Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編358. ライカシステムかな!? 

2018年05月16日 | Photographic Equipment

 ハイブリッド・システムの続きで1台は機械式ボディーをの原則に従った。5月5日の画像と大して変わらない?、いや子細に見ればレンズが異なっている。そこにこのシステムの特徴がある。

ボディ:LEICA M4-P

レンズ:LEITZ ELMARIT28mm/F2.8

ボディ:オリンパスE-M1Mark2(他のEシリーズやPEN Fでもよい)

レンズ:LEICA DG SUMMILUX25mm/F1.4、LECIA DG MACRO-ELMARIT45mm/F2.8

  フルサイズに換算すると、28mm、50mm、90mmのシステムとなり、F1.4の明るいレンズがあり、マクロ撮影で文献複写もでき、広角-標準-望遠とそれぞれの焦点距離の基本のレンズで構成しており、フィールドのなかでどんな被写体が現れても一応撮影の役割を果たせるシステム。

  PanasonicのOEMレンズ2本を加え、一応LEICAと名のついたレンズばかりなので最もリーズナブルでハイブリッドなライカシステムかな!?(笑)。パナソニックは、ライカ社と技術提携をしているから、同じレンズマウントのオリンパスが意外にもライカ仕様になってしまう。もちろんドイツ製ライカシステムとは比較できないが、一応LEICAブランドだしリーズナブルな割に描写のよいレンズ群だ。

 特にELMARIT28mmレンズを使いたいためにこのシステムがある。このレンズの描写は過去ログ(2018年4月21日)にもアップさせているが、シャープだけど、ニコンのようなカリカリしたシャープさではなく上質のシャープさ、それでいてトーンが綺麗に出るレンズである。だからこれまで随分フィルムで多用した。中心となるレンズに費用はけちらないという前のブログ(5月12日)で書いた「原則2.主力レンズには良いモノを」、の典型だろう。

 それにこの28mmレンズは、マウントアダプターでE-M1などに付けられ、そのときは56mm/F2.8の標準レンズとして使える面白さがあり、デジタルのライツ古レンズもモノクロでは綺麗な画像だ。

 そんな2台のボディーを同時にぶら下げて歩くことをしてはならない。正解は、いつも1台だけぶら下げており他はリュックの中に入れておけばよい。 眼前にあっ!、望遠レンズが欲しい、といってリュックから取り出してレンズ交換などをする必要はまったくない。それならばズームレンズを付けておけばよいだけのことだ。

 要するに眼前にぶら下げているレンズで考え工夫して撮る、が原則。そこから違うアングルを発見することもあるし、さらにここは広角!、この場合は望遠レンズで!!、といったステレオタイプ化した考え方から脱却できるわけ。そこに単焦点レンズでシステムにしている意味があるわけだ。

 さて2009年、新宿のヨドバシカメラでパナソニックGF1というミラーレス一眼レフを初めて見て以来ミラーレス歴9年になる。その後既存の一眼レフに追いつけとばかりに、ミラーレス機材の進化につきあってきた。そして今、既存の一眼レフを追い越そうとしている。

 そんなミラーレス機を長年使用していて今も変わらない最大の欠点は、バッテリーの持ちが悪いこと。だから私はオリンパスE-M1シリーズにはバッテリーグリップを付けている。それを補うようにバッテリー不用の機械式ボディーがあってもよいではないですか、という知見なのである。

 さてニコン・アニバーサリーイベントでメンテナンスに出したFとF3の状況を尋ねた。大変混んでいるのであと一ヶ月かかりますとの事。都合三ヶ月となる。なんだぁ、いまだに機械式ボディの愛用者が沢山いるじゃないですか(笑)・・・。

 

α6000,Carl Zeiss Vario-Tessat16-70mm/F4.0、ISO6400,焦点距離70mm,露出補正0,f/5.6,1/125

 

 

 

 

 

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番外編357. 湘南4. 固有の空気

2018年05月15日 | Shonan coast

 さて湘南海岸の河岸段丘上の住宅街の徘徊も、午後の気だるい光が漂う。池田満寿夫のエーゲ海に捧ぐという小説を思い出す。その中で記憶にあるのが・・・、アニタの足が見えている・・・、多分白く古いホテルのベランダから遠くにエーゲ海の集落が見え、情事にふけっていた情景なのだろう。

 ここは湘南だからエーゲ海よりはるかに湿度は高くジワッとしている。だから・・、情事の後の汗がまだひかない、海から塩気のある空気が肌にまとわりついてくる、強い日差しで二人の体液の残渣が肌の上で固まっている・・・、そんな記述になるのか。

