私が校長先生だったら

 私が(いじめ)があって、自殺した学校の校長先生だったら、全校生徒と先生の前で次のような話をしたい。
  『私は皆さんの学校生活に責任を持つ立場です。私は校長として責任を果たしているとは思えません。資格がないから校長を辞めようかと悩みました。 もし皆さんが私が辞めることを望むならそうします。 もし皆さんが、これからこの学校でこんな悲しいことが起きないよう努力することを私に求めるなら、それなりの覚悟で努力したいと考えています。皆さんは先生方とよく話し合って結論を出して下さい。 
 本当は 、結論を出してから話すべきかも知れませんが、今私が抱いてる覚悟の一端を話してもよろしいでしょうか《子どもたちの多くは黙ってうなずいたとしたら、話す、拒否されたら降壇し、辞表を書き本当に辞める。)
 私の覚悟したことは、私の正直な気持ちを皆さんに話し、建前でなく私自身が自分に正直に仕事をすることです。
 皆さんは学校へ来るのが楽しいですか?勉強は楽しいですか?私は小学校の1年生から、学校が楽しかったり、勉強が楽しいと思ったことは殆どありませんでした。教師になってからも同じです。
 子供のころからずーと行かなければならないと思って学校に通っています。毎日、仕事を終え家へ帰るのが一番の楽しみです。土曜日や日曜日が来るのを月曜日から楽しみにしています。
私は心の奥で学校が楽しいという人の気持ちが分りません。今でも、そんなはずはないと思っています 。
 今までみなさんに、お勉強や人に迷惑を掛けないようないい子になってほしいと再三言ってきましたが、言ってる私はそんなことを言ってる学校が大嫌いだったのです。中でもテストはいやでした。今でもテストで悩む夢を時々見ます。
 私はほとんど学校の勉強は嫌いと話しましたが、好きなことも全くないわけではありません。大学でじぶんの研究テーマを調べ研究するのは遊びより楽しかったかような気がします。
 小中学校でも体育や休み時間は楽しかった。中学時代の日本史や、高校の化学も好きでした。これは学校はそうでもなかったけど、家で勉強するのは楽しかったし、倍以上はかどった気がします。
 私はいま一番勉強したいのは人の心です。唯、自分の心は自分だけでは分らないのではないかと思います。自分が周りのものや人とかかわり知って、始めて自分の心が分るのではないかと思っいます。私の周りにはあなた達や先生方他に沢山の人たちがいますが、まず自分の近くの人の気持ちを知ろうと思います。それから、遠くの偉い人の話はその後聞きます。近くのことが分らないで遠くのことは分るはずがないからです。そしてその偉い人の前でも私は皆さんに正直でありたいように、自分に正直にものを言いたいと思います。そのように覚悟したのです』お話を終わります。
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教育基本法の改正

教育基本法改正案が委員会を通った。この後、両院を通過し成立するだろう。
法律は人為の最たるものだがそれ以前に誰をも縛る?法がある。それは自然法。
我々は立場の違いはあっても自然の摂理や自然の因果から逃れられない。
その観点からすると、今度の基本法はより自然法から遠くなる。今の基本法は子どもの人格そのものに教育の中心を求めている《実際は国家権力を中心にしてきた》のにたいし、今度は基本法そのものが国家権力中心になる。当然今までの流れに拍車がかかることになる。
この法改正で利益を受ける人たちは誰かと考えると、思いつかない。たとえ政府や与党・それらを応援し、放置している人たちも結局天に唾し自らに降りかかる漫画チックな風景にしかならない。よそ見運転は、気楽で良いけど、結局自分も事故に合う。(巻き込まれる人は気の毒だが。)人間っててこんなに浅ましかったのか。
教育関係の諸統計を追ってみる誰でもわかる。
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