Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

 京都暮らし149. 今の曼珠院

2009年11月20日 | Kyoto city
 昨日は、天気も晴れたり曇ったりで、昼間は原稿書きに没頭していた。夕飯を食べる前に、自宅からバス1本でゆける洛北の曼殊院でライトアップをしているので散歩がてら出かけてみた。私の記憶では、ここのライトアップはあまり聞いたことがない。
 バス停から、陽も沈んだ後の畑が点在する郊外の暗い山道を1km程登ると曼殊院がある。座敷に上がってみたら、 夜のお寺の凛と引き締まった空気は大変心地よいのだが、枯山水の庭園はまだ紅葉しかけたところで、少し早かったようだ。ライトアップも光量が弱くて見栄えが今一つであり、ああーっ、今日はスカをくったようだ!。京都は、時々催事などでもスカがある。
 京都は盆地であるためか、或いは樹種の違いか、日当たりか、とかく山麓の気候が一様ではない。従って紅葉になっていれば、まだという場所もあるのが常だ。こうした時間差を、この街に棲むと時々体験するし、日々の話題にもなる。実を言うと曼殊院は、ミニ桂と呼ばれる程に大変美しい寺院なのである。
 ここまできたのに、手ぶらでは帰りたくないというので、門前の紅葉を撮影した。幸いなことに長さ20cm程度のスリックpro miniという小さな三脚を持ってきたので、GF-1+パンケーキレンズ、夜間撮影モード、セルフタイマーを使用して撮影した。こんな夜に普段使うことが少ない機能の練習になってしまった。
 道路に寝転ぶような格好で、LVFのファインダーを立ち上げてなんとか撮影できた。しかし、こうした撮影の時は、やはりG-1のように液晶モニターがフリーアングルでつけられている方がはるかによい。LVFのアングルを立てれば同じだろうという発想で略したのだろうが、LVFのあの小さな窓を覗くには、道路に寝転ばざるを得ないスタイルを強要される。それではこれまでのファィンダーと大差がない。暗いから車に轢かれても、GF-1の責任だと思いながらの撮影であった。
 この辺りがスチール系のカメラ開発経験が少ないメーカーなのか、合理主義なのか理由はわからないが、液晶モニターのフリーアングル化は、全てのデジカメ仕様にすべきだと私は思う。それだけで、液晶を大型化する意味があり、そして撮影アングルは飛躍的に拡大するのである。デジタルだからこそ可能な仕様なのである。
 デジカメ開発初期に登場したニコンクールピクス990等は、レンズファインダーとボディ毎回転できる液晶モニターとが付けられており、大変使いやすく便利なデジタルならではの仕様であった。このスペックでゆくのかと思ったら、その後ファィンダーが省かれ、固定の液晶モニターだけとなり、今ではそれが多くのデジカメの標準仕様になっており、大変使いにくい。だから私は普通のデジカメを使わない。
 私がGF-1を購入しようとしたのも、LVFがあったからである。そうでなければ、この機種は使わなかったであろう。デジカメには、ファインダーとフリーアングル式の液晶モニターの両方が必要・な・の・で・す!!!!!。

京都市、曼殊院門跡
GF-1,G f1.7/20mm,ASPH.
シャッター8秒,絞りf5.6,ISO100.夜間撮影モード
コメント
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