 こういう湘南の空気をにじませているのが、石原慎太郎の「太陽の季節」、映画でいえば藤田敏八「八月のぬれた砂」か。どちらも乱暴なセックスなのだ。それが私が理解している湘南の空気だろう。

 そして少しインテリジェンスなストーリーで語られたのが、後のユーミンだったのではないか。彼女の実家の八王子から茅ヶ崎へは、米軍の基地を抜けて相模線が走っているし、この路線名は彼女の歌詞にも登場する。

 そういえば、相鉄線の沿線に棲むAKIという湘南の女がいたことを思い出した。海老名で小田急線に乗り換えて湘南海岸へ出かけていた。十代最後のスレンダーで綺麗なボディをみせてくれたし、それが二十歳をすぎてつまんない女の体になると私の前から消えていった。そんなことがあったから湘南という固有の空気に好感をもっていたんだろう。

 

2003年、神奈川県藤沢市、LEICA M4-P、TELE ELMARIT90mm/F2.8、ブラスX

 
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番外編356. 湘南3. 散歩がてら・・・

2018年05月14日 | Shonan coast

 大学時代の体育の授業で、ヨットをとるかウィンドサーフィンをとるかの選択肢があった。波のない霞ヶ浦でサーフィンはないだろうと思いヨットを選択したのだが、今にして思えばサーフィンをとったおけばよかったと少し後悔している。そんな後悔もあって湘南海岸には、散歩がてらEOSを担いでサーフィンの画像を随分撮りに出かけた。ブログの湘南海岸のカテゴリーには、そんな画像をアップさせている。

 夏の湘南海岸の散策も午後6時を回れば暗くなりはじめる。サーファー達もいなくなり、波も低くなってくる。さていつものコースで帰るか。いつものコースというのは、鎌倉高校前から海岸を歩いて途中のファーストフードでお茶をして2駅先の稲村ヶ崎へ行くのだが、それで少し夕陽の残りを味わい、お決まりの路地から稲村ヶ崎の駅に向かう頃には、すっかり暗くなっている。サーファーを撮影したEOSが肩に食い込む。

 そのファーストフードも、今はドライブインになってしまった。Googleでみると、ガッツリ食事もできるようだ。少し格が上がったのだろうか。これだけサーファー達がやってくるのに、お茶するところがここだけというのが寂しい限りだ。だだそんな不満は聞かれず、多分仕事に戻ったり、行きつけの店に出かけたりして湘南の夜の時間が始まるのだろう。

 そんな湘南のライフスタイルは、私にとってうらやましいモノがある。だから棲むなら生活が便利な藤沢市だろうと思っていた。

 稲村ヶ崎から東は鎌倉市だが、私にいわせれば鎌倉は大変住みにくいし魅力がない。それは商業もすくなく利便性が悪いし、それに狭隘な土地に住宅が密集し地価が高く固定資産税も高いだけ。環境はよくても街が地味でつまらないので鎌倉で降りたことはないし、大体は通過して行く。

 湘南へ移り住む人達は、釣りをしたいとかサーフィンをしたいとか、余暇目的があって移り住んでくる。それが藤沢市や茅ヶ崎市などであろう。

 茅ヶ崎も結構良い街であり、東京まで1時間と立派に通勤圏内。その先は小田原か。ここまでくると新幹線通勤で東京までの通勤時間は35分。そうであれば湯河原とか伊東なども候補に上がってくる。東海道新幹線の各駅停車は三島駅が始発だ。だから、このあたりから、東京へ通う人たちが多いのだろう。

 そんな湘南のライフスタイルが少しうらやましいなと思いながら京都市内に住んでいる。

 

1997年神奈川県鎌倉市稲村ガ崎、ニコンF4、35-70mm/F2.8,トライX

 

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番外編355. 湘南2. あぶなかったぜ・・・

2018年05月13日 | Shonan coast

 足指骨折もテービングが外れたので、ようやく来週からスポーツができるだろうか。まあ医者の判断次第。

 そんなわけで時間もあるのでブログを書きためてしまった。2週間分書きためても、後で予約投稿を読み返して全文書き直すこともある。そもそもあまり外出せず、道楽もどきで時間をつぶしているのだから、思考の範囲が大いに縮まってくる。そんな状況下でブログを書いているのだから、時には時代からズレていることを平然と書いていたりする。

 多分そのことに気がつかないと、ズレたままボケてゆくのだろうか。多くの老人達は次第に周囲とズレながら我が道を行くという頑固な確信をもちながら回りの世界が見えなくなり、おおいに軌道から外れて行き、そのまま老人達のブラックホールに吸い込まれてゆくのか。あやうくこちらもそんな状況になるところだった。

