やってほしい構造改革

この5年間やってきた構造改革は経済のグローバルな競争に勝つための改革だった。或る前提条件の下では合理性もあり成果もあったという。国民の求めもあったろう。私も構造改革を願っている。それは地球と人類を守るための経済と行政の改革。(勿論、本来の子供を守る教育改革も)  前提条件が違っているのに、私の見ている限りそれを主張する政党や団体はない。構造改革の方向が逆だから実際は願いから遠のくばかり。地球の異変は見たくないがいつまでも覆い隠し目を反らせられるものでもあるまい。G8はどう反応するか?初めてのこととはいえ、世界は《本来の保守性》が《早急》に求められている。この声 天まで届け!
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うまい言葉が見つかった

一昨日、対話の態度について「うまい言葉が見つからない」とくどくど書いた。
「普遍的価値や意味を見出そうとする態度」はどうだろう?
十分ではないが分りやすい感じがする。(常識・コモンセンス)でもいいのだが
最近は常識が常識でないことが多いので通じにくいだろう。
私がまだ中学生のころ(コスモポリタン・宇宙主義者と訳すのかな)のことばを何かで目にした。中身はよく分らないが国の枠に縛られず地球を人類共通の故郷としての考えだろう、ちょとしたら「人類みな兄弟」もそれに通じるのかもしれない。当時子供心にも現実離れした理想主義だと思った。あれから50年以上もたった現在は当時と現実感が全く違う。地球の現実はそれを求めているのに、人類の意識がそれに対応できてない感じだ。今日意味の広がりはそこまで求められよう。
「どんな言葉にも間違いはない」と学生時代哲学で教わった。相手に通じるかどうかは別にして言った本人の意識と言葉の間には間違いはないと言うことだった。
私は感動して聞いた。そのぐらい相手の立場や言葉の意味をよく考えることの大切さを教えられた。話をよく聞き一方的に決め付けないことの大切さだ。共通言語・共通文法と言ってもいいがそれを求める態度は社会のリーダー的な人や学者は状況判断上・学究的態度・問題解決の態度として最低限求められないか。話す場合も同様。
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