世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
子供を守るのが難しい時代
全ての生物が子供を守るようにできているのだが、今ほど人間がその子供をを守るのが難しい時代はかつてなかっただろうと思う。
親も教師も行政官も自分の生活があるから難しいのだが、これはいつの時代も同じ。ではどこが違うか。それは知らぬ間に目が子供から離れ他にむきやすいからだ。いつのまにか周囲の動きや時代の流れに沿うことが行動基準になっていたり、自分も子供もはじき出され自分の生活自体がが立ち行かなくなる恐れがあるからだろう。その上、時代や子供の変化が早く付いて行くのが困難なこともある。やむをえないものは仕方がない。あえてここで大人の責任を言いたいのは、やればできるのに、選択の範囲なのに、プライドや欲に駆られて、子供の守りを放棄してしまうことだ。難しい時代とはいえ親も教師も
管理職や行政官もやれることはかなり残されているはず。いま子供がもっとも阻害され、いま最も必要なのは子供の心、なかんずく内発的な心と自発的な行動の保障。その範囲を広げることはかなり可能だろう。(探索行動の保障。人間形成の生来的な土台でもありますが反面その否定が子供の殆どの行動上の問題の原因にもなっています。これは生物的な本能です。)これも行政的権力と時代の流れがあるから守るのはやさしくはないがある程度はできる。それを投げ出したりすべて人のせいにするのは子供を守るのが難しいと言う以前の問題でここまでくると時代は関係ないだろう。《そこを責任と考える》このことは全ての場面で大人の誰もが子供に対して「あなたはどうするのですか?」と問われていることになる。誰もが将棋で言えば王手 飛車取りの状態に置かれてる。
誰しも思い迷う。しかし一方で思い迷うのは暗くて格好悪いの風潮があるから悩むのも難しい。
子供を守るのか自分のプライドや欲をとるのかが毎日迫られている。そのぐらい難しい時代になってしまった。昔は特別大人がやらなくても時間と自然の空間と仲間があった。今はよってたかって大人がそれを子供から奪いその代わりそのつけが殆ど例外ないぐらい誰にも来ている。(テレビやゲームは代代代の代用食だから誤解しない方がいい。基本的に生物としての子供を否定しては子育てや教育は成り立たない。)
親も教師も行政官も自分の生活があるから難しいのだが、これはいつの時代も同じ。ではどこが違うか。それは知らぬ間に目が子供から離れ他にむきやすいからだ。いつのまにか周囲の動きや時代の流れに沿うことが行動基準になっていたり、自分も子供もはじき出され自分の生活自体がが立ち行かなくなる恐れがあるからだろう。その上、時代や子供の変化が早く付いて行くのが困難なこともある。やむをえないものは仕方がない。あえてここで大人の責任を言いたいのは、やればできるのに、選択の範囲なのに、プライドや欲に駆られて、子供の守りを放棄してしまうことだ。難しい時代とはいえ親も教師も
管理職や行政官もやれることはかなり残されているはず。いま子供がもっとも阻害され、いま最も必要なのは子供の心、なかんずく内発的な心と自発的な行動の保障。その範囲を広げることはかなり可能だろう。(探索行動の保障。人間形成の生来的な土台でもありますが反面その否定が子供の殆どの行動上の問題の原因にもなっています。これは生物的な本能です。)これも行政的権力と時代の流れがあるから守るのはやさしくはないがある程度はできる。それを投げ出したりすべて人のせいにするのは子供を守るのが難しいと言う以前の問題でここまでくると時代は関係ないだろう。《そこを責任と考える》このことは全ての場面で大人の誰もが子供に対して「あなたはどうするのですか?」と問われていることになる。誰もが将棋で言えば王手 飛車取りの状態に置かれてる。
誰しも思い迷う。しかし一方で思い迷うのは暗くて格好悪いの風潮があるから悩むのも難しい。
子供を守るのか自分のプライドや欲をとるのかが毎日迫られている。そのぐらい難しい時代になってしまった。昔は特別大人がやらなくても時間と自然の空間と仲間があった。今はよってたかって大人がそれを子供から奪いその代わりそのつけが殆ど例外ないぐらい誰にも来ている。(テレビやゲームは代代代の代用食だから誤解しない方がいい。基本的に生物としての子供を否定しては子育てや教育は成り立たない。)
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先生方!体を壊さないでください
