戦争

個人の利益が対立すると喧嘩になる。国益が対立すると戦争になる。どんな場合も
原因は「相手が悪い」になる。ジダンの頭突きも全く同じ。
今日のワイドショーは北朝鮮の安保理決議に対する国際的な反応と同時に日本の先制攻撃
準備論について取り上げていた。いろいろな意味で危うい。
その中で、石破元国防長官は「各国の国益が異なり安保理決議への対応が違っている」「国民の生命を守るため先制攻撃はありうる」と述べていた。その通りだろう。子供のころの喧嘩を思い出すとその通りだ。しかし喧嘩で手を出すと、家でも学校でも必ず「喧嘩両成敗」「どっちもどっち」と叱られたしなめられた。大人はもっと大きな視野でみていた。また子供のときも大人になってからも同じだが、喧嘩をよくする人と、殆ど口喧嘩もしないそれでいて周りの信頼も厚くやりたいことをしっかりやっている人もいた。
前記の子供と大人、よく喧嘩する人と喧嘩をしない人、違いは何か。
国益の対立が戦争になると言うが、昔は別にして地球の危機(環境破壊や資源の枯渇)に遭遇している現代、戦争そのものが国益になるのか。共倒れにならないか。本当に厳密に得るものと失うものを計算してほしい。あくまでもプライドや勝負ではない本当の国益について。今の地球を考えると「国敗れて山河あり」は懐かしい。「国勝っても山河なし」にならないか。
しっかり現実を見てほしい。サッカーではないがワイドな状況判断が求められる。
それが本当のグローバリゼーションだし国際感覚ではないだろうか。

国の自然や歴史や伝統を大切にするのと同じように、地球を大切にすることが人類全てに求められているのではないだろうか。紆余曲折はあっても、いつかはそうなるだろうしならざるをえないと思う。
目前のことは一つの紆余曲折に過ぎないが、苦手とは言えリスク管理は必要。
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