 昨日の喫茶店の会話を書いていて思い出したのだが、今時そんなクラシックな解析方法で科学技術立国はできないよ(笑:修正したけど)。精々少しはましな茶飲み話ぐらいだ。なにしろその解析方法は、私が大学院の時に勉強した方法なのだから何を勘違いしたのか。

 足指の骨折は軽傷だったのだが、あまり歩かないし、スポーツは御法度だったことは事実だった。だが歳をとって、歩かない、運動しないは、思考力が低下し老人達のように軌道を外れて行く事を予感した。そして回りの世界を全然見ていないじゃないかということに気がついた。危なかったぜ。そのことの方が骨折以上にダメージが大きかった。

 そんにわけで、今日は全文書き直し。

 

2003年、神奈川県藤沢市、LEICA M4-P、TELE ELMARIT90mm/F2.8、ブラスX

 

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番外編354. 湘南 喫茶店の会話で・・・

2018年05月12日 | Shonan coast

 江ノ電鎌倉高校前駅から海とは逆に坂道を上がったところに住宅街があり、少しだけ徘徊した。しかしここは、やはりサーファー達と夕方の海を撮影する方が面白い。ほどなく望遠レンズを担いで海岸へ向かっていた。そんな湘南番外編画像を4回続けよう。

 話題は変わるが、ランダムに、例えば喫茶店でリタイアメント達の会話から・・・

「N先生のレフリー論文を読んだけど、あの数量化三類の累積寄与率が低いのに論文にしているよ!、よく査読に通ったねぇー!!」

「三類はもともと寄与率が低くでるときがあるんだよ、まあ筆の力で逃げ切ったんでは、N先生はマーケティングが専門だから大づかみでわかればいいという人でしょう・・・」

 そんな会話が聞こえてきたら日本もまあそこそこなのだけど、実際は大学を卒業しても査読論文って何!?、関わらないので知らない人達が多い。そういう人達が、小保方騒動が起きると口を揃えて炎上の狼煙をあげるという、さらにわからないことがおきる。

 そんなことを思い出すと、スタバから珈琲が大量に消防士や警察官に届くアメリカと、昼夜勤務続きの消防士が缶コーヒーをのんだだけで119番へクレームをつける日本との違いは何か?、というところに関心がゆく。

 でっ、そんな国家で何が悪い!、そんな開き直りが遠くから聞こえそうだ。そうなると日本の国際評価が下がるのだよ。いまAAAクラスに戻ったのかなぁー!?。

 財務省の国際収支速報(毎日新聞2018年5月10日夕刊8面)によれば、海外子会社から得る配当金などが増加したことなどを含め総額21兆7362億円の黒字とあった。国家予算の1/5は海外からの収益になっている。つまり海外経済が好調だったということで、そうであれば国内投資家は、国内で投資されるはずの資金が、海外へと流出していくわけだ。ふぅーーんと記事を読んでいた。

・・・

 さて、今日はそのXA4で撮影した湘南海岸の画像だ。当然写りは大変よかったのだった。

 

1997年鎌倉高校前,オリンパスXA4,トライX

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ZEISSの空気18. 風評メディア

2018年05月11日 | Kyoto city

 この葉の色は新緑ということもあるが、その緑の中でも綺麗な色なのでコンタックスT3の色かなぁー!?、と解釈。そう思って満足できたら幸いなのだけど。

 ふと読者が過去ログを引き出してくれた。2018年3月15日「科学のメス」というタイトルの私のブログだ。ブログは東北大震災で被害を受けた福島第一原発(F1)のことを書いた。よく人は事件は風化させてはならないというが、風化させないためには、科学のメスを用いて何故事件となっていったかについてその背後要因や意志決定の過程などを科学工学的にシミュレーションしながら解明し、結果としての知見を明らかにすべきであり、過去の人たちは大津波記念碑のように、海抜60mまで津波がきたと定量的に知見を残していたということを書いた。

 もちろんメデイアや世間がいうところの風化させてはならないというのは、文化系のいうことだからスローガンで終わってしまう。実際は時間がたてばみんな忘れてしまい何の知見も残らないのがこれまでの経緯。

 風化させたくなかったら、どうしてあのような津波に流されるところにF1は、電気設備を置く設計にしたのか、そのときの意志決定のメカニズムはどうなっていたのか、当事者達の心理構造はどうなっていたか、津波が予想され指摘されたにもかかわらずどうしてその意見は排除されたのか、シミュレーションの結果はどうだったのか、そのときの設定値は何を用いて何が欠落したのか、などなど。そうした説明はモデル式をつくりシミュレーションしたりと多分に工学的な方法になるわけだ。だから原発という科学の所産を文化系的説明をされても、こちらは全くわからない。

