自殺報道の不思議

世界的な自殺大国日本。ネットで調べると自殺率は世界の第3位。日本より上位に2国あるが聞いたことのない国で、先進国では断トツだ。8年連続年間3万人を超ええている。毎日約100人自殺していることになる。(念のため事故死は年間4万人。自殺と合わせると、毎日やく220人が不慮の死)こんな世界的な自殺天国を知っている人は驚くほど少ない。
毎年、警察庁が6月に速報値を発表する。それを受けて報道される。
一昨年前までは各新聞社は1面トップで大きな見出しで取り上げた。社によっては更に社説や他の紙面も使って大きく報道していた。昨年は全新聞社は申し合わせたように夕刊のしかも1面トップからはずした。今年は夕刊の18面(朝日新聞)になった。(他の新聞は、明日調べる)
テレビはNHKはじめ全局が以前から一切報道していない。( 一応全紙・全局 
をチェックしているが見落としていれば関係機関に謝る)
これだけの問題を何故テレビは報道せず、新聞社も申し合わせたように扱いが小さくなっているのか。この自殺の実態は国民が知らなくてもいいことか。ある意味では戦争以上悲惨で不幸ななことではないか。
同じく教育関係では不登校や発達障害の増加の実態が報道されていない。
このような報道の実態を見ると、他にもかなり意識的に避けているニュースがある
だろう。こんな大事なことは事実を知らせてみんなで知恵を出し合い解決しなければならないではないか。知らせないのが、報道機関ばかりでなく、都や市・警察署や教育委員会果ては末端の学校まで関係市民にも伝えない。
知られると都合の悪い立場の人でもいるのだろうか。(差別的な表現だが)「~桟敷に置く」とか日光のお猿さんを考えての事でなければいいが。
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愛する人との尽きない会話

新聞の雑誌広告欄にある女性作家の「愛する人との尽きない会話」の言葉があった。(尽きないのところはもっと滑らかな言葉だった)何はなくてもこれが1番の幸せと言う意味のようだった。恋人・親子・夫婦の幸福を端的に表現されていると思ったし、あえて〈会話)としたところが気に入った。(勿論会話を含めたコミュニケーション全体を指すのだろうが。)その通りだが、果たして今時、その時間を持てている人はどれだけいるのか心配にもなった。私なんかは現役をリタイヤして時間はいっぱいあるのだが、忘れたのかもともとないのか、その術がない。仕方ないからこうして日記を書いている。あの会話を形容した言葉は何だったけかなあ?
まずは、囲碁を打ってこよう。
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競争の限界

経済のグローバル化は世界的な資源の分捕り合戦とほとんど同義語だ。
ところでこの競争は永遠に続くのか、それとも限界があるのか。
[持続可能]の言葉をあちこちで使われているのを見ると多くの人が持続可能と考えているのだろう。
子供の頃みんなで,近くの川や畑で魚と取りや虫取りをした。沢山獲ったりうまく捕まえる子供は自慢し周りの尊敬や憧れの的になった。全く自然発生的な競い合いだ。ところで、今そのような風景はほとんど見られない。なぜか?時間がないだけではなく、近くにほしい魚や虫がいない(勿論、いるにはいるのだけれど、意味が違う)のと、競い合う仲間がいないからだ。
資源は有限だ。だとすると資源の分捕り合戦は永遠には続けられない。その上相手なしにはは競争は成り立たない。いつどのように収束するかが問われるだけ。地球の隅々にいたった環境の変調は全人類が気がついている。収束の時期がt
分捕り競争ができなくなったからと言って心配は要らない。分け合えばいいだけだ。戦後、家族も隣近所もも良く分け合っていた。今思うと楽しかった。
だからと言って社会主義や共産主義が良いのではない。なぜならこれらの国々を見るとやっぱり力の論理と競争原理の中にあるからだ。競争至上主義でない秩序を考えた新しい原理が求められているのではないか。
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