先週、3月まで勤めていた学校で縁のあった職員10人ぐらいでコンパをした。
30歳の青年教師の呼びかけでいろいろな先生が集まった。(小泉さんではないけど呼びかけたその青年に感動です)
楽しい話もいっぱい、職場の大変な話も山ほどあった。女工哀史どころの話でない子供残酷物語が目に映った。定時に帰れないどころの話ではない。無理難題が上から次々下りてくる。休みの日もゆっくり休める状況にない。10人ぐらいの先生方から次々あふれるように吐露された。
実際には先生方の大変さは直接子供にとっての大変さを意味する。子供の大変さは親の大変さを意味するしそれは社会にとっても同様のはずだ。にもかかわらず現実は同じ屋根の下の管理職の管理の下に進められ、管理職は教育委員会に管理を競わされ、地域や多くの父母は《自覚は別にし》それに協力する体制になっている。これは大雑把だが今日置かれたる学校の構造的現実だ。
多くの子供は敏感に学校や勉強に抵抗を感じ、信号を出すが
大人は無視する。子供が大変になるのは当然で今日その姿は誰でもどこでも見られる。(勉強嫌い・不登校・登校しぶり・発達障害も意外な原因の一つ・各種の子供の事件も延長線上にある)
《大人は無視》の中身は複雑で一言では言えないが、直接子供に接する良心的な先生は子供の信号をキャッチするが、全部とは言わないが多くの場合、校長や副校長の管理職を中心に、既にサラリーマン化した同僚や地域・父母によって拒否されたうえ、行政の建前を要求され対応の変更を求められる。しかも教師の生活と引き換えに命令的に求められる。
こうした中で子供を守るのは並大抵ではない。教師は子どもを守る良心と家族を抱えた生活のはざ間で悩み病気したり情熱を失い途中でやめたり要領よくサラリーマン化したりもする。
(私の40年の経験では管理職や行政担当者に途中で道を変更した先生方は早々子供から目をそらしサラリーマン化した人がもうほとんどでした。)
要するに教師も親も行政官も目がどこを見ているかが問題なのです。私は先生方に励ます言葉がなくただ「子供の実際を見る《生き証人 》になってください。私にはできないから」と言うより他なかった。次ぎに会うのを楽しみにしている。
日本のこれからを伺えるからだ。人より早く知れる。
30歳の青年教師の呼びかけでいろいろな先生が集まった。(小泉さんではないけど呼びかけたその青年に感動です)
楽しい話もいっぱい、職場の大変な話も山ほどあった。女工哀史どころの話でない子供残酷物語が目に映った。定時に帰れないどころの話ではない。無理難題が上から次々下りてくる。休みの日もゆっくり休める状況にない。10人ぐらいの先生方から次々あふれるように吐露された。
実際には先生方の大変さは直接子供にとっての大変さを意味する。子供の大変さは親の大変さを意味するしそれは社会にとっても同様のはずだ。にもかかわらず現実は同じ屋根の下の管理職の管理の下に進められ、管理職は教育委員会に管理を競わされ、地域や多くの父母は《自覚は別にし》それに協力する体制になっている。これは大雑把だが今日置かれたる学校の構造的現実だ。
多くの子供は敏感に学校や勉強に抵抗を感じ、信号を出すが
大人は無視する。子供が大変になるのは当然で今日その姿は誰でもどこでも見られる。(勉強嫌い・不登校・登校しぶり・発達障害も意外な原因の一つ・各種の子供の事件も延長線上にある)
《大人は無視》の中身は複雑で一言では言えないが、直接子供に接する良心的な先生は子供の信号をキャッチするが、全部とは言わないが多くの場合、校長や副校長の管理職を中心に、既にサラリーマン化した同僚や地域・父母によって拒否されたうえ、行政の建前を要求され対応の変更を求められる。しかも教師の生活と引き換えに命令的に求められる。
こうした中で子供を守るのは並大抵ではない。教師は子どもを守る良心と家族を抱えた生活のはざ間で悩み病気したり情熱を失い途中でやめたり要領よくサラリーマン化したりもする。
(私の40年の経験では管理職や行政担当者に途中で道を変更した先生方は早々子供から目をそらしサラリーマン化した人がもうほとんどでした。)
要するに教師も親も行政官も目がどこを見ているかが問題なのです。私は先生方に励ます言葉がなくただ「子供の実際を見る《生き証人 》になってください。私にはできないから」と言うより他なかった。次ぎに会うのを楽しみにしている。
日本のこれからを伺えるからだ。人より早く知れる。
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