言行不一致

株をやっていると自分はひどく言行不一致なことに気づかされる。
売買は自分でルールを作ってやるのだが、特に売るとき、株が上がったら上がったで、もっと上がるんではないかとの思いがが増して売れない、下がったら下がったで、そのうち上がるだろうとの思いが増してやっぱり売れない。結局自分が作ったルールを自分で破ってしまう。そして損をする。株のおかげで自分の言行不一致を思い知らされた。こんな大事な性格を もっと早く気がつきゃいいのに。
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遊びせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん

遊ぶ子供の声聞けば わが身さえこそ動がるれ
平安末期,後白河法皇の編んだ梁塵秘抄の歌の一つ。
この歌にある知恵は民族を超えた人間の知恵であり、教育以前の教えであり、法律以前の自然法、草花に水や太陽が必要なのと同じ自然の法則のようなものだろう。
だから軽んずるとバチが当たるような性質のもの。皆やっているから、目の前がどうしても気になるからと言って、法を無視していいはずがない。しかし今の時代はすでにそのような時代に変わってしまった。因果応報的な天罰らしきものもあふれているが、因果には目が行かない。みんながやっているから、気がつかないのだろう。上から下まで、巷でも、その心を当然とした教育や子育ての声を聞かなくなって久しい。科学を旨とするなら、他の生物を見るといい。これ(遊びに該当するもの)が無視された生物を見つけることができるだろうか。私は人間以外に見つけることがきない。そんなにはっきりしていることなのに。我々は、バチがどこに落ちても不思議でない危険な状態の中で、生活している。(「暮らしてる」の言葉は似合わない)
追記   私が子供のころは親も先生も〈よく学びよく遊べ)は常識のようだった。私は教師として子供との付き合いからこの諺は(よく遊びよく学べ)ではないかと迷った。
ある年寄りに聞いたらそのおばーさん「あの時代(多分明治以降を指すのだろう)
だから(よく学びよく遊べ)です。「自信があります」とまで念を押された。
多分その老人の言うとおりだろう。明治の学制で以前のいわれが変わったのかもしれない。それでもしっかり遊びは保障されていた。今は、「遊び」は残っていない。お金が水や太陽の代わりができないことは子供だって分ることなのに。勿論ここで「遊び」がテレビやゲーム・スポーツクラブやお稽古事を指していないことは当然です。
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