日本のワールドカップは終わったの?

23日ブラジル戦に負けたあと、いくつかのテレビ局でアナウンサーが「日本のワールドカップは終わった」言っていた。その二日後に選手達が帰ってきた。決勝戦や閉会式もできるだけ見てきてほしかった。礼儀もあるだろう。私は礼儀もさることながら、自分の出番が終わったら早々と引き上げる見識のなさが気になった。
学校の学芸会や音楽会は全体に公開し親も見に来るが、30年ぐらい前から自分の子供の出番だけ見てすぐ帰る父母が目立ってきた。学校では他の子供達の作品も見てほしいと放送を入れるが足は止まらずその傾向は増すばかりだった。終わった後職員室で職員のあきれ声をきいたもんだ。(自分の子供だけ見て分るか)この声は自然とわいた。たしかに他の学年の作品ももみないと子供を取り巻く学校の雰囲気や、これからの自分の子供の見通しも立たないはずだ。(今考えると親が既に余裕をなくしていたのを職員が察知できず、職員が勝手なこと言っていたのかもしれ)
サッカーも同じでないか。帰国してテレビやビデオで見たとしても本当に大事な細かなところは分るはずがない。4年後を考えたら日本より強いたチームから学ぶのは最低限のことではないか。経済大国にそのお金がないもも思えない。もし、予算がないとしたら自腹切ってでも、見て勉強するのがジーコも言うプロ意識ではないか。
こんな当たり前のことがどこからも聞こえない。(見習い)はどんなトレーニングや監督にもできない選手の素養だろうと思う。親のように余裕がないとも考えにくい。
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戦争より怖いこと

「戦争と平和」人類の最も不幸が戦争で幸福が平和だとずーと思ってきた。
最近そう思わなくなった。今生まれてきた子供が地球を去る80年後は、地球は戦争なんかやってられないのではないか。生き残りのサバイバルゲームは既に終わり
そのゲームをする力も残っていない。前世のバチが当たって皆で償うのに必死。一見悲惨だが意外に落ち着いて仲良くいい顔をしてる。それが私の心象風景だ。
そこで人々は喋る「昔はよったね、戦争なんかできて、いまは戦争もできない」
今日の状況を考えると絶望しそうだから、物語はハッピーエンドにした。
言いたいことはその時点から今日を見たとき、今はどうすべきか。80年後すなわち今生まれてくるベビーの立場から考えるとどうなるか。
「先祖様がもう少し道楽をひかえ、喧嘩に明け暮れなければ、こんな惨めにならなかったよね」孫のような子がおじいちゃんやおばちゃんになって言う。物語通りだったらば、この例外から逃れられる人はこの世にだれもいない。戦争準備やその反対もいいが、孫は80年後「こんなこと分らなかったのかなー?」といわれそう。戦争より怖い地球の破壊は一時も待たず確実に進んでいる。
資本主義も社会主義も地球資源の奪い方と分け前のやり方に違いがあるだけで、
地球から無断で持ってくることには違いがない。住家の地球や自然を大切にし借りたものは返すぐらいのやっさしく律儀なた本当の意味でグローバル(地球的)な社会になるといい。
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縁起でもない

昔から先のことを心配しすぎると、内容を問わず「縁起でもない」と有無を言わさず疎まれた。今地球は壊され続け、地球も人類もわが子や孫までが命に関わるような心配な状況にある。これは戦争と違って人間の選択を超え、自然的に確実にやってくる。人にできるのは,その規模をより少なくしたり、いくらかでも遅らせたり、被害を最小限に食い止めるだけ。これは科学と言うのもおこがましい当然のことだ。自分や子の命を守るのに、声掛け合わなくてはいけないが、声をかけると「縁起でもない」とはじきだされる。飲み屋も同じだ。上司の悪口や、自分のなきごとや、異性にまつわるエッチな話も〈無礼講)といって許されるが、まじめな話はだめ。飲んで本音を出すのだがやっぱりタブーがある。
日光の(見ざる聞かざる言わざる)のお猿さんは江戸時代の庶民の処世術を表していると聞いたことががるが、違う解釈があってもいいと思った。確かに今の社会は、ほとんど戦前を思わせるほど大本営発表(勿論やり方は違う)に全体がなびいてる。学校の先生は勿論上のお猿さんのようだ。しかしあれはお猿さんだから可愛いのだけど、人間や先生がが同じようなことをしていてはおかしくはないか。ちょとしたらあの絵が伝えたいメッセージは「あなた達は猿ではなく人間なんだから逃げないで、事実に目を向け、話をしっかり聞き、思っていることは勇気を持って言いなさいということでなないだろうか。
伝統的な武士道精神は単にお上に忠誠を誓い盲目的に従うだけでなく(忠義)といってお上のおかしさにははっきり諌言(いさめる言葉》しそれでもだめな時は、押し込め(部屋への隔離)が正当化されていたとも聞く。絶対服従の封建制度にあっても、自然な人倫がなくては社会は維持できないからだろう。今は上下左右老若男女(要するに全ての人)が、そこまで問われている時代だ。要するに一人ひとりだ.他人のせいにするな。
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