。ただ欲を言えば、フォーカスモードボタンとSETボタンが触るだけで認識できる形状にして欲しかったですね。ファインダーを覗きながら手探りでボタンを探すのは、ちとつらい。
またGF-1に付属するLVFは、回転が甘く視度調整ダイヤルが不用意に動くことがあり、時折ピントが合わなくて慌てさせてくれる。さらにGF-1のボディ側のボタン類も不用に押されて設定が変わっていることに気づかない場合がよくあった。
私は、ファインダーというのは、人間のクリエイティブな感性や意識が働いているのであるから、省いたり、デジタル液晶ディスプレイで代用するなど、粗末な仕様にしてほしくないと思う。
京都御所,皇后宮常御殿,玄輝門,朔平門
GF-1,TELE-ELMARIT f2.8/90mm,jpg,
シャッター:1/125,絞りf4.0,+1/3補正,ISO100,撮影モード:スムーズ
GF-1がハーフサイズ近似故にバックフォーカスが短く、使用に際しては制約があるものの、多くの製造メーカーのフルサイズ・レンズシステムが、レンズマウントを介して付けられるのには意味があり、また魅力的な点である。つまり何でもありの世界にしてしまった。私は 外れないというトラブルを避けるために、 純正ライカ用レンズマウントを使用している。
一眼レフのボディは、テクノロジーの日進月歩があるから、現在では消耗品なのだが、レンズシステムは耐久消費財に近いと私は考えている。その証拠に製造メーカーがレンズマウントの規格を、長らく変えていないことがあげられる。
このブログでも前述したが、レンズシステムの大は小を兼ねられるが、逆はできないということは、どちらのレンズシステムで構成するかということに話題が及ぶ。小でシステム化すれば大では使えないので、その場合システムは新調するしかなく、個人的金銭負担が増えるわけだ。当然製造メーカーは、利益率が高く最適化されたレンズが多く売れることを期待しているわけだから、兼用など考えないでその時の推奨システムを利用しなさいという商品戦略を行う。
だがレンズシステム自体が耐久消費財であれば、企業の商品戦略だけに従うわけにはゆかない。ユーザーとしては、長く使える汎用性が高いレンズ・システムであるにこしたことはない。だからこそ、高価なレンズを使用するのであろう。ライカやN社はマウントを変えず、またC社のLレンズシステムなどは、フィルム時代から大きなモデルチェンジをしていないことを思い出すと、レンズシステムの変わらない、あるいは変えられない規格に意味があると思う。
尚、今日のカットである京都御所では、天皇陛下御即位20周年記念で、通例の公開範囲に加えて御常御殿や皇后宮常御殿までが特別公開されている。公開日時は、11月10日午後3時半迄である。
10年に一度なのだから、新幹線に乗って京都にきはったらどうどすぇ~。
京都御所,御学問所,御池庭
GF-1,TELE-ELMARIT f2.8/90mm,jpg,
シャッター:1/200,絞りf4.0,ISO100,撮影モード:スムーズ
GF-1は、普通の小さな機材だから、そんなに話題があるわけではない。数少ない話題の中で今日は、将来意味のありそうなGF-1のマイクロフォーサーズ・フォーマットについて記しておこう。
このサイズは、20世紀フィルム時代のハーフサイズに準ずる規模である。面積でフルサイズの1/2以下だ。
個人的には、現在のデジタル一眼レフの標準的サイズであるAPS-Cサイズが、長焦点では距離がかせげる等大変使いやすい。ただこのサイズが、マイクロフォーサーズに近いというのが気になる。
ハーフサイズがあれば、次はフルサイズだ、という20世紀の認識からすれば、折角定着したAPS-Cサイズが、将来無くなるのではという懸念材料を私は予感する。それに、近年APS-Cサイズの適切な情報が得られる画素数が、そろそろ頭打ちだと個人的には推測している。となると、APS-Cサイズはデジタル化の一現象で終わり、やはりフィルムと同じようにフルサイズとハーフサイズの二本立のデジタル版が、一般的になるのかなと推測する。これからフルサイズでは、2400~3600万画素クラスが一つのスタンダードとして定着するかもしれない。それ位の画素数であれば、フィルムの解像力に追随できるだろう。
そんなことを考えていると、気になるのがFuji Finepix S5pro 後継機である。APS-CサイズフォーマットのS5proは、現在私が最も信用し、使っているデジタル一眼レフである。なんといっても色がずば抜けて良いのが、この機材の特徴である。S5proに現代のカールツァイス・レンズは、美味しい組み合わせだと思う。
その後継機は、EXR素子を搭載して、さらなる色の良さを実現するだろうけど、撮影素子のサイズはどうするのだろう。それによってベースボディがAPS-Cサイズでデザインの良いNikonのD300か、フルサイズで大変ダサイD700になるかの違いがあり、気になるところだ。
つまり撮影素子が、マイクロフォーサーズ、APS-Cサイズ、フルサイズの順に大きくなり、現在普及している真ん中のサイズが中途半端ではないか、ということである。近い将来フィルムサイズ時代と同じ、ハーフサイズとフルサイズの二本立てで良いということになるのかもしれない。
こんなことを書くと、そんなものどっちだって良いではないか、とする意見も出てくるだろう。大のレンズシステムは、小を兼ねることができるが、その逆はできないよ。古ライツレンズシステムは、フルサイズ仕様だからこそハーフサイズのGF-1で使えたわけだし。
参考(単位:mm)
フルサイズ:36×24
APS-C:23.4×16.7
ハーフサイズ:18×12
フォーサーズ:17.3×13.0
府立植物園,2009年10月
GF-1,ELMARIT,f2.8/28mm.
