偽装社会

 厚化粧で大口開けたお喋りなおばさんも、赤いネクタイで鼻声(美声)で、もじょもじょ喋る大臣もどこか似ていて、(○○もどき )に見えてくる。
 そんな感じで見ていると、政治もどき・経済もどき・教育もどきが次から次へと出てくる。
 今朝の朝刊で報道されていた、教育再生会議の基本方針のトップに「教育のガバナンスの見直しの大改革」とうたっている。見ると①教員免許の見直し②学校長の責任の見直し③教育委員会の見直し④家庭の子育て責任の見直し を内容にしているようだ。ここではなぜか教育行政のトップの国(文科省)見直しが出てこない。
 国が集めたメンバーが自ら《国》の問題を見出し反省するのは所詮無理という簡単な道理かもしれない。(普通考えると、英和辞典にまず出くるガバナンス=統治の主体である政府や文科省は第一番目の見直しの対象になるのではないだろうか。)
 詳しく読み進めると「文部科学省のあり方も議題となる可能性がある」との記述もあるにはあった。責任体制を問うならまず入り口になるはず。(可能性がある)とは、どこを見てものを言っているのか?(よそ見して勉強している子どもみたい。教育最低会議と揶揄したくなる)偽装建築から偽装教育そしてその教育を立て直すべき会議がこれまた偽装。
 偽装社会(もどき社会)なんだとつくずく思う。考えてみればパーソナリティも仮面を意味するし小説も虚実の間に味があるというから、そういうものかもしれない。
 だとしても、(やらせ)じゃないけど見え見えが多すぎる。
 ちっとも美しくも美味しくもない。最低の努力はしてほしい。

 

 

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