教育委員会の指導力?

昼のニュース(11月14日)で(国会で)文科省大臣が教育の問題を教育委員会の指導力不足にあると答弁している映像が流されていた。公聴会への文科省の不正な指示→都道府県の教育委員会→市町村の教育委員会→学校長→PTA役員までまっすぐ伝わり半分以上の公聴会で(やらせ)が実行されていたこと一つとっても、実際上文科省の力がどれだけ強いかが分る。これは君が代日の丸は勿論、学校の自由選択、ゆとりや学力の問題、学校間競争、能力別指導など、現場から見ると、指導体制の一つ一つに至るまで文科省の方針のもと、教育委員会の中間指導機関によって指導されされている。その結果各学校はテスト至上主義といって良いほどの状況になっている。こういう現実を前にして「よく言えたものだ」と思う。私は単に文科省を批判する気はない。以前にも書いたが文科省は大臣も含め皆さん一生懸命なんだろうとは思う。しかしここは経過や事実をもとにものを言ってほしい。私の見方が偏見だと思うなら、日本中に沢山いらっしゃる、学校長や教育委員会の人たちに尋ねてみるがいい。例外はあるかも知れないが、おそらく90パーセント以上の人が上意下達の強さをを認めると思う。これは日本の伝統的といって良いほどのもので、年々それが強まっていることは教育関係者なら知らない人はいないだろう。教育関係者でなくても多くの人はそれを感じているのではないだろうか。教育基本法やいじめ→自殺が問題になっているさなか、国会の場で教育の最高責任者が白昼堂々と述べそれが許される。ちょっと飛躍するが、言語道断な弱いものいじめを許す学級と同じ様なもの。文科省大臣のこのせりふは政府がかねがね考えてきたシナリオ(今までの経過を見ると中央の本音は中間機関をなくし中央が直接命令・指示・指導する)から飛び出したのではないかと思う。

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いじめ対策

いじめ問題で文科省から学校現場子どもに至るまで混乱し対策に苦慮しているようだ。
ここまで来ると即効薬はないが、最も効果的だと思うのは、文科省が下部《教委や学校》に「テストの点数より子どもの心を大事にしなさい」と指示すればいい。それだけでいい。今各教室は、児童生徒の気持ちよりテストの点数を優先されている。言葉にすると簡単だがこれは中間指導機関の教育委員会にとっても、各学校や先生達にとっても教育的には革命的とも言える意味を持っている。
各先生方は授業の狙いが今までと違ってくるはず。学級担任の役割が変わってくるはず。子どもの心を大事にするのは当然のことだが、今はそれが殆どできない状態にある。今まで、子ども達の気持ちを無視した学力《テスト》優先の指導を徹底的に求められてきた。それに沿わないと教師を続けられなく、家庭が干上がってしまうようなところまで求められてきた。殆どの教師はそれに従わざるをえない。
古くから担任はまず勉強以前の「学級経営」が求められた。この学級経営の中身は
一言で言うと子ども達の気持ちをバラバラなものから秩序のあるまとまったものにすることだった。教師はそこで子どもに信頼されなければいけない。これは当然のこととして受け継がれ上からも求められた。「学級経営」は「学級作り」や「学級集団作り」などと実践的に研究されていた。例えば教科学習する場合はその前提に「学習集団作り」がある。我々は端的に「学習体制」を作ると言ってきたがそれは常識だった。今学校現場では、これらの学習以前の指導を表す言葉すら殆どなくなっている。内容的には深いものがあるから指示してすぐやれるものではないが、
方向付けだけはできる。これはちょっと変だけど、日本の中央集権的な教育行政の体質を今は利用して、出口の方向を指し示したらいい。それは中央が本気で上記のことを指示すればいい。
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