~こころ豊かな愉快な生き方を求めて~

サスティナブルな世の中で幸せの笑顔が満ち溢れますように
内容:地域活性化、歴史探訪、パソコン、野球

ビオ多々羅に行ってきました

2014-12-24 16:44:02 | ビオ多々羅
久し振りに、ビオ多々羅(地域活性化を図るイベントのための古民家)に行き、近況報告並びに情報交換を行ってきました。
本年は、残念ながら、2年続いたビオ多々羅主催の歴史講座や史跡ガイドが出来ませんでしたが、来年は、1月早々に、新しい企画の打ち合わせ調整をしたく思います。いつも、アイディアは、沢山浮かびますが、人集めが大変だとか言って、今一つ決定までいきません。子供対象だとか、歴史好きな人々だとか、焦点を絞って、継続したイベントを考えたく思っています。以前から、農園で野菜果物を栽培されている方とよくお話していましたが、なんと、同じ会社出身の方でした。驚きと親しさが混じり、本日も話し込み、時間のたつのも忘れてしまいましたが、大変楽しいひと時でした


多々羅 五景 ~自然がもたらすささやかなファンタジー~

2013-10-10 06:10:27 | ビオ多々羅
最近気づいたのですが、自然がいろいろともたらしてくれる風景を眺め、そのささやかなファンタジーにうっとりして楽しんでいます。

10月9日 5時49分 朝焼け 東

10月9日 17時26分 夕焼け 東

10月9日 17時26分 夕焼け 西

10月10日 5時47分 雲海 北東

10月10日 5時47分 雲海 北

ビオ多々羅

2013-10-02 16:21:44 | ビオ多々羅


私の活動拠点の中心であるビオ多々羅に今後のイベントの打ち合わせで行ってきました。
ところが本日は、稲刈り作業で皆さん、大変忙しく充分な打ち合わせはできなかったけれど、10~11月のイベント確認をしてきました。稲刈り機に相次ぐトラブルが発生し、17時までに収穫を天王に届けなければならず、皆さん必死の顔であった。

カブトムシの死骸とスズメバチ

2013-08-27 17:06:17 | ビオ多々羅
本日は、ビオ多々羅の通常営業日ではないが、代表の車を見かけたので古民家を訪ねた。ある女性グループが古民家内で勉強会?会議中であり、代表は、農園か竹藪におられるということで探し、ようやく発見。今後のイベントのための竹の伐採とその準備を学生と暑い日差しの中で作業中。久しぶりの挨拶と近況報告としての情報交換、今後のスケジュール調整を約束した。話は飛んで裏藪にカブトムシの死骸がありどうもフクロウが食べたのだと、カラスや鳥もカブトムシのお腹をかじっているとのことで、現場を見に行った。大きな木のまわりに2cmぐらいのカブトムシが無残に散らばり、木の根っこには、何と2~3cmぐらいのスズメバチが数匹動いている。それを見て、逃げようとする私に、いや全然問題ないといって、もっと近よる代表にびっくり。幸い蜂には刺されなかったが、藪蚊には、あちこち刺された。自然と虫たち、生き物にとっては、ちょっとした藪、林でこんなにも生きるための戦いがあるのだとあらためて思ったのである。

ビオちょっと史跡探訪 ⑳ 大住隼人舞 京田辺市大住池平

2013-06-02 12:45:05 | ビオ多々羅
京田辺市指定無形民族文化財である大住隼人舞をご紹介します。

毎年10/14、京田辺市大住の月読神社で、『大住隼人舞』が奉納されます。
この舞は奈良時代に九州地方から移住してきた大住隼人が朝廷に仕え、宮中で踊ったものが起源とされています。
地元の中学生達が古代の衣を身にまとい、弓矢・剣・盾を持ち太鼓や笛の音に合わせて舞を踊ります。
この隼人舞は古事記や、日本書紀の神話、海の幸彦と山の幸彦の物語に起源があるとされており、現在まで後世に語り継がれています。

