ものの見方考え方

水は電気を通すかどうかを問われたら多くの人は《通す》と答える。実際はきれいな水は通さず、不純物が入っているときのみ通す。人は思っていることと事実が一致しないことが多い。自然科学でもそうなるのだから、社会の出来事はなおさらである。
高校生の放火殺人事件。良家の息子、しかも父親が行き過ぎだと言われても、息子の為と考え精一杯やった結果だった。あの事件を見て、もしお医者さんの父親が息子の探索行動(どの生物も持っている生来の性質)を意識していたらと思う。しかし
改めて考えてみるとどこにそんな人がいるだろうか。専門家といえども、私自身もあの父親と程度の差はあれ、全く別とは思えない。
あの息子の立場で考えると、あれは自分と関係ないといえる子供がいるようには思えない。だからどこの家庭もあの殺された家族は他人事ではないはず。
秋田の事件にしろ川崎のダンボールに入った3遺体発見の事件にしろ(異常で普には考えられない)として解説され報道された。異常で済ませるのは情緒的には訴えても分析や解説になっていると言えないと思う。(お釈迦さんなら「全て因縁」と言ったかも知れない。)原因・結果を明らかにしなければ、事件の解明にはならないだろう。語弊はあるが異常とも思える心理や行動が自分の中にも見出し想像する中で、事件全体が絵として自分の中にまとまり納まる。
今日は朝から北朝鮮のミサイル発射でテレビも大変。本当に朝鮮は馬鹿なことをした。全く世界のこと、国民のことが分っていないと思う。ただ私は前記のように《なんと馬鹿な・異常な》と言っていても、対応は報復以外に方法はでてこないだろうと思う。
日本もそれを望んでいるわけではないだろうから、もう一歩見方考え方を冷静な分析・対応のレベルに持ち上げないといけないのではないか。小学校の子供達と付き合っていると、勿論レベルは違うが似たようなトラブルはしょっちゅうある。落ち着いて因果を明らかにした上で対応対応することは教師として最低限の心がけだ。見方考え方では常に《思いと事実の区別》を意識しなければならない。
養老 孟さんなら「朝鮮は(バカの壁)に囲まれて分っていない。日本はそのことを謙虚に教えてあげるといい」と言うかもしれない。小泉さんはただ一言「常識で」と言うかもしれない。本当に「バカの壁」と「常識」を念頭において解決されることを願っている。
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