歴史の真実を解明することは誠に難しい。
近代・現代の出来事でも、いろいろな考えや新たな事実が出てきて、よく分からないことも多い。
なおさら、いにしえのことではそうで、郷土史を調べていると、昔からの古文書、書状などに頼らざるを得ないが、資料不足と充分なる読解力がないために、それらを整理したものを読むことになる。
今、本能寺の変の真実に興味を持って、その時代の書き物をもとに、歴史学者、歴史研究家、などが主張している内容に目を通したり、講演などを聞いている。その共通的なものは、結構自分の世界に入り込み、自信を持って発信されているからこれまた面白く感じる。元の真実から書き加え、変更され、破棄され、自己の都合のよい好感を抱く読み物になるケースも多いから注意しなけれなばらない。竹取物語においても、翁のことを『さぬきのみやつこ』と一般的にはなっているが、転写間違い?で本来の『さかきのみやつこ』であれば、モデルとなった奈良広陵町論は、消滅してしまうのである。
近代・現代の出来事でも、いろいろな考えや新たな事実が出てきて、よく分からないことも多い。
なおさら、いにしえのことではそうで、郷土史を調べていると、昔からの古文書、書状などに頼らざるを得ないが、資料不足と充分なる読解力がないために、それらを整理したものを読むことになる。
今、本能寺の変の真実に興味を持って、その時代の書き物をもとに、歴史学者、歴史研究家、などが主張している内容に目を通したり、講演などを聞いている。その共通的なものは、結構自分の世界に入り込み、自信を持って発信されているからこれまた面白く感じる。元の真実から書き加え、変更され、破棄され、自己の都合のよい好感を抱く読み物になるケースも多いから注意しなけれなばらない。竹取物語においても、翁のことを『さぬきのみやつこ』と一般的にはなっているが、転写間違い?で本来の『さかきのみやつこ』であれば、モデルとなった奈良広陵町論は、消滅してしまうのである。
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