世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
底堅いデフレ好景気→インフレ不景気???
政府もメディアも今は底堅いデフレ下の好景気と喧伝している。
昨日、日銀はゼロ金利を解除した。今日の朝日新聞の1面トップのすぐ下には「忍び寄るインフレ懸念」の見出しが並ぶ。読み進めると、「下手をすれば急な金融引き締めがインフレは止めずに景気を失速させる最悪のシナリオをも招きかねない」と論じていた。私は以前からこのブログでそのことを指摘してきた。既にインフレと不景気の助走が始まっていることや底堅いデフレ好景気とインフレ不景気が隣りあわせになるとは誰が考えるだろう?要するに現在の経済状況が正しく伝えられていないから、情報的には信じられないようなことが展開する。
私は株をやっていてそのことを肌で感じていた。朝日新聞も今まで報道してこなかったが知っていたことになる。まだ政府や他のメディアからは聞こえてこないが早晩中心的な問題になり言わざるをえない時が来るだろう。ただその時の言い方はまたストレートではないから気をつけないといけない。
国民にとって大事な情報を伝えるのはマスメディアはこぞって遅いし特に政府などの公的機関はなお遅い。(従来の例から考えると変形した形になるがそれでも大体伝えられるのに1~2年かかるだろう)その間、間違った情報で犠牲者が増えるのは当然。本当の意味で自己判断による自己責任が痛切に求められる時代になっている。
昨日、日銀はゼロ金利を解除した。今日の朝日新聞の1面トップのすぐ下には「忍び寄るインフレ懸念」の見出しが並ぶ。読み進めると、「下手をすれば急な金融引き締めがインフレは止めずに景気を失速させる最悪のシナリオをも招きかねない」と論じていた。私は以前からこのブログでそのことを指摘してきた。既にインフレと不景気の助走が始まっていることや底堅いデフレ好景気とインフレ不景気が隣りあわせになるとは誰が考えるだろう?要するに現在の経済状況が正しく伝えられていないから、情報的には信じられないようなことが展開する。
私は株をやっていてそのことを肌で感じていた。朝日新聞も今まで報道してこなかったが知っていたことになる。まだ政府や他のメディアからは聞こえてこないが早晩中心的な問題になり言わざるをえない時が来るだろう。ただその時の言い方はまたストレートではないから気をつけないといけない。
国民にとって大事な情報を伝えるのはマスメディアはこぞって遅いし特に政府などの公的機関はなお遅い。(従来の例から考えると変形した形になるがそれでも大体伝えられるのに1~2年かかるだろう)その間、間違った情報で犠牲者が増えるのは当然。本当の意味で自己判断による自己責任が痛切に求められる時代になっている。
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うまい言葉が見つからない
昨日は「1枚の絵」のタイトルでで書いたのだけど、言いたいことがうまく言えない。
個人・団体・国に関わらず、どこか自己中心的で子供ぽい振る舞いと相手の立場をわきまえた(さすが大人)と言いたくなる振る舞いの違いがいいたいのだ。
夫婦でも性格の違いがより豊かな関係を作りもするし、逆に破綻の原因にもなる。
前者は夫婦の感覚の違いは擦り合わされ、新しい価値を生むが後者は一方に支配されたり依存したりし長くは持たない。
人称代名詞を使うと、1人称と2人称の世界と両者を含めた3人称(人々・皆)の世界がある。自分の言い分だけ主張するのは自己中心的で幼稚な1人称的人間であり1人称の目しか持てないだけである。その人間は相手が自分と対峙した存在として2人称が登場する。(自分か君か)の関係になり相手を1人称の目で見る。お互いに1人称の目で見ていることになる。ここで言いたいのは単にそれらを調整する第3者の目が大切だと言いたいのではなく、両者の違いから新たに発する普遍的な意味や価値、逆に言えば普遍的な価値から見た両者の価値と意味、それを見る目それが私の言いたい3人称の目である。そんな3人称の目が個人でも国でも必要ではないか。ここで言う目は主張とか利益と置き換えてもいい。要するに全体としてどうなのかを見ることの大切さを言いたい。(国敗れて山河あり)の、のどかな時代ならともかく現代は世界中、(国勝っても山河なし)の状態ではないだろうか。武力戦争にしろ経済戦争にしろ地球的には以前と意味が違ってきているはずだ。小難しく書いたかもしれないがとにかく他と対立したとき得るものと失うものの計算を厳密にやること。計算は従来どおりでは間に合わないこと、を肝に銘じなければならない。これらを本当に計算しつくされた上なら対立や妥協も仕方ないのかもしれないが考えにくい。北朝鮮の1人称的振る舞いは誰の目にも明らかだが、咎める国々もよっぽど気をつけなければ、目くそ鼻くそになる。中国や日本の代表が使う「譲る」のあいまいさがが気になる。
教育の場で子供同士が喧嘩した時、いい加減に譲り合いを促していいことはない。諌める教師も含めそこで新しい価値を見出した時始めて解決し、後の足しになる。
長い教師生活で勉強したことの一つは(教師面)は教育上よくない事だ
。現代は個人も集団も国も教師面では間に合わない。
また言いたいことがずれたが、これからも3人称の目・利益・主張このことを言い表す端的な言葉を見つけたい。
個人・団体・国に関わらず、どこか自己中心的で子供ぽい振る舞いと相手の立場をわきまえた(さすが大人)と言いたくなる振る舞いの違いがいいたいのだ。
夫婦でも性格の違いがより豊かな関係を作りもするし、逆に破綻の原因にもなる。
前者は夫婦の感覚の違いは擦り合わされ、新しい価値を生むが後者は一方に支配されたり依存したりし長くは持たない。
人称代名詞を使うと、1人称と2人称の世界と両者を含めた3人称(人々・皆)の世界がある。自分の言い分だけ主張するのは自己中心的で幼稚な1人称的人間であり1人称の目しか持てないだけである。その人間は相手が自分と対峙した存在として2人称が登場する。(自分か君か)の関係になり相手を1人称の目で見る。お互いに1人称の目で見ていることになる。ここで言いたいのは単にそれらを調整する第3者の目が大切だと言いたいのではなく、両者の違いから新たに発する普遍的な意味や価値、逆に言えば普遍的な価値から見た両者の価値と意味、それを見る目それが私の言いたい3人称の目である。そんな3人称の目が個人でも国でも必要ではないか。ここで言う目は主張とか利益と置き換えてもいい。要するに全体としてどうなのかを見ることの大切さを言いたい。(国敗れて山河あり)の、のどかな時代ならともかく現代は世界中、(国勝っても山河なし)の状態ではないだろうか。武力戦争にしろ経済戦争にしろ地球的には以前と意味が違ってきているはずだ。小難しく書いたかもしれないがとにかく他と対立したとき得るものと失うものの計算を厳密にやること。計算は従来どおりでは間に合わないこと、を肝に銘じなければならない。これらを本当に計算しつくされた上なら対立や妥協も仕方ないのかもしれないが考えにくい。北朝鮮の1人称的振る舞いは誰の目にも明らかだが、咎める国々もよっぽど気をつけなければ、目くそ鼻くそになる。中国や日本の代表が使う「譲る」のあいまいさがが気になる。
教育の場で子供同士が喧嘩した時、いい加減に譲り合いを促していいことはない。諌める教師も含めそこで新しい価値を見出した時始めて解決し、後の足しになる。
長い教師生活で勉強したことの一つは(教師面)は教育上よくない事だ
。現代は個人も集団も国も教師面では間に合わない。
また言いたいことがずれたが、これからも3人称の目・利益・主張このことを言い表す端的な言葉を見つけたい。
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