教育改革により、2020年までに小学校~大学までの教育内容が大きく変わろうとしている。大学入試の在り方や道徳の科目制などにあるように、教科書や教え学び方、評価がいつも本質的な課題となってくるのは致し方ないかもしれない。がしかしである。あまりにも、達成度評価に偏っているのではないかと疑問視する。結果、受験のことが中心軸の議論となり、入試試験の方法論などの狭まった論議となる。その際には、選択方式ではなくて、考える力を重視ということで、これまたおかしな議論に深まる。そこで、本来の個人が所有する能力を導き出すことが教育であると正論を言ってしまう。正論とは、にも意見を交わす場面が浮かんでくる。益々、浅学者には、混とんとして複雑怪奇なものになってきそうである。科学文化の発展とともに、多様性が伴い色々な考え思いの善悪の判断をすることが難しくなってきているが、概して言えば、価値観の違いを認識しあい、コミュニケーションを図り、お互いに協力し合うこころを養うことが頭に浮かぶ。できうるならば、小さい時から色々な経験をし、物事の自己判断をつける力が大切ではないかと思う。そのために、その考えが正論かな?と問いかけて、考えさすことが今の教育として必要ではないかと思った。
昨年、古文書解読を教えていただいた、市教育委員会のM氏が吉田松陰添削のいとこの日記を発見というニュースが飛び込んできた。市内の古文書調査研究のために、購入した古文書の中にこれがあったという。若手だが、大学で本格的に歴史を勉強してきた市職員としては、初めての逸材。現在市史編纂に携わっているが、今一度、意見を交わしたく思う。文化学術のまちとしての面目を取り戻していただきたく、上村市長もその真髄をしっかりと理解して、本来の京田辺市の保有する資産文化資源になるように、成果ある積極的なアクションをとっていただきたい。文化は人の心・精神を鍛え直し、社会を立て直すためのものであることをもっと理解してほしいものだ。今の世の中を立て直すのには、倫理道徳観念を基にした教育が必要である。
昭和でよく口にした中流が、平成では格差と分断社会となってしまった。科学技術の進歩発展がより幸福度を高めたかといえば、そう感じるお方もあろうが、大半はそうでないのではないかと思ってしまう。便利・効率化・合理的・好都合で時間と空間のメリットを獲得し、労働を減らし余暇や趣味に費やした。それでも、人間の本質的な幸福・充実感は得られていない。科学技術と反比例するかのように、人間性豊かな心、精神が減衰してしまったからだ。これは、人間教育の不十分なる倫理道徳観念の低下がその原因ではないかと思っている。もう一度、人間らしさを取り戻すために、来る令和の時代には、教育文化を尊び学ぶ真摯な行動を強くしたいものである。
東大入学式の上野千鶴子さんの祝辞から。
『正解を求めてきた学校教育、しかし社会は、正解のない問いに満ちた世界。多様なものを学び多様な問いに答えていく力をつける。新しい価値は、異文化の摩擦から誕生。未知を求めて、他の世界に飛び出すことが大切。大学で学ぶ価値とは、未知の知を身につけること。』
この祝辞を読み、正解のない世界をより正しく判断し行動する一つの基準は、弱きものを救うことにあるのではないかと思った。平成の時代は、格差社会の拡大となった。国内には、資金運用に1億円以上を保有する人が319万人。時間給5000円(高額なのだが)で2000時間働いても、年収1000万円。一生懸命に働いても、1000万円。動かす1億円を持つ人は、汗水たらした労働はせずに、お金を右から左へと動かす人。労働とは何かとまた疑問を持つ。この矛盾に満ちた社会を立て直す基軸は、人間の価値観、充実感、喜びにあると思う。物の裕福さではなく、心の豊かさを求めていくことである。お金に執着し、自分だけが裕福になれば他人から反感を買うことにもなる。財産ができたことを周囲・環境や運に感謝し、他の人への還元が必要である。お金の魔力は、権力を獲得し、誤ったまつりごとにもつながっていく悪魔。最後は、社会を崩壊させることになる。まさに倫理道徳の考えや心を豊かにする学びが大切であり、大学入学という新たな変革の時期にこのはなむけの祝辞は、好印象を持った。
『正解を求めてきた学校教育、しかし社会は、正解のない問いに満ちた世界。多様なものを学び多様な問いに答えていく力をつける。新しい価値は、異文化の摩擦から誕生。未知を求めて、他の世界に飛び出すことが大切。大学で学ぶ価値とは、未知の知を身につけること。』