シャッター1/320,絞り4.0,ISO100.撮影モード:スムーズ
デジタル一眼レフで撮影していると、ズームレンズを多用するために、レンズの特性上 画面全体にわたりシャープな画像のストックが増えてくる。 だから時として単焦点レンズが持っている良好なボケ味を、私自身が忘れそうになる。それでGF-1で古ライツレンズを用いるといってよい。
古ライツレンズに共通して言えることだが、ボケ味はどのレンズも優れている。そこが最近のデジタルレンズとの大きな違いだろう。といって万人向けに古ライツレンズをお勧めするわけにはゆかない。というのも順光線の普通の標準的なアングルで撮ると、実に写りが悪いときがありがっかりさせられる場合があるからだ。
だからこのレンズのベストな使用方法は、日陰や曇り空といった直射日光の射さない被写体を選び、ボケ味を多用できるようなアングルを探すことだろう。つまり天気が悪い時こそ、古ライツレンズが活躍できるという曲者である。厚い雲に覆われた冬のヨーロッパ育ち故か。それにしてもGF-1は、倉庫に眠っていた機材をたたき起こすなど、罪づくりな機材である。
そろそろ京都は紅葉の時期だが、もう1週間程辛抱のようだ。今年は冬が早く、時には雪景色が撮影できるのではと、個人的な期待感を持っている。
府立植物園,2009年10月
GF-1,ELMARIT,f2.8/28mm.
シャッター1/250,絞り4.0,ISO100.撮影モード:スムーズ
カットは、フォーサーズ様式だと270mmになるLヘクトール135mmレンズをGF-1に付けて、手持ち撮影をしてみた。ボディ+レンズで重さは600g代だろう。
デジタル一眼レフに約300mm近いレンズを付けて、この質量は大変軽い。長焦点レンズだと手ぶれ補正が欲しいとする人もいるだろうが、ライツレンズは軽く保持しやすいので、そんな必要ない。
通例、デジタル一眼レフシステムには自己矛盾がある。高仕様にして重くすれば、当然手ぶれ補正が必要となり、さらに質量は増えてくるというわけだ。
35mmフィルムを用いて小型軽量で手持ち撮影というのが、ライツLやMシリーズの開発コンセプトだった。だからライツの膨大なアクセサリーの中でも、屋外で使用する三脚の開発は不熱心だった。携帯用の小さな折りたたみタイプがあった程度と記憶している。
ヘクトールは、15年前に銀座のスキヤカメラで1万5千円で購入した。1933年頃の設計だから、リバーサルフィルムで撮影すれば、光の状態によっては盛大にハレーションをおこし、当然色も大変クラシックだ。
GF-1で撮影すると、ライツとデジタル技とが組み合わさって面白い写りとなる。通例のレンズだとカット右下にある京都の家並みがもう少し撮されているはずだが、ここでは適度にぼかされて結構面白い古都の風景になった。
昨今、ロモ等のトイカメラが支持されているが、適度にボケてクラシックな写り方というのも、レンズの性能であり被写体を選べば優れた特徴である。
眼が慣れてしまうということもあり、それ自体がライツの曲でもあるのだが、 確かに京都の街の古さにはヘクトールが大変よく似合う写り方をすることがまれにある。
清水寺から撮影
GF-1,Hector,f4.5/135mm.