 例えばイタイイタイ病とか水俣病も、環境がおかしいと最初に気がついたのは地元住民達だったけど、測定したらおかしかったと定量的に実証したのは医者であり化学の技術者だったことを思えば、やはり科学的解明が事件解明には不可欠だ。

 実際科学工学を扱いながら、重要な意志決定のところで工学的な数字を用いずに、しいていえば経済的数字だけでプロジェクトを進めたりもする。ビッグプロジェクトこそ、そうした傾向が強いことを私は経験的に知っている。重要なプロジェクトほど見えないところで意志決定をするという日本人的な間違った方法をとっているのではなかろうか。だから文化系にビッグプロジェクトは触って欲しくないですね、危ないし。

 それに津波の恐れがあると指摘されたにもかかわらず排除されたメカニズム、などというテーマは十分一般性がある課題だと思うけどな。 

 やはり議論は科学工学的データに従ってシミュレーションや解析がなされるることこそ技術立国日本の姿なのだが、どうも最近の新聞やニュースを見聞きしていると論拠とするデータもなく様々なことが語られているところに、こちらは、よくわからんなぁーといつも思う。わからなければ風評メディアと思っておくことにしている。

 少し過去ログの話の補足説明になったし堅い話になった。

 さて足指骨折完治させて、早々に沖縄へダイビングにゆこう。昨日は医者に出かけ、ようやく中指で固定していたテーピングとれて、歩いてみましょう(既に歩いているが)といわれ陽が射した気分だ。葵祭などに出かけて足を踏まれて骨がずれてハイまた二ヶ月治療と言われたらやばいのでパスして、今週は、養生!しつつ歩きはじめよう。

 

2018年、京都市中京区六角堂

ContaxT3,Sonnar35mm/F2.8T*、プロビア100

 

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ZEISSの空気17. ボケ方

2018年05月10日 | Kyoto city

 リバーサルフィルムのデジタルデュープも、かってニコンDfで大学にあった大量のスライドを複写して以来のことだけど、特にたいした技術がいるわけではない。

 ただ今は存在しないコンタックスの味わいがどこかに出てないかなというのが、あれこれいじりだした発端。

 コンタックスT3は、シンプルな露出機構なので、光と影を同一画面に入れる被写体は得策ではない。やはり均一な光だけの被写体がよい事。そしてPhotoshopで補正をかけない方がよく、フィルターのシャープをかける程度に留めたほうがポジの空気を伝えられそうだというところまではわかった。

 それにしてもリバーサルフィルムが、今は1本1200円とすこぶる高くなった。そんなコストと時間のかかる撮り方をしているのもコンタックスT3が手元にあったからだ。そしてデジタルとは少し異なったリバーサルフィルムの発色が新鮮みを持っている。もう少し使ってみたい小さな機材だ。

 最近デジタル機材と一緒にコンタックスT3を散歩に持ち出す機会が多い。ちゃんと私のシステムの一つになっているようだ。それとも足指骨折で暇だったからだろうか。そろそろスポーツ解禁のお達しが出てもよい頃だけど。さて今日は、その外科の先生の2週間ぶりの診断だ。

 例年だと、この時期は窓を開放していると、とても気持ちよい日々なのだが。しかし今週の京都は寒かった!。ストーブをつけるぐらいだから。なんで今頃こんな気温になるのだろうか。それは少し調べないとわからない。今年は冷夏なのだろうか?。それはそれでしのぎやすくて心地よいのだが。

 

2018年4月京都市下京区渉成園枳穀邸

ContaxT3,SonnarF2.8/35mmT*、プロビア100

 

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番外編353. 美山3.

2018年05月09日 | field work

 アーティストのS君の家はイギリスの職人さんが屋根を葺いたと聞いた。それはなかなか日本に負けず劣らず綺麗ではないか。伝統工法だからといって日本人とはかぎらないのだ。建築史のテキストをみるとイギリスにも茅葺きの民家の歴史はあったから職人さんもいたのだ。

 終日パーティーだったので、夜はさすがに地元の人たちが炉の回りに集まり地元のよい光景だなとおもっていたが撮りそびれてしまった。そんな光景をあとに我々は、地元のログハウスへ引き上げた。もちろん翌日美山の伝統的建造物群保存地区へ出かけたけど。