動画は、ここをクリックしてご覧ください。

ビオちょっと史跡探訪 ⑲ ふれあいしんぶん   京田辺市普賢寺

2013-05-28 12:25:33 | ビオ多々羅
ご存知、京田辺市の普賢寺ふれあいの駅 の毎月発行される新聞「ふれあいしんぶん」です。

お買い物をすると「ふれあいしんぶん」をいただき、家族で購読しています。
プロの生産者から発信される新鮮な野菜、お茶、お花 等のタイムリーな記事を読むと、より美味しく味わい、活用深いものとなります。新しいということの価値が倍増するようにも思えます。まさに、地元民としてこのような地域の近くで住んでいることに喜びを感じます。加えて、普賢寺地区が自然豊かな、奥深いいにしえの文化と伝統の宝庫であり、そういうことを紹介する記事が増加し、大変充実してきていますので、毎号楽しみにしています。


ビオちょっと史跡探訪 ⑱ 伊藤若冲が住んでいた・・・ 京田辺市普賢寺公家谷

2013-05-14 17:23:23 | ビオ多々羅
    

江戸中期の絵師、伊藤若冲が晩年、数年間、普賢寺の公家谷(こけだに)に住んでいました。
■京都錦小路の青物問屋『枡源』の長男として生まれ、4代目を継ぐ。
■20歳後半から家業の傍ら、絵を描き始める。 40歳で弟に家業を譲る。
■最初は、狩野派、次に中国絵画の模写、実物(鶏をはじめとする動物や植物)を写生、
独自の世界を構築(墨絵、障壁画)。
■生涯独身、酒も飲まずに、人付き合いが苦手、書も苦手、無趣味、無芸。
■晩年、公家谷に住む。よれよれの帯、ひげぼうぼうの風貌。
米一斗で絵画と交換したので、その住まいを「斗米庵(とべいあん)」と呼ばれた。
■普賢寺の二家で保存されていたというが、・・・。

 『動植綵絵(さいえ)』をモチーフとして、生物のあらゆるものを精緻に鮮やかに描いた絵画は、まさに神技。
鳳凰の金色を出すのに、白、黄に合わせて黒を裏から描く、雪の積り具合を出すのに白を盛り上げ、降るさまの遠近感を出すのに、裏から墨を塗る裏彩色は、全くの独自で生み出したもの、本当に、絵画の世界に吸い込まれる錯覚が起きるようである。

伊賀越えウォーキング&創作料理キーマカレー

2013-04-27 16:25:36 | ビオ多々羅
       
京田辺市民8名、精華町、生駒、交野、宇治在住5名、秋田市出身2名、計15名の参加。
またしても、多くの出会いがあり、皆さんの乗りで、大変盛り上げていただいた。
皆で考えるクイズを出したり、新しい発見物を探したりと今までにない楽しいウォーキングとなった。
創作料理は、キーマカレーと野菜たっぷりの豆乳入り味噌汁。食事の前に、自己紹介を行い、参加者間の交流に役立ったと思う。昼食後も、里山、農園、周辺を散策し、88歳のお母さんの博学さに驚き、今まで参加最年少の18歳の同志社女子大生の笑い声でさらに花が咲いた。

第五回ビオ多々羅歴史講演

2013-04-14 06:56:22 | ビオ多々羅
    

第五回ビオ多々羅歴史講演『伊賀越えから学ぶこと』を開催。参加者は、最高の19名。
主催者側として多数のことを学びました。
●昨日、本日と講演開始直前まで、参加者の申し込み、不参加が続出。
 デザート数の変更で担当の方には、ご迷惑をおかけしました。
●会場の古民家の場所が分からず、開始直前まで私が何度も迎えに走り、開始時にはかなりエネルギーを費やしました。
●質問も多数出て、奥深い疑問事項も分かりやすく回答したのですが、どうしても納得されない方がいらっしゃり、途中でやめました。~~明智軍勢が家康を襲うのはなぜか?「信長の同盟者の家康は必然的に狙われる。」と答えるが、どこに記述されているか?「推測である。」と答えるが、納得されない。となりの参加者が応援してくれたが、不審顔。少し、調べるとは答えたが、このような時にどうするのか?・・・。~~
●参加者の感想としては、時間が延長したが、長く感じなかった、後半の本能寺の変の黒幕説、愛宕山の連歌会の歌、等が面白かった、とのこと。
●自分自身も、いつものように多くを語ろうと、やや消化不良を感じるが、精一杯やらしていただいたと思う。ただ反省点も多く見つかった。話の構成、写真の見せるタイミング、対象者、焦点を絞る、時間配分、白板の使い方、空調、等など。素直に改善していきたい。

※いや~あ、まだまだですわ。兎に角、疲れました。

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