昨日、昼から日経新聞のナンバープレイス(数独)の超難問をやり始めたが、何回やっても解答できず、頭をクリヤーにして、本日15時から、再チャレンジ。やり直しながら、何とか正解できた。反省してみると、今までやってきた解法では、不可能とわかり、異なった手順でやってみた。兎に角、枠にはめ込む数字を可能性あるもののを絞り込んでいく方法である。長時間数字を見ていると、頭が混乱し、明らかな間違いミスを何回でも引き起こす。そういう時は、気分を切り替えて発想を変えてみることだと改めて知った次第である。
自分の生誕から幼児時期のことが知りたくて、家族や親せき、近所の幼児を観察している。目で追う、音が聞こえる、指を曲げる、足をもぞもぞする、笑う、声を出す、・・・・。人間が行動する時期、何を思って行動するのかをますます知りたくなってくる。それにしても、記憶するとか会話できるのは、徐々に早くなってきているのは、間違いない。人間は幼児時期において、確実に社会環境とともに、成長してきている。
パソコンのディスク使用量が増大し、削減を試みるが、いくつかのデータの保存フォルダーが不明で、朝から調べていると、頭が混乱しかけ、時間がたつにつれて、他の保存情報も行方知らずとなった。頭を冷やして、数時間後、探していたらやっとわかった。その情報は、実は、デジタル情報ではなかったことに。徐々に、記憶や認知機能が衰えてきていることを実感する、今日この頃。
雨戸をあけると、軒下に何かがいる気配。近づいても、じっと動かない。よくよく見ると、ブラウン色の猫。頭を小刻みに縦に振り、痙攣しているようにも見える。弱っている野良ちゃんであるなと察し、ミルクを少々与えると、ゆっくりと飲んだ。このまま、居座ると飼うことはできず困るので、箱に入れて、太陽の当たる場所まで移動し、「帰りなさい」と言って別れた。最近、自宅周辺の野良ネコの数は減少気味であるが、畑に出没することも多く、近所でも大変迷惑がられている。このような対応でよかったのかしら…。
急遽、午後、お客様が来られるということで、午前中に近くのショッピングモールに出かけた。昼食用とお菓子・飲み物類を購入して、準備した。その間、お客様が家を出発してから、電車に乗り、電車の遅れによる情報、到着時間の連絡、その実際の時刻、などなど、時々刻々とこれ以上ないほどスマホに通知が入る。確かに、その情報はありがたいものだが、まさに時を刻むご時世なんだなあと思わざるを得ない。
朝晩はめっきり寒くなり、やっと、秋がやってきた。秋の楽しみは、空いっぱいに色々な形の雲が広がることである。薄く、高々と、変化激しく、空の芸術をとどまることなく、創り出すことである。中でも、最も好きな巻雲すじ雲が空高く出来上がるときっと今日はいいことがあると思ってしまうのである。
再読するために保管していた8月中旬からの新聞を4時間読み続けた。一か月前に起こった社会的な問題や事件を後日追っかけてみるのことを覚えてからこの行動はなかなか面白い。勿論、その時の社会的な判断の間違いが明確になってくるのも興味を注ぐものだ。
秋分の日が23日ですから、三日前の今日からが彼岸の入りとなります。太陽が真東から上り、真西に沈むと学んだのですが、川を挟んで向こう側が、彼岸、こちら側が此岸と言います。先祖や亡くなった人がこの時期に川を渡ってくるのです。その場所が、お墓ということで、墓参りをするのです。
夜の就寝は、1~2時間ぐらいで目が覚める。朝まで、その繰り返しで、目覚めると頭がボォーとしている。逆に、昼食後は、新聞や雑誌を読んでいると、数分で、眠りについてしまっている。夜の夢とは違って、昼の夢は非常に快適な夢が多く、その内容が面白い。