この祝辞を読み、正解のない世界をより正しく判断し行動する一つの基準は、弱きものを救うことにあるのではないかと思った。平成の時代は、格差社会の拡大となった。国内には、資金運用に1億円以上を保有する人が319万人。時間給5000円(高額なのだが)で2000時間働いても、年収1000万円。一生懸命に働いても、1000万円。動かす1億円を持つ人は、汗水たらした労働はせずに、お金を右から左へと動かす人。労働とは何かとまた疑問を持つ。この矛盾に満ちた社会を立て直す基軸は、人間の価値観、充実感、喜びにあると思う。物の裕福さではなく、心の豊かさを求めていくことである。お金に執着し、自分だけが裕福になれば他人から反感を買うことにもなる。財産ができたことを周囲・環境や運に感謝し、他の人への還元が必要である。お金の魔力は、権力を獲得し、誤ったまつりごとにもつながっていく悪魔。最後は、社会を崩壊させることになる。まさに倫理道徳の考えや心を豊かにする学びが大切であり、大学入学という新たな変革の時期にこのはなむけの祝辞は、好印象を持った。
知り合いの若手営業マンから、今週末に自社製品の提案説明を行うので、作成したパワーポイントとプレゼンテーションについて、アドバイスの依頼があり、久しぶりに現役時代に戻ったひと時を過ごした。まず、何を訴えたいのかを聞き、説明ストーリーを作成、インパクトあるプレゼンテーションの方法をアドバイスした。工場の設備装置なので、分かりやすさ、実績、そして、技術担当の出番の考慮などを付け加え、説明は一方的ならずに、お客様に話しかけるようにしてはとコメントをした。十年振りに、企業の仕事に接することができ、なんだか、幸せな気分になったのは、不思議である。
コンビニのレジ会計や袋詰めを自動化する「レジロボ」が開発され、大阪の店舗で実証実験が始まった。テレビでその様子をみて、なるほどと思うとともに、これで良いのだと思う気持にはならなかった。仕事の効率、コストダウン、店員不足の解消、混雑緩和 等に役立てるという狙いは、価値を認めるが、その一方で、手も動かさず、計算もせずに、店員とのやり取りもなく、自動化により、人間の本来保有する能力がまた欠落していくようにも思う。今や、携帯電話番号も覚えず、計算もせず、漢字も読めず書けず覚えず、いわゆる『読み書きそろばん』力の激減が否めない。特に、自分自身の実経験として、子供の時のそろばんの習得は、一生役立つから、是非授業でも本格的に取り上げてほしいものである。ただ単に、位取りを知り、昔の人の知恵を知るを目的とした授業の5~6時間ではなく、暗算ができる程度である。暗算ができると、日常的に実益はあるし、頭の体操にも良いし、認知症対策にも大いに役立つと思う。
4月より、我々地域の小学校が、コミュニティ・スクールの指定を受けて、本格的に活動すると聞いた。
実は、つい最近まで、その名前も全く知らなかったが、地域住民・保護者が学校運営や教育課題に参加していこうというもの。現在の学校内の課題については、あまりわからないが、昨今の和歌山小殺害の犯人、小学生の犯罪、またイスラムに集まる若者、等、悪逆非道極まりない事件が多発し、教育や人の育成の大切さを痛感している。この件については、別途、考えを整理してみたいのだが、今、頭に浮かぶことは、『いつも清く正しく、情緒豊かに、倫理道徳を備えて大人に成長していくことだけが正しい道ではない。人間は、失敗や間違いを起こし、それを正し、改めることを行い、その自律力を高めながら巣立っていくのであると思っている。逆に、幼い時から、優等生で失敗を経験してこなかったり、失敗したすべてを他人がそれをカバーしてくれるとそこには、成長はないのである。出来ない事への壁にぶつかり、子供なりに悪戦苦闘しながら、それを乗り越える体験の積み重ねが人間を成長させるのである。そのハードルの高さを成長時期に合わせて、うまく与えることが大切なことである。教育の問題は、家庭や学校の問題でなく、地域社会の問題ととらえ、共同体で問題解決を図っていくという点では、賛成であるが、家庭問題、挨拶もしない大人たちの地域社会では、子供は正しく育たないのである。先ずは、地域の人々との接触を大人たちが積極的にやって初めて、子供が育つ環境の一歩ができることの認識を高め実行してほしいものである。
