世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
師走→迷走
教師にとって年から年中が(師走)になって久しい。
世の中全体が忙しいののだから仕方ないともいえるが、いつのころからかその忙しさの内容が異常だ。勤務時間がないに等しく、帰宅しても仕事の持ち帰りで休日もゆっくどころでない。時間だけならまだいいのだが、仕事の中身がより深刻だ。
一般的に授業と少々の準備が教師の仕事のように見られているが、実際は「忙しくて仕事もできない」が言いえて妙。
書類作りがやたらと多い。公簿や準公簿は昔からあったが今は週安、授業案・研修計画・経営案・研究収録・行事計画・統計、学級通信などの保護者向け手紙などなど。
その上研修会や出張がこれまたやたらに増えている。教諭だけでなく管理職(校長や教頭)の出張は普通の人が聞いたら、驚かない人はいないだろう。
教師だから子供のためなら仕方ない。勿論上記の仕事も子供に関係あるといえばあるのだが、教師もあれもこれもはできないから自ずと優先順を決めることになる。子供に自習させて書類を作ったり、お留守番を頼んで
出張することになってしまいかねない。今の時代だから目に見える教室掲示や教材作り(殆どプリントの印刷)に走ってしまう。肝心の教材研究や子供との人間関係作りは後回しになる。要するに目に見えることに追いまくられ目に見えないところに手が回らない。そう言う時代だから仕方ないとはいえ、「教育」や「育てる」って目に見える営みだろうか。それは時代に関係なくありえないと思う。忙しくて仕事もできないほど走り回る。勿論それを子供が望むはずはなく上からの行政指導やそれに従う管理職によって作られた状況だ。「師走」より「迷走」だ。
教師がおっぴらに迷走している時代だから
それに合わせる父母や子供は勿論その渦の中。
ところで目を転じて広く周りを見るとどうだろう? 北朝鮮のミサイルは、世界的
な迷走だろう。ワールドカップでもはじめの煽り方と負けた後の非難と落ち込みはやっぱり迷走の観がする。地球の異常さから目をそらし世の中に次々起きる出来事に驚きあわてふためくメディアや政治をはじめ自分は勿論どんな立場の人もこの迷走の群れの中にいるのではないだろうか
。
世の中全体が忙しいののだから仕方ないともいえるが、いつのころからかその忙しさの内容が異常だ。勤務時間がないに等しく、帰宅しても仕事の持ち帰りで休日もゆっくどころでない。時間だけならまだいいのだが、仕事の中身がより深刻だ。
一般的に授業と少々の準備が教師の仕事のように見られているが、実際は「忙しくて仕事もできない」が言いえて妙。
書類作りがやたらと多い。公簿や準公簿は昔からあったが今は週安、授業案・研修計画・経営案・研究収録・行事計画・統計、学級通信などの保護者向け手紙などなど。
その上研修会や出張がこれまたやたらに増えている。教諭だけでなく管理職(校長や教頭)の出張は普通の人が聞いたら、驚かない人はいないだろう。
教師だから子供のためなら仕方ない。勿論上記の仕事も子供に関係あるといえばあるのだが、教師もあれもこれもはできないから自ずと優先順を決めることになる。子供に自習させて書類を作ったり、お留守番を頼んで
出張することになってしまいかねない。今の時代だから目に見える教室掲示や教材作り(殆どプリントの印刷)に走ってしまう。肝心の教材研究や子供との人間関係作りは後回しになる。要するに目に見えることに追いまくられ目に見えないところに手が回らない。そう言う時代だから仕方ないとはいえ、「教育」や「育てる」って目に見える営みだろうか。それは時代に関係なくありえないと思う。忙しくて仕事もできないほど走り回る。勿論それを子供が望むはずはなく上からの行政指導やそれに従う管理職によって作られた状況だ。「師走」より「迷走」だ。
教師がおっぴらに迷走している時代だから
それに合わせる父母や子供は勿論その渦の中。
ところで目を転じて広く周りを見るとどうだろう? 北朝鮮のミサイルは、世界的
な迷走だろう。ワールドカップでもはじめの煽り方と負けた後の非難と落ち込みはやっぱり迷走の観がする。地球の異常さから目をそらし世の中に次々起きる出来事に驚きあわてふためくメディアや政治をはじめ自分は勿論どんな立場の人もこの迷走の群れの中にいるのではないだろうか
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