 さてこのブログも医者の解禁がでないと遠出ができないので、ついに18日分のまとめ書きになってしまった。そしてアップ日前日に読み返すと、時には、くだらねぇー、と消去して書き直す始末である。早くまとめ書きのストックを使い果たしたいところだ。

 さて、このブログで面白いのが、アクセス履歴だ。読者のアクセスしたブログと数が表示されるのだが、ときには私が忘れていた昔のブログを、読み直すきっかけになったりする。それで、ふーーん!なるほどねと、他人事のように読みふけっている。自分で書いていて笑っちゃう、というのはこのことだ。

 もちろん数が少ないので、運悪くGoogle検索で引っかかっただけの場合もあり、当然検索趣旨が違うのでお気の毒様!、という場合もあるだろう。まあそんなのはこちらの都合ではないがきっかけを与えてくれたわけであり、11年分近いブログをランダムに読み返すというのも書き手にとっては面白い発見なのだ。

 あまり遠出できないので、なんとか過去画像でつなぎつつ、ようやくここまできた。さて、あともう少しの辛抱でスポーツができるかな。全く骨折は長い時間がかかる。それも薬もなく、じっと我慢の子である。精々カルシウムのサプリメントでも飲んでいるほかない。

 もちろん医者の指示を無視してもよいのだが、「骨がずれたら、また最初からやり直しですよ」といわれているので、この先あと二ヶ月も辛抱するなんて事はやりたくない。だから医者の言うことを聞かざるを得ない。あと少し・・・あと少し・・・。

 今日も2/3は書き直しだった。

 

京都府南丹市美山町

NikonF4,AFNikkorAuto35-70mm、トライX

 

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番外編352. 美山2.

2018年05月08日 | field work

 アーティストのS君の家のパーティーの続き。画像は山海塾の舞踏家I君。

 その頃I君に化粧をさせて京都の街を走らせてみようとか、こちらも珍奇なことを考えていたが、まあ街という環境と化粧した人間という存在を対比させたらどうなるか、というところに興味があったのだろう。

 同級生の俳人は、「それは面白いじゃない、I君も喜ぶよ」といってくれたが、考えただけで忘却のなかに紛れ込んでしまった。もしやっていても、街は新たなサンドイッチマンぐらいにしかみられなかったのかもしれない。それぐらい都市は出来事に関して慣れきっていると思われる。まあ彼は気さくな人なんだ。

 山海塾は、私が大学にいた頃旗揚げされたので記憶にあるのだけど、創立間もない頃は筑波大学をはじめ全国の大学の文化祭を回っていたのだった。今では国内外で評価された国際的な舞踏派集団だし、こりゃフランス人に受けそうだと思っていたら、本当にパリ市立劇場が彼らの活動拠点になってしまった。

 調度今頃の夏に向かう季節のパーティーだった。

  さて話題は変わるが、FBを見ていたらこんな日本人がまだいるんだと思った。以下にWEBから引用しておこう。確かに街をあるいていると自分の周りは、みんな敵みたいな顔している人っているよなぁー。コモンセンスとかフレンドリーという意識が欠落している。

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救急隊員にベッカムがコーヒーを差し入れするのがイギリス。

現場の警官や消防士に大量のスタバが届くのがアメリカ。

現場に「頑張れ消防士」の横断幕が掲げられるのが香港

出動続きで昼も夜も食べてない救急隊員が、車内で缶コーヒーを飲んでると119にクレームが入るのが日本

http://clover48.com/trend/kangaeru/post-13503/

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 そんな珍奇な日本人がいる一方で、昨日はオリバーストーン監督「JFKデイレクターズカット版」を見ていた。見だしたら動けなかったぐらいに引き込まれていた。いまだに謎が多い事件だが、今見ても面白い映画だった。オズワルドの役を演じたゲーリー・オールドマンさんは近作ウィンストンチャーチルを演じていたのが記憶に新しい。それにしても珈琲を差し入れる英米と珍奇なクレームをつける日本だろ、考えているスケールが違うよなと思った。

 

京都府南丹市美山町

NikonF4,AFNikkorAuto35-70mm、トライX

 

 

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番外編351. 美山

2018年05月07日 | field work

 芸術系の学部だったから、回りにアーティストはたくさんいる。あるとき彫塑系出身のS君が渡米するというので、美山の彼のアトリエ兼棲まいの民家で壮行会が行われた。つまり作品を売って渡航費用に充てようという意図なのだが。

 それで近所の人や意味不明の外国人や彫刻仲間や俳人や舞踏家などなどが集まり100人ぐらいは来ていただろうか。まあ、私も餞別代わりに彼の作品を買って今も京都の家に飾ってあるけど。

