世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
混乱
世の中突拍子もないことが次々起きる。殺人・自殺・不登校・いじめ等々、社会は病理的な様相で、ニュースなど見をていると、上から下まで社会は混乱しているようだ。 犯罪者を捕まえる仕事の警察が盗みや女性を犯し、いじめを止める先生がいじめをし、偽装建築や履修届けの公文書の偽造の届出・受理も曖昧され、教育指導の最高機関は役所の意向を通すために「やらせ」までして、責任は下部組織や部下に取らせる。 考えてみると、首相が、靖国や核問題で公人と私人を使い分けしているが、これも世間では通らない話。「教師としては~だが、個人としては別の~」等の言い方を、お医者さんであれ、お坊さんであれ、株屋さんであれ、言ったとしたら、誰がその話を信用するだろう。?誰でも立場や建前を超えてその人の本当に思っている信念を誠実に語ってくれる事を願って言葉のやり取りをしている。 公の人が公の場で白昼堂々と自らも使い分けし、部下の使い分けを容認していて、どうして社会の秩序が保たれるだろう? 私はこの社会の病気・混乱はかなり進行しているとかなり以前から考えている。個人的な病気でも軽いうちは、自然の治癒力や自浄作用で治る。社会的には教育だけでなく多く分野がその段階を超えているようだ。 心の病では悪化すると「病識」が無くなる段階がある。病識がないから病人は自ら病院にも行かない。それでも個人の場合は、周囲が気が付き、お医者さんに診てもらうことができる。国の場合は気が付いて言って行く人もいないしお医者さんに当たる政治(家)も病んでいるからわけが違う。 (こういう中で私も生きているのだから私も間違いなく感染している一人。だから同病愛哀れむということになる)
唯、絶望することはない。それは人間は自然の一環だから、人間がいくら人為的間違いをしても最終的には「自然の法則」により、蘇生したちかえるだろう。
最近特に、「自然が最大の味方」だと思い願うようになった。また、メディアのバタバタと混乱が病みの結果かと考えると少し気が楽になる事も分ってきた。