シャッター1/1300,絞り4.5,ISO400.露出補正-2/3,スムーズモード
2009年11月4日水曜日
京都暮らし134. 背景のボケ味
2009年11月5日木曜日
デジタル一眼レフで撮影していると、ズームレンズを多用するために、レンズの特性上 画面全体にわたりシャープな画像のストックが増えてくる。 だから時として単焦点レンズが持っている良好なボケ味を、私自身が忘れそうになる。それでGF-1で古ライツレンズを用いるといってよい。
古ライツレンズに共通して言えることだが、ボケ味はどのレンズも優れている。そこが最近のデジタルレンズとの大きな違いだろう。といって万人向けに古ライツレンズをお勧めするわけにはゆかない。というのも順光線の普通の標準的なアングルで撮ると、実に写りが悪いときがありがっかりさせられる場合があるからだ。
だからこのレンズのベストな使用方法は、日陰や曇り空といった直射日光の射さない被写体を選び、ボケ味を多用できるようなアングルを探すことだろう。つまり天気が悪い時こそ、古ライツレンズが活躍できるという曲者である。厚い雲に覆われた冬のヨーロッパ育ち故か。それにしてもGF-1は、倉庫に眠っていた機材をたたき起こすなど、罪づくりな機材である。
そろそろ京都は紅葉の時期だが、もう1週間程辛抱のようだ。今年は冬が早く、時には雪景色が撮影できるのではと、個人的な期待感を持っている。
府立植物園,2009年10月
GF-1,ELMARIT,f2.8/28mm.
シャッター1/250,絞り4.0,ISO100.撮影モード:スムーズ
先々週ぐらいだったか、名神高速バスで熟睡し、そして何気なく起きたら、眼前に夕焼け空が広がっているではないか。早速GF-1を取り出して車窓からの撮影にいそしんでいた。こうした車撮りが楽しみで、空いている新幹線や高速バスを利用し、いつも窓側に席をとるわけである。
だから、常に書類の隙間に 機材を潜ませている。それも軽い機材であるにこしたことはない。だから機材は、GF-1にしたと思う。つまり書類が増えたためかもしれない。
今日のカットは、データ量が少し軽いので、デジタルズームの2Xを使用したと思われる。単焦点レンズだから、こんなとっさのときに、写りは随分落ちるが、デジタルズームは予想外に便利な機能である。
昨日も名古屋から最終の高速バスで、京都に戻ってきた。戻ると京都は、北からの風が吹き、傘がひっくりかえるぐらいに強く、通りを吹き抜けてゆく。気温も7度位と低く、肌寒い。今年は、積雪の風景が撮影できると、少し楽しい予想が頭に浮かぶ。
私は、燕岳山行で紅葉を楽しんだので、このまま紅葉をパスして、一気に冬になっても良いと都合の良いことを考えていた。
もう初寒波到来で、紅葉が始まるのも早まるだろう。屋根をたたく雨音がする。雨脚が激しくなってきたようだ。冬一番!?かと勝手に思っている。
名神高速道路、関ヶ原,
GF-1,G f1.7/20mm,ASPH.
シャッター1/250,絞りf1.7,ISO100.ダイナミックモード
2009年11月3日火曜日
今日はボディに付属して着いてきたパンケーキレンズLUMIXG f1.7/20mmASPHを試みた。
使用感を言えば、画面全体にピントが届き、そして相当にシャープで解像力もあり、なによりも20mm(35mm換算40mm)という使いやすい仕様であり、何のためらいもなく優れたレンズだと思われる。このレンズを付けてさえいれば、迷わずに優れた画像となり、私が撮影してもごらんの通りである。だから当然多くの人に安心して進められる。取材で使うならば、失敗の恐れが少ないこのレンズを多用すると思われる。
そのこと自体に私も異論はないが、古ライツMレンズ使いの立場から評価すれば、このパンケーキレンズは、つ・ま・ら・な・い。つまり写り方に個性が感じられないのである。
私の結論を言えば、古ライカMレンズは、最初はカリカリとする不協和音のような、どこか写りに曲のある個性がみられるのだが、次第にその曲が心地よくなってくるし、魅力を持って迫ってくるのである。
それに対してパナのパンケーキレンズには、画像を見ているほどに迫ってくる個性はない。だから最近の私は、古ライツのMレンズの28mmmと90mmを使用していることが多い。新しいライカレンズであれば、さらに面白い結果がでるだろう。ただし価格は大変高いですよ。とにかく、そんなことができるところのが、GF-1の大変良いところだろう。
番外編も調度50回となり、キリがよいのでこの辺りで、お開きにしたいと思う。以後の京都暮らしのプログでGF-1+ライツレンズの作例を時々紹介してゆこうと思う。
もう一つ付け加えておく。Fujiがエントリーしているマイクロフォーサーズタイプの新機種が来年早々に登場するかもしれないという噂が飛んでいる。デジタル一眼レフFuji FinePixS5rpoを長く使用してきた経験からすれば、大変色の美しいEXRを搭載したFuji製品を、私は期待したいと思う。
東寺の市,2009年10月
GF-1,G f1.7/20mm,ASPH.
シャッター1/2500,絞りf3.2,ISO100.