 今なら田舎に住もうという定住者は自治体もろとも大歓迎だろうが、当時彼が米国人の奥さんと美山の古民家に移り住んだ最初の頃は、地元の人もプイッとそっぽを向いていたという。その後次第に地元の人達とのつながりもでき、この土地に定着していったという話を聞いていた。農家というのは、よそ者に対してはタップリと警戒心が強いのだ。

 まあそんな話は置いといて、俺たちは、飲み且つ喰いに走っていたわけだけど。

 さて連休は、博多に出かけたほかはポジの複写について研究していて時間がだってしまった。さて雑事をかたづけますかね・・・。

 

京都府南丹市美山町

NikonF4,AFNikkorAuto35-70mm、トライX

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ZEISSの空気16. コンタックスの空気

2018年05月06日 | field work

 フィルム機材ContaxT3にもカールツァイスのゾナーがついている。それも含めてZEISSの空気としよう。

 予想していたことだが、ポジネガがツァイスそれもコンタックスの空気を感じさせていて大変綺麗な色だ。オリンパスE-M1Mark2のスタンダードモードで複写し、どうしたらデジタル画像がポジネガの色に近づけられるかを試みた。

 先ずオリンパスによる複写が最初から実にばかばかしいところでつまずく。例えばテザー撮影をし出すと、ACケーブルで接続しているオリンパスE-M1Mark2の液晶画面が10秒ぐらいで消えてしまう。ACケーブル接続で電源切れの心配はないのだから、こんなところで液晶画像を省エネモードにする論拠は全くない。これでは液晶画面でネガの確認ができないではないか。さらにケーブルをすべて外さないとスリーブの解除ができないという珍奇な設定にも再び頭にきた。やはり、マニュアルに書かれていないことをしだすとオリンパス機材の稚拙な正体が現われる。もうお前の役目は終わったぜと言いたい気分だ。

 それでオリンパスでようやく複写して、悪い色ではないがツァイスの色とは大分違うようであり、Photoshopで補正を試みた結果まあなんとかの画像になったがadobeの色でありコンタックスの色とは少し違うようだ。それにこの方法は実に面倒くさい。もっと筋道が論理的な方法はないのか。

 そこで10年以上前の機材であるFuji FinepixS5取り出してみた。そこで早速AF Nikkor Maicro60mmレンズを付けて挑戦。本来FUJIのポジフィルムに合わせたS5のカラー設定が特徴だからポジフイルムと特性が類似しているのではないか。であれば当然相性が良いはずであり、考え方としてはこちらの方が論理的だ。

 その結果撮影してみると最初からポジフィルムに一番近い色で複写してくれた。さすがに論理通りの筋道だ。だからこのボディは売らなくてよかったと思った。それはポジフィルムと色調を合わせた機材だから当然の事なのだろう。既にビュワーなどはサポートされていないので読み込みは試行錯誤だった。

 それに画像の色はコンタックスの色というべきかFUJIの色というべきか。いかにも複写しましたなんていう画像ではなく、デジタル機材の画像と同等にみられるところまでたどりつくのが目的だった。まあなんとか近づいた方だろう。これでContaxT3を使う意味もありそうだ。

 そんなことがあるとコンタックスT3とFUJI FinepixS5は手元に置いといてよかったし、S5はコンタックスT3等の複写用として十分使えることがわかった。これからもポジフィルムを使ってみようという意欲にさせられる。

 連休の合間に、過去のしがらみを蒸し返し実にトロいことをしていたわけだ。

 

2018年4月敦賀、ContaxT3,SonnarF2.8/35mmT*、プロビア100

 

 

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番外編350. 機械式ボディーのあるハイブリッド・システム

2018年05月05日 | Photographic Equipment

 くどい話になるが、機械式ボディーが必要だという日沖さんの本(注)の原則にこだわってみた。それでハイブリッド・システムができるだろうか。

 機械式ボディーとは、シャッターがメカニカルな機構であるから電気を使わない構造であり、フィルムさえ用意しておけば充電することも電池もいらず、いつでも使用できる。それが20世紀撮影機材の基本だった。もちろんピントはマニュアルだ。

 それで日沖さんの本にかかれてあった原則に従い、仮説的に手元機材でハイブリッド・システムを組み立ててみた。結果としてこのようになる。

デジタルボディ:オリンパスE-M1

レンズ;M.ZUIKO DG12mm/F2.0、LEICA DG Macro Elmarit45mm/F2.8

フィルムボディ:ライカM4-P

レンズ:SUMMICRON35mm/F2.0

 機械式のボディーがライカM4-Pにズミクロン35mm付きというのが肝。ライツは古くてもメンテナンスさえしていれば丈夫。

 この8枚レンズを使用したズミクロンは名鏡玉の誉れ高く・・・などと本に書かれてあるが実は写り方はコントラストが低すぎ、まれにシャープな画像を撮すときもあるが、光に左右されるなど気むずかしいレンズである。