実は、つい最近まで、その名前も全く知らなかったが、地域住民・保護者が学校運営や教育課題に参加していこうというもの。現在の学校内の課題については、あまりわからないが、昨今の和歌山小殺害の犯人、小学生の犯罪、またイスラムに集まる若者、等、悪逆非道極まりない事件が多発し、教育や人の育成の大切さを痛感している。この件については、別途、考えを整理してみたいのだが、今、頭に浮かぶことは、『いつも清く正しく、情緒豊かに、倫理道徳を備えて大人に成長していくことだけが正しい道ではない。人間は、失敗や間違いを起こし、それを正し、改めることを行い、その自律力を高めながら巣立っていくのであると思っている。逆に、幼い時から、優等生で失敗を経験してこなかったり、失敗したすべてを他人がそれをカバーしてくれるとそこには、成長はないのである。出来ない事への壁にぶつかり、子供なりに悪戦苦闘しながら、それを乗り越える体験の積み重ねが人間を成長させるのである。そのハードルの高さを成長時期に合わせて、うまく与えることが大切なことである。教育の問題は、家庭や学校の問題でなく、地域社会の問題ととらえ、共同体で問題解決を図っていくという点では、賛成であるが、家庭問題、挨拶もしない大人たちの地域社会では、子供は正しく育たないのである。先ずは、地域の人々との接触を大人たちが積極的にやって初めて、子供が育つ環境の一歩ができることの認識を高め実行してほしいものである。
思うは招く 20分間の目から鱗、感激のお話。是非、視聴いただきたい。
子供たちの教育、講演活動、企業研修に『可能性を広げる』ことの大切さを、ごく普通の日常会話で伝えている。大いに学びたいメッセージです。。
どうせ無理 ではなく、だったらやってみな
子供たちの教育、講演活動、企業研修に『可能性を広げる』ことの大切さを、ごく普通の日常会話で伝えている。大いに学びたいメッセージです。。
どうせ無理 ではなく、だったらやってみな
■いつの時代でも世界上のどこかで民族紛争があり、人間社会間での悲劇的な集団殺害が発生している。
■生まれながらにして先祖から受け継いだ憎しみ恨みや宗教的な闘争、またつい最近の政治経済圧力紛争にともなうものなど、自分としても避けられない環境条件に基づく半面、逆に言えば、それらに基づかないものについては、暴力的な闘争を避けることができるのではないかと思っている。
■争いごとの単位は、民族、国、地域、まち、そして、最小の単位は家庭であり、家族である。■小さい時から、よくよく見てみると、子供は、身近な大人、特に日々時々刻々、見て聞える親の言動・行動に似ていくのである。「これなに?」と聞きながら、いろいろなものを知り会得していく。本来ならば、親は、子供に付き添い多くの教えを伝えるのであるが、それが常にできないところが逆に良いところで、親の言葉や姿を見て、自ら考え、会得するところに子供の成長が増進される。
■いつも教えることが子供にとっての最高の教育ではないことを親たちは知り、子供の自立心を環境的に手助けすることこそが大切なように思う。
■親が何をして働いているのか、何に夢中なのか、苦労したり楽しんでいるものは何か、なぜかを子供が知ると、大きな好奇心や自己の考えの推理性や判断力を高めていくのである。
■だから、親、身近な大人の無言の後ろ姿は本当に大切だと思う。
■生まれながらにして先祖から受け継いだ憎しみ恨みや宗教的な闘争、またつい最近の政治経済圧力紛争にともなうものなど、自分としても避けられない環境条件に基づく半面、逆に言えば、それらに基づかないものについては、暴力的な闘争を避けることができるのではないかと思っている。
■争いごとの単位は、民族、国、地域、まち、そして、最小の単位は家庭であり、家族である。■小さい時から、よくよく見てみると、子供は、身近な大人、特に日々時々刻々、見て聞える親の言動・行動に似ていくのである。「これなに?」と聞きながら、いろいろなものを知り会得していく。本来ならば、親は、子供に付き添い多くの教えを伝えるのであるが、それが常にできないところが逆に良いところで、親の言葉や姿を見て、自ら考え、会得するところに子供の成長が増進される。
■いつも教えることが子供にとっての最高の教育ではないことを親たちは知り、子供の自立心を環境的に手助けすることこそが大切なように思う。
■親が何をして働いているのか、何に夢中なのか、苦労したり楽しんでいるものは何か、なぜかを子供が知ると、大きな好奇心や自己の考えの推理性や判断力を高めていくのである。
■だから、親、身近な大人の無言の後ろ姿は本当に大切だと思う。