G8ー嬉しくもあり悲しくもあり

小泉劇場ならぬ3日間のサミット劇場。西ドイツの女性首相が言うように違いより共通点を求めた歴史的なサミットとも言える。しかしイランや北朝鮮どころでない現在の火事現場のイラクや確実に背後に迫ってる地球の温暖化には口をつぐんでもいた。嬉しくもあり悲しくもなる世界のリーダー会議だった。我々は誰もがこのような世界の現実のもとで生きている。
昨夜NHKが2時間にわたりかなり詳しく報道してくれた。女房ともども見たが今まで見たどんな映画や芝居よりリアリティーがあり或る意味で充実した気分になった。映像から好感持てたのは首脳が出会った時やテーブルについた時の落ち着いた表情と空気(勿論カメラを意識しているとは思うがそれを割り引いても)がよかった。他にも横柄な言動の気になるブッシュが落ち着いて見えたこと。小泉首相の記者会見での話し方がいつもの(木で鼻をくくった)感じではなく、むしろあの間の取り方が内省を伴った理想的にさえ見えた。思わず「頭がいい」と声に出したくらいだ。(女房も 《最も》だとうなずく)
ところでメディアがクラブとかサークルと揶揄し論評するような問題もあったとは思うが、私はそのメディアも含め現在の限界を感じ悲しくなった。感覚的だが一つは全体が経済成長路線の枠内の話でしかないことに。もう一つは言葉や表情は別にして相互不信を抱えての対話に見えたことだ。リーダーの視野も心理も狭く閉ざされたものを感じた。身近に置き換えると私なら友達に彼等をは選ばないし、教師像や子供像としても
理想の反対で子供だったらこれからどうしょうかという気持ちにさせられる人たちだった。
サミットの3日間も3秒に一人の幼児が飢えや病気で死んでいる。始まる前にはヒマラヤで大きな崩落があった。集まった首脳の庭先の草木や虫はどうか。(勿論すぐさまどうと言うことではないが、自分を脅かす足元の確実な変化を無視するなといいたいだけ)
南極や北極やヒマラヤの頂上や海の中がどうなろうと目の前の経済成長のためお芝居でもなんでもする人たち。懐にピストルを忍ばせ(比喩)握手し乾杯する。でもこれを悪くばかりとることはない。歴史的にやっとここまでたどり着いたと言えなくもないのだから。
でも昨夜は自分一人がこんな風に見えるのかとつい思い不安になり女房に「俺おかしい?」と尋ねた。少したって「そんなことないよ」と返ってきた。(少しモヤモヤ)
サミット劇場で分ったのは世界の中での日本の位置だった。競争的経済成長路線
で現在第2位の日本なのに今後のレースの展開を考えている首脳達はアメリカも含めそれなりの扱いしかしなかった。日本には自分の足元を見られる前に相手の足元を見ろと言いたい。
然しそれが言えるのは、相手より視界が広いときだけ。今はまだその反対になっているからしかたない。
自分が国粋主義者かと思うほどサッカー以上に応援したくもなる。(自分の子供を応援する気持ちに似ているよ)聞こえないだろうけど難しくはない。「基本にもどれ!」「基本を見つけろ!」それだけだ。

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