 システムにF2.0レンズを入れるべしとする日沖さんの原則に従えば、それが2本あるから夜に強いのか。それにOEMも含めて一応ライカと名の付くレンズが2本あり、まあ画質はよいのだろう。またM.ZUKO DG12mmレンズは、大変シャープで綺麗な描写をするので、捨てがたいレンズだ。F2.0と明るいのでここで是非使いたい。

 こうすることで小さく軽量な広角-準標準-望遠(E-M1のデジタルテレコンバータで180mmまで望遠)システムとなり、当然接写可能。あとは小さな露出計(電池をいれておけば2年ぐらい使用可能)があれば便利。これなら地球上のどこにでも持ってゆけそうだということはわかる。

 ただし、現在のマイクロフォーサーズにも大きな欠点が2点ある。

 先ず背景のボケ方は、フルサイズと比較するとボケない。そこで45mm程度の望遠系レンズが必要になる。

 次いでミラーレス・デジタル一眼レフは、総じてバッテリーの持ちが大変悪いことが致命的だ。例えばオリンパスペンFは小さく、軽く、デザインも良く、単焦点レンズと組み合わせるのには好都合だが、1日2本はバッテリーが必要になる。またデジタル一眼レフ最先端をゆくSONYα7シリーズでも、バッテリーグリップを付けないとお散歩カメラかスタジオ機材かと思われるほどバッテリー消耗が早い。だから機械式ボディが必要だという理屈も成り立つことにもなる。目下バッテリーを気にせずに使える私の手元のデジタル機材は、唯一EOS1Dsしかない。だからフィールド調査は、いつもEOS持参になる。

 さてそれで、観光マップにも記載されていないエリア、そんなところのホテルにコンセントがないところは沢山あるし、沢木耕太郎さんのようにバスでヨーロッパを目指す放浪の旅などをするのか?。つまり辺鄙なところにゆく機会が、今後あるのかなという疑問も他方であるわけだが、そういうところでも使え、世界中どこにでも持って行けるのが機械式ボディを含むシステムではある。私は、これダイビングに持って行きますけど。

 それに一端旅に出たら、あのレンズが必要だったといってみても、取りに帰ることはできませんから、やはり予め合目的なシステムをつくっておくことが必要になるわけ。

 さて、このように何故単焦点レンズにこだわるかというと、小さく、軽く、概してリーズナブルで性能が大変良いという点にある。

 その他ズームレンズは、ズーミングして構図の収まりが良いところを探すなどあまり撮影者が動かないし、取りあえず何でも連写で撮っておくというビデオ撮影的な撮り方だし、思考の軸足は撮影後の編集に力点がある。他方で単焦点レンズでは、どの位置でどのように撮ったら一番良いかとか、構図の収まり方とか、いろいろと撮影時に考えるわけ。思考の軸足が撮影時にある。そこに撮影者の強い意識や意志や主張が介在しているのだろうし無駄カットを撮らないし、後編集が少ない。

 ズームレンズと単焦点レンズとは、そうした軸足の違いがある。だから静止画であれば、単焦点レンズでよかろうということになる。iPhoneだって単焦点レンズだ。

 一寸旅に持参したくなるシステム、フィルムはプラスXかトライXでいいでしょう。

 

注:日沖宗弘:プロ並みに撮る写真術2.-一人で仕事をする研究者・ライターのために、勁草書房、1993年

α6000,Carl Zeiss Vario-Tessat16-70mm/F4.0、ISO5000,焦点距離70mm,露出補正0,f/8,1/125

 

 

 

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ZEISSの空気15. どんたく

2018年05月04日 | field work

 そんたく(忖度)は流行語だが、どんたくは博多の祭。どんたくの彩度の高い色がZEISS向きかなと思われた。そこで2台のツァィスを持って、実に久しぶりの遠出、博多へ日帰り旅だった。どんたくの色は、どこかでみた。

 そうだ、カナルシティの色を彩度を高くするとこうなる。ジョン・ジャーディの建築固有の色だが、これが博多っ子に受け入れられる下地があったのか。建築のカラーデザイナーは、デボラ・サスマンであった。昔の仕事を思い出しつつ。

 さて駅の指定席案内は、見事にすべて×印ですべて埋まっている。新幹線は、案の定デッキや通路に人が立ち並んでおり、乗るのにも努力がいる。時刻表をみたら博多行きの臨時列車が来る。これだっ!。京都から博多まで自由席で座ってゆくことができた。それも広島を過ぎたらガラガラだった。

 東海道新幹線のNOにはルールがある。下りは奇数NO、上りは偶数NO、そして2桁までは博多行または博多始発。3桁100番台は広島行きまたは広島始発、200番台は新大阪行または新大阪始発、400番台はこだま号。そこへ博多行き3桁NOというイレギュラーさは運航日限定の臨時列車だ。

 この日だけ気温が低く少し肌寒い。空は晴れているが暑くない。これぐらいが調度よいか。半日博多の街を散策していた。帰りの新幹線もすいている臨時列車だったのが幸いだった。

 足指骨折以来、冒険だったが久しぶりの遠出だった。うん!、脚の指は大丈夫そうだ。

 

2018年5月3日、福岡県福岡市

SONYα6000,Carl Zeiss Vario-Tessar E 4/16-70mm

ISO250,焦点距離70mm、露出補正0,f/4.0,1/1250

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番外編349. 横浜4.

2018年05月03日 | Yokohama city

 ブログに画像をアップさせても今一見栄えが悪く、やり直すことがある。今日もそうだった。いろいろレイアウトした結果見られるのはこれか・・・横浜で撮影した綺麗な脚。

 見られるという意味は、クロッキーあるいはデッサン的に見て腰から上の骨格やボディはどうなっているんだろうと類推したくなるので(ほとんど言い訳か!)。こういう骨格の場合は、多分上も細いし、脱がせるとボディは格好が良いと思うけど・・。

 そう思うのも、昨日はクロッキー教室で裸婦をデッサンしていたからだろう。なかなか人体というのは、難しいなと思いながら、デッサン力維持のために描き続けている。

 ・・・いや今日はそんな話ではなく、目下足指骨折で5月20日頃には医者のスポーツ解禁の診断がでるだろう。それに備えて、次のダイビングでMSDの資格をとろうと目論んでいる。先ずはレスキューの講義からだ。骨折していてレスキュー講習というのが笑えるが、まあ能力向上をめざして。

 人間が暮らしている対流圏の範囲は、地球上11kmであり、それ以上は成層圏になる。新幹線なら5分もかからない距離だし、阪急なら河原町から高槻までもゆかない距離、いいとこ大山崎ぐらいか。その僅かな層に人間を始め多くの生物が生息していて、その中で建築をつくっている。だから、その対流圏からさらに上へ行くか、下へ行くかとなると、それぞれ違う環境なのだから、お勉強と訓練と装備が必要になる。ダイビングは後者だから、当然勉強はしておいたほうがよいだろうというわけだ。まあ人間は魚ではないしさ。

 今日のブログは、画像も差し替えたけどテキストも2/3位書き直した。全くやれやれのブログだな。

 

2000年横浜市、PENTAX ME、120mm/F2.8、トライX

 

 

 

 

 

 

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番外編348. 横浜3.

2018年05月02日 | Yokohama city

 さて横浜市は、人口数で日本第二位の都市に立ち上がり、そんな都市の拡大が、そのままこの西口地区にも表出されたような感じであった。ここは東横線、京浜急行、相鉄線のターミナルでもあるので、神奈川県の南部や内陸部から、やってくる人達が多いのだろう。実際狭い繁華街エリアは、いつも人であふれかえっていた。そんな人の多さが当たり前だった時代である。

 今の横浜も、おそらく同じように人出は多いはずだが、他方で全国地方都市の中には、人口減少による都市活力の低下がボディブローのように影響し始めているのではなかろうか。

 家計調査という総務庁統計局の調査が毎月行われている。それは、全国サンプル3000世帯の収入が何にどれぐらいの金額を支払ったかとする調査だが、商業需要を測定する指標の一つでもある。

 そんな商業需要を測定すると、すでに需要がないどころか、マイナス需要の地方都市が多いと推測している。つまり店が多くお客が少ない状態だ。時間があれば、いくつかの指標を設定して全国地方都市の消費需要測定をしてみたいと考えている。

 その結果、あきらかに10年後に都市として破綻する可能性をもった地方都市が多数あらわれるのではないかと予想している。そのような都市になると、もうどんな活性化策という薬も効かないSTAGE4の都市だ。

 もうそんな兆候をもった都市が出現しているのではなかろうか・・・。それは幾つかの指標を用いて統計解析をすれば容易に判明するだろうと推測している。

 

1997年横浜市、ミノルタCLE、Leitz Elmarit28mm/F2.8,トライX

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